ep040.『狐と姫』
宗は依然として狂信者と戦う美雪の下へ向って走っていた。
――相変わらず基点の多い結界だな。
広範囲に幾重にも重ねられた結界を苛立ち交じりに視やる。これのせいで"渡り"を開けないだけでなく、霊視や遠視なども制限されてしまった。
解魂衆は各所に作った基点を使い、式神の召喚、結界などの術を簡易的かつ迅速に行使している。周囲の結界についても本来であれば要となる術者がいなければすぐに崩壊してしまうのだが、国家という力でコストの高い基点を大量に作り、半ば強引に持続性を持たせているのだ。
つまり、美雪が狂信者を倒したとしても結界の解除は見込めない。だからこうして仕方なしに足を使って救援に向かっているというわけだ。
赫腕を還してからそこそこの時間走り続け、そろそろ倉庫区が見えてきそうなところまで来た時だった――不意の轟音が宗の鼓膜を殴りつけた。
――美雪か! コン!
轟音の元で設置されていであろう基点がなくなったのか、結界が吹き飛び視界がクリアになる。同時に美雪のもとに即座に渡りを開く。
結界の無力化が一時的だった場合それなりのリスクを背負う羽目になるが、美雪を失うリスクには変えられない。
――ギリギリだったな。
宗の判断に間違いはなかった。
目の前には巨大な骸骨を従えた憑姫。
すぐ後ろには一糸まとわぬ白兎が目にハートを浮かべている。
初めて出会ったあの夜を彷彿とさせる状況。前回と同じく冷汗をかくような気分にさせられたが、大きく違うのは後先考えずに戦いを挑んだ結果はなく、協力の意を成す為に身を挺して己の本分を全うしたということ。
「やっと来たぁ~」
無理を通して互いの"願い"の為に死力を尽くしてくれた彼女には感謝せねばなるまい。
多少"削る"事になるのも構わず、宗は恩恵を持って少女の中で暴れる呪いを捻じ伏せる。
「――――」
突然姿を現わした黒装束の男を見て驚いた様子の憑姫を他所に、宗はいつも身につけているパーカーを渡りの応用で疲れ切った少女に移す。着せたパーカーのフードを適度に丸めてクッションを作り、体に出来るだけ負担が掛からないようにそっと横たわらせる。
「思った通り紳士的なナイトさんね。それとも『黒狐』と呼んだ方がいいのかしら?」
動揺は一瞬だったようで、無防備に背を晒す宗に気軽に言葉を投げてくる。ただ、仕掛けてくる様子はない。
実際、目に頼らない宗にはその手の隙などないのだから正しい判断ではある。だが、その態度は警戒というよりは戦う気がないようにも思えた。
何にせよ手を出してこないのなら丁度いい。降って湧いた時間で宗は周囲の状況を確認する。
――死骸は……狂信者と解魂衆、それと赫腕の贄に使われた徒人か。
徒人の死体は分かりやすい。殴られ、刺され、潰され、千切られ、どれが誰で、誰のものだったのかは分からないが前者の死体――もとい、残骸よりは判断がつく。
廃校と同じく圧倒的な一撃で凪ぎ払われたであろうものと、凄まじい力に圧殺されたもの。周囲にある狩衣の残骸がそれらがかつて何者だったのかを辛うじて示している。
だが注目すべき点そこではなく、まるで爆撃にでも遭ったかのような戦闘の痕跡だ。
今回、憑姫は敢えて破壊的な攻撃を行わないようにしている。遠目に見聞きした空気が爆ぜる音は美雪のもので、周囲の有様は彼女の仕業だと判断できる。
それ以外には何かを掴もうとしたかのような円形に抉れた地面の跡。骨のデカブツの手の大きさと一致するのはこれだけで、憑姫が動いたと思われる唯一の形跡だった。
仮に、憑姫に美雪を殺すつもりがあったのだとしたら、狂信者と美雪をまとめて潰せばいい。だが彼女は、美雪というリスクを承知の上であえて狂信者の方を先に殺した。加えて、美雪に対して範囲攻撃を仕掛けた形跡はない。
――美雪を生け捕りにする必要があった……目的は交渉か。
これだけではあの小うるさいウサギに突かれてしまう程度の憶測止まりだ。しかし、間違いだと切って捨てるには無視できないほどの状況証拠であるのも事実。
振る舞い、口調、戦闘――どれをとっても憑姫が短略的な考えで行動しない人物であることを示唆している。
美雪の攻撃を凌いでこれだけの余裕を残し、そのうえで現状の探り合いとなると、彼女もまた美雪に協力者がいると推測していた可能性がある。であれば、普段の行動範囲を離れて遥々ここまで来た理由にも合点がいく。
――情報が足りないな。
憑姫の目的は交渉、協力、服従のどれかである可能性が高い。
しかし、美雪を盾にそれらが行われようとしていたことを考えると平和的な内容である可能性は低いだろう。だが、最も願いに近いとされる憑神が獲物を逃してまで選択した理由には興味がある。
「呼び名は好きにしろ。ただ認識は改めろ――俺はナイトじゃない」
真相を確かめるためにも、安易な行動は避け相手の出方を伺う。
運が良ければ、互いの行動が互いにとっての利益になる可能性がある。
「あら、それは失礼。それで……次のダンスはあなたがリードしてくれるのかしら?」
しかし、憑姫の答えは曖昧で真意は見えてこない。というよりは上手く隠している若しくはあちらも宗を探っているというのが正しいだろう。
「なぜコイツを助けた?」
だから宗は確信に迫る問いを投げる。
「そうね……確かにお友達になりにきたわけじゃないわ」
「――――」
この後の答え次第で宗はすぐさま行動する必要がある。
一本しか使っていない今の状況で美雪も守らねばならない。ともすれば僅かなミスも許されない。
いつになく意識を尖らせ、宗は憑姫の言葉の先を待つ。
「強いて言うならあなたたちをこの目で確かめたかったから、かしら」
続く言葉も敵かそれ以外かを判断できないもの。
まさか、本当にただ確認しに来ただけ――なんて事はありえない。少なくとも彼女は恩恵を使用しているのだから。
恩恵には強さに見合った呪いがつきものだ。美雪相手にこれほどの余裕を見せているとなると、如何に軽い類の呪いだったとしても相当な代償のはずで、そのデメリットに見合ったリターンを狙ってここまで来たはずだ。
「あなたの力を試させてくれる?」
今の言葉を聞くに、確認しにきた意図は宗たちが脅威になる力を有しているか否か。しかしそう断ずるにも合点がいかない。
――かなりの量だ。
憑姫が身に纏う(・・)憑代――そこに保持されている魂の量は美雪を以て半分程度といったところか。
そう、"願い"に届くであろう彼女がわざわざ遠くに出向いてまでリスクを取る必要などないはずなのだ。
にもかかわらず、骨のデカブツは腕を広げ異様な音を響かせながら宗たちに迫ってくる。
「チッ、やむを得ないか」
憑姫と戦うのは宗にとってデメリットしかない。
デカブツを観察して分かったことだが、彼女の本領は防御にある。防御に徹した彼女を倒すとなると最悪二本でも足りないかもしれない。
それだけじゃない。彼女はまだ奥の手を隠している。その手札を切られれば本格的に三本必要になるだけでなく、こちらが倒す直前、殺られる前に魂を捧げ"願い"を叶える可能性もある。そうなれば、文字通りの骨折り損だ。
だからこそ、現状最もコストが低い方法で逃げさせてもらうことにした。
「――!!?」
宗は狐面にかかっている認識阻害を完全に解除する。
『面逢わせ』と呼ばれるそれは、宗の持ちうる手札の中では効力と代償を比較して、最もコストパフォーマンスに優れている。反面、この手札は周囲に無差別に影響を及ぼすだけでなく、気付かれたくないものに感づかれる可能性がある。そのため使いどころは考え慎重に考えなければならない。ただし、今この時のように対象を限定できている状況が既に用意されているならばこれほど使いやすい手も他にない。
今頃、憑姫は真正面からアレと対面しているはずだ。
それは、矮小な者であれば半永久的に無力化できるほどの影響力がある。が、憑姫ほどの相手ともなればそうはいかない。恐らく待っている展開は弁明の余地もない程の敵対だろう。
それでも隙は作れる。狂乱するか恐怖するか、どちらにしても一瞬でも間があれば渡りを開くには十分で、場所も距離も対象も、一本使っている今ならそれなりの余裕がある。
憑姫の変化を確認して、動く。そう思ったのだが動揺したのは宗の方だった。
「――!!」
今までこれを見て取り乱さない者はいなかった。
だが、女には狂乱も恐怖も、僅かな動揺すら見てとれない。何の変化もないのだ。
「――…………貴重な体験をありがとう」
憑姫は短くそれだけを言った。
この瞬間、宗の警戒は最大以上に引き上げられる。
――この女、関係者かッ!
もしそうなら全力をもって目の前の女を消さなくてはならない。そしてそれは何においても優先される。
焦る宗だが、その焦燥は狐面に宿る忌々しい存在、そのクツクツとした笑い声によって否定されるのだった。
――なんだ、と……?
アレの機嫌が妙にいい。それだけで宗はことの理由に思い至る。
つまるところ、目の前の女が一切取り乱さなかったのはアレに気に入られたかあるいは見逃されたからということだ。
――ッチ、節操なしが!
などと強がっても宗の中の動揺が消えることはない。
なにせ、こんなことはもう二度と起こらないと思っていた。
アレに気に入られた初めての美雪。
アレを見ても動じなかった傍観者。
どちらも紛うことなき例外である。
アレと何かしら接点があるらしい傍観者は当然のごとく度外視するとして、その紹介とも言える美雪が気に入られたのはある意味では必然と言える。
しかし、何の繋がりもない憑姫相手にこうなったのは直接見た今でも脳が結果を拒否している。
彼女は一方的に気に入られた美雪と違い直接アレを見たのだ。
アレに気に入られたからといって、アレを見て正気でいられるかは話が天と地と程違う。
万人が恐れるような存在を、魂が拒否するような超常を前にして、彼女はそれが在ることを受け入れた。それは最早、宗の理解の範疇を超えていた。
「あなたの事も知れたし、収穫としては十分ね」
絶句している宗を他所に、憑姫はおもむろに組んでいた右手の平を出した。
そこに塵のようなものが集まり徐々に何かを形作っていく。
やがて人骨の一部と思われるものが出来上がると同時に、髪と目が黒く染まり宝石のような眩い美しさは鳴りを潜めた。しかし、ともすれば妖艶で、吸い込まれてしまいそうなそれに美しさの差は無いように思える。強いて重要な差と言えばそれは、恩恵の発動を停止したという事実だろうか。
――チャンス、か……。
先ほどとは打って変わって今度は憑姫が無防備を晒す。
だが宗は手を出さない。狐の気まぐれがどう転ぶかわからないのもあるが理由はそれだけじゃない。
――……。
恩恵で強化されている宗の霊視に、恩恵を解いてなお彼女を護り続けている巨神の残影がぼんやりと映っている。
「――――」
立ち尽くす宗をよそに、憑姫は手慣れた様子で骨の憑代にチェーンを繋いでいる。
禍々しいネックレスを首にかけ、骨部分を開いた胸元に押し込む。
埋もれた骨はすっかり見えなくなり、ただ美しい女性だけが目の前に残った。
「その子を助けてあげたことについては貸しってことにしておいてあげる」
背を向けると同時に肩にかかった優美な長髪を払い、カツンとヒールの音を響かせながら月明りの届かぬ闇へと向って歩いて行く。
今の宗では勝てないことも、憑姫を倒したところでメリットがないことも彼女は知っている。否、アレから教えてもらったというべきか。
どちらにしても、立場上不利な宗に彼女の言葉を拒否する権利はない。
「最後に一ついいかしら?」
歩き去ろうとしていた憑姫がふと立ち止まった。
「これは興味本位なのだけど、遭えば最期、出遭ってはいけない憑神と恐れられる『黒狐』を前に生きて帰れたのは、その子を抜いたら私が初めてだったりするのかしら?」
肩越しに何を問うかと思えば、どちらの益にもならない無意味な問い。満たせるのは彼女の言う通り好奇心くらいだろう。
憑神遊戯以外に割く時間はない。しかし、敵対行動をとった事に目を瞑ってもらった以上、こちらも最低限の誠意を見せるべきだろう。
「俺を前にと言うなら、少なくとも二桁はいる」
奴らを除けば憑姫は有数の強者だ。有益な関係にならない可能性が高いからといって邪険に扱うのは愚かと言わざるを得ない。それに、これくらいの情報なら漏らしても問題ない。結局のところ、アレに干渉できるものなどいるはずもないのだから。
「そう、残念だわ」
予想していた答えだったのか、それとも端から大した関心がなかったのか、宗が答えの全てを述べる前に静かに話を区切った。
口では「残念」などと言っているものの、その表情に落胆の色は伺えない。
向こうが会話を切ったのだからこのまま話を終えてしまってもよいのだが、一貫して余裕を崩さない憑姫を前に、なぜ彼女が気に入られたのかふと興味が湧いてきた。だからこちらも興味本位とやらに倣ってすでに終わった問いに不要な答えを投げる。
「アレを前にと言うなら、4人目だ」
「――?」
振り返った彼女は驚きと困惑が混じっていたようにきょとんとしていた。
ふと見せたその表情は、どこかいたいけな少女のようにも見えた。
僅かな空白の後、憑姫はそっと瞳を閉じる。
「ふっ」と、思わず零れてしまったように微笑みを残し、今度こそ振り返らずに夜の闇の中へと消えていった。
「終わったか」
ふとした勘違いで始まった落憑の救援。数あるイレギュラーの中でも最大の脅威が去り、長夜にあるべき静けさが戻ってきた。




