プロローグ 『アシェリナ、登校』
幼い頃、ただひとり。
アシェリナに“笑いかけてくれた”少女がいた。
薄紫色の髪が光に透けて、花みたいに柔らかい笑顔で、ローズクォーツの瞳がとても眩しい少女だった――。
『こっちおいで、アシェ』
その記憶が、彼女の心を温める唯一の光だった。
プロローグ
大きな大樹の枝に、逆さまに引っかかったままアシェリナは気持ちよさそうに眠っていた。
木漏れ日が頬を照らし、鳥が近くでさえずる。
ふいに、遠くでチャイムが鳴る。
アシェの眉がぴくっと動き――
「…………むぅ…………!」
逆さの体勢のまま、無理やり起き上がる。
枝がギシギシ揺れて、危うく落ちそうになる。
「……じゅ………っ」
舌足らずな声でつぶやき、
両手を空中にそっと出す。
ふわり。
何もない空間から、
不思議な空気をまとった箒が“ぼふっ”と生まれる。
アシェはもたつきながら箒を抱え、またがり――
びゅんっ!!
枝がバサバサッと揺れ、葉が舞い散る。
鳥たちが驚いて飛び立つ。
けれど当の本人は、
無表情のまま高速で空へ消えていった。
華やかな校門前。
白馬を引いた豪華な馬車が止まると、 生徒たちが一斉に視線と歓声を上げる。
「きゃー!エリシア様、ごきげんよう!」
「手を振ってくださったわ」
「ご婚約の話、聞きました!?」
「聖女としてお勤めになるんでしょう?素敵〜!!」
馬車からゆっくりと降り立つ少女。
薄紫の髪が朝日に透け、ローズクォーツ色の瞳がきらりと輝く。
彼女の名は、この魔法学園の花――エリシア・フォルティーナ公爵令嬢である。
彼女が地に足をつけた、その瞬間。
ぶわっ!!
突風が巻き起こり、周りにいた令嬢たちのスカートが一斉に揺れ上がる。
「きゃーー!!」
「な、何!?風!?」
しかし、誰も気づかない。
風の正体は――高速で降り立ったアシェリナの余波だった。
アシェは静かに地面へ着地し、騒ぎの中心にいるエリシアの後ろへそっと歩み寄る。
「今日もよろしくね、アシェ」
振り返ったエリシアが、ふわりと微笑む。
アシェはコクッとうなずいた。
この国では珍しい、夜のように深い黒髪。
ふわふわと揺れるその髪は、彼女の儚い存在感をより薄くしている。
名を――アシェリナ。
幼い頃からエリシアを守る役目だけは、誰にも知られず続けてきた。
生徒たちは光の姫だけを見つめ、
黒髪の少女に視線を向ける者はいない。




