5「医務室」
医務室は、城の東翼にあった。
薬草と消毒液の匂いが、暖炉のない部屋にも淀まずに満ちている。並んだ寝台のうち、窓際の1床だけが衝立で仕切られていた。管理者が衝立の脇に立ち、低く声をかける。
「入るぞ」
寝台の上には、青年が半身を起こしていた。
年は20代の半ばだろうか。癖のない金髪に、整った顔立ち。上質な絹の寝間着は、軍の支給品ではない。貴族の出だと、ひと目でわかった。右腕は肘から先まで包帯で厚く巻かれ、その先端は、指の形をしていなかった。
寝台の脇には籠が置かれ、焼け焦げた外套と、革のブーツが無造作に押し込まれている。運び込まれたときの装いだろう。
顔色は悪い。眼の下には濃い影が落ち、背もたれに預けた体は、起きているだけで精一杯に見えた。回復魔術は、本人の自己治癒を無理に早めるだけの術だと聞いている。傷が塞がった代償に、体力を前借りしたのだろう。
それでも、口だけは元気だった。
「遅い。僕が目を覚ましてから、どれだけ待たせたと思っている」
声に張りはない。ただ、棘だけは健在だった。
「魔王軍第三軍所属、だそうだな。ふん、帝都から呼ばれるほどのことでもあるまい。こんな辺境で、僕がこんな目に遭うなど」
「ご快復、何よりでございます」
シロ先輩が丁寧に頭を下げる。青年は力なく鼻で笑った。
「快復? 見てわからないのか。回復魔術は、焼けた皮膚と肉を塞いだだけだ。失った指まで戻るものか。今の魔法技術では部位の欠損までは治せん。常識だろう」
包帯の先を、青年は忌々しそうに睨んだ。失くした指は3本。それを口にするとき、声がわずかに掠れたのを、僕は聞き逃さなかった。
「お辛いところを恐れ入ります。まずは、お名前をお伺いできますか」
「……セドリック・ヴァイスハルトだ。ヴァイスハルト子爵家の三男にして、ガルダ城付き魔術師。覚えておけ」
「承知いたしました、ヴァイスハルト様。では、襲われたときの状況をお聞かせください」
「ああ。いいとも。僕は被害者だからな」
セドリックは、大儀そうに息をついた。
「真夜中だ。僕は廊下にいた。フードを目深に被った男に出くわしてな。顔は見えなかった。声をかけた途端、何の前触れもなく、ファイヤーボールを撃ってきた。防御の術を組もうとしたが、間に合わなかった」
「そこまで、なぜ廊下に?」
「寝付けなかったのだ」
セドリックは、即答した。その視線が、寝台脇の籠へ、一瞬だけ流れた。
「眠れなかったから、散歩をしていた。それだけだ。何か問題でも?」
「いえ。夜の散歩は、よいものです」
「……そうだろう」
僕は、籠の中のブーツから、湿った石のような匂いが微かに立ち上るのを拾っていた。
「相手の顔も、背丈も、覚えていませんか」
管理者が尋ねると、セドリックはあからさまに眉を吊り上げた。
「覚えていたら、とうに言っている! だいたい、何なのだ、この城は。賊の侵入を許し、あまつさえ廊下で焼かれているというのに、兵どもは誰1人、賊の影すら捕まえられん。あれだけ兵を抱えて、何をしているのだ。使えん連中だ」
僕は恐る恐る管理者を窺った。太い指が、二の腕に食い込んでいた。こめかみには、薄く青筋が浮いていた。
「こんな何もない辺境に、僕を寄こすなんて、この国にとっての損失だ。上の連中は能無ししかいない。魔術の腕で言えば、あの城で僕の右に出る者など」
「ふっ」
小さな音がした。
僕は、一瞬、自分の耳を疑った。
隣を見る。シロ先輩は、いつもの無表情で背筋を伸ばしていた。ただ、肩がほんのわずかに震え、口元を拳で隠している。
「……失礼いたしました」
「貴様、今、笑ったか」
セドリックが、じろりと睨んだ。シロ先輩は、拳を下ろし、平然と答えた。
「はい。申し訳ございません。つい」
「ちょ、先輩!?」
「何がおかしい」
「皆様の前で申し上げるのは恐縮ですが」
シロ先輩は、淡々と続けた。
「第三者として申し上げますと、あなたが仰る『賊の影すら捕まえられん』『使えん連中』の中に、あなたも含まれていると思いましてね。斬新な自己紹介ですね」
沈黙が落ちた。
管理者の口の端が、ぴくりと動いた。僕は、慌てて顔を伏せた。
「き、貴様ッ! 僕に向かって、よくもそのような!」
セドリックが、半身を乗り出した。傷に響いたのか、すぐに呻いて顔を歪める。
「まあまあ、落ち着け。傷が開くぞ」
管理者が、大きな掌で青年の肩を押さえた。声は低く、どこか疲れている。
「調査員殿も、初対面の相手に対して失礼だぞ」
「失礼いたしました。以後、気をつけます」
シロ先輩は、深く頭を下げた。顔には、微塵の揺らぎもない。
僕は、しばらく言葉が出なかった。
(この人は何を言ってるんだ! わざわざ、傷口に塩を塗るようなことを! いや、傷口はふさがっているんだったか。 いや、そうじゃなく! やっぱりかかわるべき人じゃなかったんだ!)
衝立の影から、別の声がした。
「落ち着きなさい。傷に障る」
しわがれた、穏やかな声だった。
寝台の脇の椅子に、老齢の魔術師が座っていた。白い髭を胸まで垂らし、深い皺の刻まれた顔に、疲れた笑みを浮かべている。灰色のローブの袖口は、長年の使用で擦り切れていた。
「この者の同僚です。バルナバス・オルドと申します。結界管理官を務めております。事件の夜は、私は部屋で休んでおりました」
シロ先輩が、丁寧に頭を下げた。
「ひとつ、お伺いしたいのですが。今回の襲撃で、結界に影響はございませんか」
「ご心配には及びません」
バルナバスは、穏やかに首を振った。
「結界は、事件の前後を通して、問題なく稼働しております。毎朝、確認しておりますので」
「それは、何よりです」
シロ先輩は、小さく頷いた。
そのやり取りを聞きながら、僕は手を挙げかけた。
「あの、すみません。今更なんですが」
「何でしょう」
「皆さん、結界、結界と気にされていますが、そもそも、この結界って何なんですか? 城を覆っている膜、くらいにしか」
「ルカ君」
「だって、気になるじゃないですか」
老魔術師は、白い髭の奥で、ふっと笑った。
「構いませんよ。無理もない。普通は、ご存じないでしょうから。まずは、この城の話からしましょうか」
バルナバスは、窓の外へ視線を向けた。
「我が国と人族の領土との間には、国境が敷かれております。ただ、そのほとんどは、険しい山脈や大きな運河に阻まれて、軍勢が容易に越えられる場所ではありません」
「その中で、人族の側へ開けているのが、このガルダ城の周辺です。国防の要、というわけです」
「魔人族の側からすれば、ここから人族の領土へ進軍するのは容易い。ですが、人族の側は違います。魔族領へ攻め入るには、まずこの城を落とさねばならない。ほかの道は、自然が塞いでいるからです」
バルナバスは、淡々と続けた。
「しかも、この城は攻めにくく、守りやすい。人族にとっては、厄介この上ない城でしょう。つまり、この城を押さえた側が、戦争を有利に進められる。そういう場所なのです」
「だから、前線基地として重要なんですね……」
「ええ。その城を、さらに堅くしているのが、結界です」
老魔術師は、指を一本立てた。
「結界は、人族の側からの侵入を、一切許しません。ただし、現在は、魔族領の側からであれば、誰でも通れるようにしてあります。ここへ来るときに、抵抗は感じなかったでしょう」
「はい。水に潜ったみたいに、静かになっただけでした」
「それが、結界を通った感覚です。そして、この結界を、物理的に壊すことは、まず不可能です。どれほどの兵と、どれほどの火力を投じても、傷ひとつつきません」
「じゃあ、どうやっても破れないんですか?」
「いえ。1つだけ、方法があります」
バルナバスは、そこで言葉を切った。ちらりと管理者を見る。管理者が無言で頷くと、老魔術師は、声を落とした。
「結界は、ある装置によって管理されております。その装置を、直接止めること。それ以外に、結界を壊す手段はありません」
そこまで聞いて、シロ先輩が、ゆっくりと口を開いた。
「それを、わざわざお話しくださったということは」
「ええ」
バルナバスは、静かに頷いた。
「おそらく、賊の目的は、結界の装置でしょう」
視線が、一瞬だけ、寝台の青年に向いた。セドリックは、顔を背けたまま、何も言わなかった。
「この城を、衛兵に気づかれずに歩き回り、高位魔術師を相手に完封できる者。そんな存在を、私は1つだけ知っております。噂の、諜報員Xかもしれませぬ」
視界の端で、管理者の表情が、一瞬だけ動いた。
「エックス……?」
シロ先輩が、小さく首を傾げた。
「知らないんですか!?」
我ながら、情けない声が出た。
「帝都で知らない人はいませんよ! 劇にだってなってるんです。腐敗した貴族を、証拠ごと白日の下に引きずり出して成敗する、影のヒーロー。攫われたご令嬢を助け出して、そのまま妻に迎えた、なんて話もあって。貧しい村に、貴族から奪った金貨をばらまいた義賊の話も。子供たちには、特に人気なんです!」
「初耳ですね」
シロ先輩は、あっさりと言った。
「そのような人物が本当に実在するなら、一度お目にかかってみたいものです」
「さすがに、実在はしないと思いますけどね。ただの都市伝説ですから。劇は、よくできてますけど」
「いや」
管理者が、低く口を挟んだ。
「実在する」
僕は、思わず管理者を振り返った。
管理者は、扉の外に人影がないのを確かめてから、寝台の2人を順に見た。
「本来は、ここで話すことではない。だが、今回の件に関係しているかもしれん。結界を預かる者に、伏せておくわけにもいかん。他言は無用だ。ここにいる全員、いいな」
「実在、だと……?」
セドリックが、目を見開いた。バルナバスは、何も言わず、静かに目を細めている。
「軍でも、一部の者しか知らんことだ」
管理者は、声を落として続けた。
「軍としても、正体はまるで掴めていない。魔族領内に潜んでいる、人族側のスパイだ。どこにでも潜り込める。それに、武力も桁違いだ。詳しくは知らんが、貴族の兵団を、1つ壊滅させたという話がある。使う魔法も、多種多様、あらゆるものを使いこなすらしい」
「あらゆる、魔法……」
「さすがに、1人でできる芸当ではない。おそらく、組織だろう」
僕の頭の中で、1つの人影が立ち上がった。
フードを目深に被った、顔の見えない人物。
――軍でも正体が掴めていない。ならば、顔はフードで隠れている。
そこへ、貴族の兵団を壊滅させる武力が加わる。フードの下から覗く腕が、みるみる太くなっていく。丸太のような二の腕。盛り上がる肩。フードがはち切れそうだ。
――あらゆる魔法の使い手、とも言った。
筋骨隆々のフードの男が、節くれだった杖を握りしめる。杖の先で、火と水と雷が渦を巻く。
――組織、とも言った。
そのフードの男が、1人、2人、3人と増えていく。ムキムキで、杖を持った、フードの集団が、一斉にこちらを振り向く。
「ルカ君」
肩を叩かれた。
「顔色が、優れませんが」
「い、いえ、その……」
「何やら愉快な想像をしているようですが、管理者殿も、詳しいことはわからないと仰っていました。人物像は、ほとんど噂の域を出ませんよ」
「そ、そうですよね! 噂、噂ですよね!」
「ええ。噂です」
シロ先輩の声は平坦だった。ただ、ほんの少しだけ、口の端が動いた気がした。
セドリックは、不機嫌そうに僕たちを睨んでいる。バルナバスは、まだ静かに目を細めたままだった。
管理者が、重い息をついた。
「話は、ここまでだな。実はな、俺は、もう目星をつけている」
「目星、ですか」
「事件の前日から、この城に出入りしていた商人の2人組がいる。封鎖が始まってからは、客間に留め置いている。今この城にいる唯一の部外者だ」
管理者は、背を向けて扉に手をかけた。
「それに、奴らの扱っている品が、品でな。ついてこい」
僕は、まだ頭の中に居座るフードの集団を振り払いながら、その背中を追った。




