ep044.『天真爛漫快活美幼女』
大変お待たせ致しましたm(_ _)m
探偵社の裏口――その手前の中空に渡った宗は、人一人抱えているとは思えない軽やかさで着地し、思いの外重さを感じない少女を隣に降ろす。
「ありがと」
「礼はいい」
なぜ、美雪を抱えていたのか、そしてなぜ直接『探偵』の下に渡らないのか。それは『渡り』には様々な制約があるからだ。
渡り先の状況もその制約の一つで、中がどんな状況か分からないまま渡ってしまえば、不都合な状況と鉢合わせたり、物や人と干渉して最悪の場合あの世に行くことだってある。
近場なら透視など術視をすれば済む話なのだが、薺が借りている寮から探偵社までは百キロ単位で離れており、霊力の消費量から考えて流石に合理的な選択とは言えない。
もちろんそれ以外にも幾つかの制約がある。例えば、
「お前、五十キロもないだろ」
初めて美雪を連れて渡りを開いた時、自己申告された五十キロ未満というなんともアバウトな数字。
薄々感じてはいた、というより見る限りでも彼女が五十キロに満たないということは猿でもわかる。妹と比較して考えれば、四十と少しが精々だろう。
「なんで急に体重?!」
「理由は今から説明する」
「そ、そう? それで?」
どうせ何かしら噛みついてくるだろうと想像していた宗は、話が逸れる前に先んじて説明の意思がある事を伝える。
毎度のようなこのやり取りに慣れ始めているのはいよいよだという気もするが、この駄弁兎は無駄なやり取りを挟まないと死んでしまうとでも思って深く考えないようにする。
「はぁ……重量の把握は渡りに影響するからだ。正しく理解していなければ失敗のリスクが増える。霊力も無駄になるしな」
渡りとは式神の力を借りる繊細な術であり、持ち物、数、形状、重さ、全てが軽視できない重要な要素となる。
重すぎても軽すぎても対象を見失う可能性がある。持ち物もそうだ。何処にどれが幾つ存在して、それがどんな形をしているのか理解している必要がある。
でなければ渡りの道中で、式神に持ち去られた際に気が付かなかったり、見失ってしまうかもしれない。それが物なら失くした程度で済むだろう。万が一人や憑代だったなら目も当てられない。
霊力の点でも、道の構築や通行料、目印や持ち物の保護などその用途は多岐にわたる。
仮にそれらがなかったにしても、渡り先で術を使うこともあるのだから霊力の浪費は控えるに越したことはない。
「一応聞いておきたいんだけど、失敗したら……どうなるの?」
「知ってどうなる? 二度と渡れなくなるか、永遠に渡り世を彷徨うかだ」
これもまた大きなリスクの一つだ。
調整に失敗して道が壊れたなんてことがあれば、最悪の場合、その道が使えなくなってしまう。
一度壊れた道は妹なら修復できるかもしれないが、無視できない時間と労力が必要になる。言わずもがな宗に修復する力はない。
「ま、前に測ったときは四十二くらい……」
「くらい?」
「四十二……でした」
小さな声でゴニョる美雪。
この期に及んで誤魔化そうとするとは、いっそ渡鴉にくれてやってもいいのではないだろうかという投げやりな対応が頭を過ぎる。
その思いを寸でのところで飲み込んだ宗は、せめて合理的な理由故の誤魔化しであってほしいものだと思いながら、代わりに聞く気もなかった疑問を溢したのだった。
「五十はどっから出てきた……」
「四十五以下とか言ったら、具体的な体重を予想されちゃうでしょ? 体のことを具体的に知られるのはなんかやだなって思って……」
これまでを考えればその可能性は限りなく低いのはわかりきっていたが、想定通りの下らない理由だった。というかだ、五十以下と言ったところで体格的に噓だとわかるのだから、無駄を察して自重するか、もっとまともな嘘を付いてほしい。それならばせめても敵を欺く能力があると評価できただろうに。
「俺は好奇心で何か聞くこともなければ、不必要とわかることを聞くこともない」
「そ、そういう性格なのは今はもう分かってるから!」
「なら一々『渡り』を掘り下げるな」
「聞かれたことはちゃんと答える。けど狐が実用的なことしか話さないことと、私が無駄話をするかしないかは別だから!」
「はぁ……」
無駄に自信と頑なさを感じさせる強情な言い切りに呆れて言葉もでない。
落憑の一件が過ぎた今、骨を折ってまでの長話はしばらくお腹一杯だ。なのでここは諸々の感慨も含めて溜息だけで返答することにした。
「狐だって何か誤魔化してるんじゃないの? 恩恵を使えば私の呪いを消せるんだよね? ならなんであの時言いづらそうにしてたの?」
「――」
「何も言わないんだ? そういうのがあるから聞いてみたくなるの」
口元に不服を露わにした美雪が、仕返しとばかりにまたぞろ面倒な話を持ち出してくる。腕を組みながら高くもない背丈で見下ろすような目線を送ってくるあたり、対等に言い返したとでも思っているのだろう。
本当に、この無駄話好きの穴掘り兎はそこら中の話を掘り下げないと気が済まないらしい。
「恩恵の使い過ぎで頭の中まで兎になったか? 掘り返すのは土だけにしておけ」
「そんな憎まれ口言われても逃がしてあげないけど?」
「チッ……」
逃げ場がなくなったとしてもこの件ついて馬鹿正直に話し合うのは憚られる。
初めてその話が出たとき、不要な誤解を避けるために噓をついた。要するに、一度噓を付いたからには押し通さなければならないということだ。そうでないなら最初から嘘など付く必要はないのだから。
「あの時は消耗していたからな、呪いは鎮めたが、手元が狂ってお前の腕が少し捻じれた」
「ひっ!」
故に宗は息を吐くように噓を重ねる。これもまた面倒事を避けるためなのだ。
自分の腕を確認して擦っている美雪には少しばかり悪いが、ここはあるはずのない過去に恐々としてもらうとしよう。
「幸い、お前自身の回復力のお陰で腕は元通りになった。仮に治らなくても妹なら直せる」
捕捉になるが、腕が捻じれた以外の話は概ね間違っていない。危害を加えてしまう可能性はあったし、妹がいれば即死や大きな欠損でもない限り治せるのも事実だ。
あの時のことは偶々変な方向に力が働いたというだけで再現性があるわけでもない。だというのに、どうしてわざわざ拗れるであろう話をする必要があるのか。なればこそ、この話は墓場まで持って行こうと宗は真実を胸の内に投げ捨てる。
「何にせよ五体満足でここにいる以上気にする必要はない。時間は有限だ。行くぞ」
「はいはい」
不利な話を半ば強引に切り上げる宗。そして何か隠しているだろうと察しているものの、信じると言った手前宗が話すまで待つことにした美雪は、それ以上の追及を止めることにした。
かくして有用と無駄を半々に語った二人は、裏口から正規の手順でビルへと入る。
向かう先は厳重なオートロックの認証を超えた先――『探偵』たちのいる最上階だ。
先んじて室長室の様子を視ていた宗は、出発前と同じ面子の中に見知らぬ人影が混じっているのを警戒しつつ、最奥にある部屋の扉を開ける。
「待っておったぞ!」
真っ先に二人を出迎えたのは威勢のいい幼女の声。しかし、快活な幼女とは裏腹に、最初の会合の惨事を知っている者たちの反応は明るくない。
辛うじて割り切っているであろう探偵だけが「おかえりなさい」と声をかけるだけで、他は心配そうに美雪を見ながら宗に対する敵愾心を露わにしていた。ただ、出発前と違い、憑代すら身に着けてない無警戒ぶりには少し引っかかるものはあるが。
――まぁいい。
無意味な敵意に思考を浪費している弱者は気に留めず、宗は仁王立ちで声を張っている幼女――もとい背の低いちんちくりんに目を向ける。
ツインテール、紫の瞳、丈の短い赤の和装。手には和装と同じような赤い和傘を持っている。丁度、騎士が相手を待ち受けるような立ち姿だ。
子供ながらに美しいと思わせる整った顔立ちと白磁の肌は称賛に値する。が、振る舞いと声色が子供のそれなので、いろいろと残念だというのが正直な感想だ。
――憑代は傘か。
容姿のことはさておき、注目するべきは内包されている魂の量だ。美雪ほどではないにしろ比較できるくらいには魂を溜め込んでいる。
探偵社――極一部を除けば所詮は弱者が寄せ集まっただけの組織。そこに属しているにしては不釣り合いなほどの魂がそこにはあった。
「え!?」
驚く美雪を他所に宗はいつでも恩恵を発動できる準備をし、この見知らぬ幼女を警戒する。
なぜ強者を隠していたのか探偵を問いただすべきか考えていた時、他ならぬ目の前の幼女がその答えを口にした。
「わっちはヨミという。『神童』の方が通りが良いかもしれんな? ともかく、探偵社で用心棒兼、相談役をやっている者じゃ」
まさかとは思ったが、こんなのがあの神童だとは俄かには信じがたいものがあった。
憑神遊戯を知るものなら名を知らぬものはいない『神童』。確かに通り名には"童"の文字がある。不老である可能性についても探偵から聞いていた。だがそれでも、ここまで幼いとは想像できなかったのだ。
何せ不可解である。
もし、彼女が不老なのだとしたら幼いながらに憑代を手にしたことになり、そんな彼女がこの場に立っているのは憑神遊戯の特性上、不可能と言っても過言ではない。
子供は純粋な願いを抱きやすく、最も大切なものを作りやすい。
これらは憑神遊戯において何より重要な資質だ。しかし、同時に致命的な欠点がある。それは、器が伴っていないことだ。
幼い子供が憑神となった場合、あまりにも小さな願いか、人には成せない"願い"に二極化することが多い。前者は話にならないので省略するとして本題は後者の場合だ。
器が伴っていない――噛み砕いていうなら憑代に知識が追いついていないと言い換えられる。彼らは呪いを顧みず心の赴くままに恩恵を使い、器に不相応な力を災害のように振りまく。必然、強者や知恵者の目に留まり、そう長くないうちに憑神遊戯から脱落することになる。
つまりだ、小さな願い故に探偵社に保護されたというのが無理のない筋道になるはずなのだが、如何せん神童に限ってそれはあり得ない。
だからといって成せない願いを抱きながらも、並みある強者を退けてきたと仮定するには保有している魂の量が少な過ぎる。その程度の強さで憑神遊戯で最も恐れられるうちの一人に数えられているのはこれもまたあり得ない話だ。
だが、目の前の幼女が『神童』と呼ばれているのは事実。それが噓でないとして、通り名に恥じない強者だとするのなら考えられるのは魂の譲渡。しかし、後回しにできる程度の願いが"願い"足るわけもなく、例え"願い"だったとしても、魂を譲渡するような利他的な子供が抱くような"願い"では憑神遊戯を生き残れない。少なくとも宗の知る長い歴史の中で、そんなことは一度も起こっていない。
「ヨミさん?! 帰ってくるのはもっと先だって言ってたのに、いつ帰ってきたんですか!?」
宗が短い熟考をする間、うずうずしていた美雪が我慢できないと言わんばかりに幼女を抱き上げ撫で繰り回す。
「こ、こ、コレ美雪!」
恥的生命体の前以外では見せない緩み切った表情の美雪。それを見るに神童相手には相当に気を許しているのが伺える。
何かしらの恩があるのか、はたまたそれだけの関係値故なのか、
――あるいはその両方か。
探偵社と積極的に殺し合いをするつもりはないが、一つ見極める必要が出てきた。
敵対することになった場合神童はどちらにつくのか。
親し気にしている少女は神童を手にかける覚悟があるのか。
「おお落ち着け美雪! 殿方の前でこんな痴態を晒されては嫁の貰い手が無くなってしまうだあろう?!」
「ヨミさんなら誰でも貰ってくれると思いますけど」
「この惨状を見て娶ろうとするなら、それはそれで問題じゃろうて……」
美雪に抱きしめられて撫でまわされている光景が、宗の伝え聞く『神童』像と憑神遊戯の定説をボロボロと崩し去っていく。
「お主も何とか言ってくれんか?」
「――」
「無視じゃと?!」
揉みくちゃにされながら宗に助けを求める姿は、どう見ても小学生未満の幼女なのだが、彼の『神童』の名は宗が生まれるよりも前から轟いている。
もしこの見た目で探偵より年上となれば、少なくとも三十年近く憑神遊戯に身を置いておきながら、呪いに呑まれるでもなく、願いを見失うでもなく生き残ってきたわけだ。
――恩恵よりも知識と経験の方が厄介かもな。
やっとのことで美雪を引きはがした神童は、ボールを投げ返してこない宗との対話を諦め、乱れた和装を直しながら代わりに美雪へとボールを投げる。
「連絡はつかんし、娘っ子を拾ってから半日経っても帰って来んし、何かあったのではないかと心配したぞ?」
「色々あって……」
「なるほどなるほど……どうやらわっちも主らも語らなければならぬことがあるようじゃな。しからば先ずは報告会じゃ!」
何度も大仰に頷いて見せる神童が最もな提案投げかける。
美雪も含め、意見を述べる余地すら見せずに視線が宗に集まったことを考慮すれば、神童の信頼と発言力は本物なのだろう。
「お主もそれで良いじゃろ?」
『神童』という探偵社が強者に対して出せる唯一の切り札。そして伏せ札は宗たちが帰還するタイミングでめくられた。
偶然と言うにはあまりにも出来過ぎている。『神童』が成した妙か、あるいは『探偵』の計らいか。
――いいだろう。
どちらの思惑でも構わない。
考えれば考えるほど不可解な『神童』という存在。しかし同時にこの謎多き憑神の腹を探れるチャンスでもあるのだ。
「ああ」
「そうこなくてはな!」
不利な立場にありながらここまで生き残ってきた『探偵社』――その大した立ち回りを見せてもらおうではないか。




