ep017.『失くしていく』
「ちょっと宗! 無理やり眠らせるなんて酷いんじゃない!?」
妹の部屋に来て早々に馬鹿がモノ申してきた。
「文句があるのはこっちだ馬鹿が。おま――」
「――ムン!?」
馬鹿は良いのにお前呼びはダメなのかと疑問に思う宗だが、思えば馬鹿という自覚はある、あるいは馬鹿であることを認めてるということなので、変なところで突っかかるのも馬鹿が故だと納得することにした。
「……花の無駄話のせいでウサギに小言を言われる羽目になったんだ。次からは話を聞かずに俺の判断で、否応なしに黙らせる」
「そんなの暴力だよ! あと無駄話じゃない!」
ラビットフットは辛くないか? 大丈夫か? などと、今どうにもできないことを延々と話すことのどこが無駄じゃないのか宗には分からない。
「暴力? これのことか?」
指先に灯した狐火を見せてやる。
「それはガチの暴力!?」
急いでテーブルの裏に隠れる馬鹿。
「炙られたくなければ大人しくしてろ」
「じゃあ、ゆきちゃんがどうだったか教えてよ……」
「『じゃあ』ということは交換条件だな? 教える代わりに炙りは甘んじて受けてもらうぞ?」
掌全体から一メートルくらいの狐火を見せてやる。
もちろん見かけだけの張りぼてだ。実際にそれだけの狐火を出すなら二本は必要になる。
「それは死んじゃうよ!?」
「冗談だ。この後ラビットフットがお前に会いに来る予定だ」
見せかけだけの狐火を握りつぶし、騒がしい珍獣の鎮静化を試みる。
「え!? ゆきちゃんに会えるの!? ってことはお家に帰れるの!?」
無理だった。
「ああ。お――花たちの話が長引かなければ、明日の昼には帰れるだろう。記憶を弄るのには時間が掛かる。話す内容は最初に決めておけ」
ウサギ次第でもあるがそれなりに時間は掛かるだろう。そしておそらく話は長引く。
それは、ウサギと馬鹿との短いながらの付き合いで十二分にわかった。
「そっか……記憶、消しちゃうんだよね。なずちゃんも、宗のことも、忘れちゃうんだよね……」
「そうだ。それが互いのためだ」
つけ離すような宗の言葉は花には冷た過ぎた。
もちろん宗にそんなことがわかるはずがない。
宗は忘れることこそ最善だと思っている。なぜなら、死んだとしても悲しむ相手がいないのだから、それは不要な悲しみが流れないということだからだ。
だが、花にとって忘れることは死よりも辛いことだった。花にとって死は別れで、忘却こそが本当の死だからだ。
だから強く想ってしまうことは仕方のないことだった。
友達を忘れたくない、と。
「宗は、私のこと嫌いだもんね」
少しだけ不貞腐れたような顔をした花。
それは、珍しく彼女が落ち込んだ顔だった。
宗はそれに気付かない。気付けるとしたらきっと家族くらいのものだろう。
「勘違いするな。誰であっても慣れ合うつもりはない」
憑神はいつ命を落とすか分からない存在だ。憑神同士の殺し合いである魂奪戦はもちろん、呪いや恩恵による自爆、さらには解魂衆にまでつけ狙われるのだ。
ゲーム参加者が徒人と繋がりを持つ方が無責任と言える。
それにもし、願い半ばで倒れることがあれば、それは花を守れる者が居なくなるということだ。
ラビットフットが守るといってもそれは憑神や解魂衆からが限界で、それにしたって、同格以上の憑神や代行者から守るのは不可能だ。それらよりも遥かに強い管理者側などもってのほかだ。
そもそも、ラビットフット自身も最後まで立っていられるかは分からないのだ。
仮に願いを叶えて徒人に戻るとしたなら、それは狩る側から狩られる側になるということを意味する。
つまり、花を守り続けるなら、憑神であり続けなければならないということだ。
――憑神遊戯が続く限りな。
そんな憑神たちの苦悩など想像もつかない花は、自らの想いを口にせずにはいられない。
「でも、忘れたくないな……」
――それは叶わぬ願いだ。
「どうなるかは話したはずだ」
「それでも、嫌なものは嫌だよ……」
「自分を大切に思ってくれる人たちを危険に晒したくはないだろ」
「――」
ずるい言い方だがこれしかなかった。想いの強さが何を招くかを知っている宗からすれば、そちらに意識を向けさせること自体が避けなければいけないことだ。
強い想い。それは己で貫き通す意志が伴わなければ利用されてしまう。憑神や解魂衆、そして最悪そして最悪、憑神遊戯。
――ラビットフットに出来る限り守ると約束した以上、ウサギが知り得ない分野こそカバーが必要だ……となれば脅すだけでは足りない、か。
恐怖は馬鹿にわからせる上で最も頼りになる方法の一つだ。
だが、この手の輩には効果が薄い。
「今までのことがなくなるわけじゃない。俺もナズも覚えてる。全てが終わったらまた関係をやり直せばいい」
だから宗はもっと別の切り口でアプローチすることにした。
それはみんなの目標ということにして安心感を与えてやること。
消えてしまうのが嫌だというなら、一時的に忘れるだけでまた思い出せると思わせてやればいい。
「約束だよ?」
――多少は効果があったか。
昔の宗なら罪悪感を覚えただろう。だが、今の宗はその手の感情があまりない。だから、嘘でもなんでも淡々と記憶の消去という目的に向かって話を進める。
「約束はできない。俺たちがやっているのは殺し合いだからな。だが生きていたらナズが会いに行くだろ」
そう、約束はできない。願いを叶えた後、叶えた誰かが必ずしも生きているとは限らない。
その者が憑代に己の命をも捧げていたのだとしたら、それは"願い"を叶えると同時に必ず死ぬということに他ならないのだから。
「宗は?」
「俺がそんな柄に見えるか? 生きていても会いに行くわけないだろ。ナズが行くんだ、会いたきゃそっちから来い」
それが可能かどうかの話はしない。あくまで生きていたらの話をする。
「そんな事ばっかり! ホントに会いに来てあげないからね!」
「構わん」
「あーもう宗嫌い! 可愛くない!」
――とりあえずは、いつも通りのやかましさに戻ったな……後はウサギに任せよう。
やれることはやった。何をどうしたって花の想いは花の物だ。それが例え救われぬ想いだったとしても。
であれば、説得は家族みたいな友達というやつに任せる他あるまい。
――本当に友達を守りたいなら、死に物狂いで説得して見せろ。
ここにはいないウサギに宗は一方的な試練を言い渡した。
「ゆきちゃんはいつ来るの!? 直ぐ?!」
「知らん。呪いの処理に時間がかかると言っていたからな。一応は二時間程度と聞いてる」
「え!? ゆきちゃんの呪いわかったの!? 何!? 寿命とか減ってないよね!?」
「本人に聞け!」
「いいじゃん! 知ってるなら教えてよ! ケチ! 人でなし!」
――このチンパンジーめ……。
危険な呪い以外にも、他人の口から話すべきではない内容があっておかしくはない。
後でわかるような事柄にあえて口を噤むことを選んだのだから、何か理由があるとなぜ思い至らないのか。
――これだから馬鹿は……いや待て、まさかウサギが来るまでこの癇癪が続くのか?
そう思うと途端に色々な気持ちが失せていった。
「やめだ」
「何が?」
――ペチンッ
「のわぁー!? ……スー……スー……」
「お前をどうにかしようとすることを、だ。いいから黙ってろ」
キョンシーのように顔面ど真ん中に札を貼られ眠りに落ちた少女に、吐き捨てるように会話の放棄を宣言した。
(――……――)
――ん?
突然ラビットフットから念話がつながった。
別れてからまだ二十分も立ってない。連絡が来るにしては早すぎる。
それに様子がおかしい。
(――狐さん……――)
もしやイレギュラーか。そう思ったのだが――、
(――はぁ……はぁ……――)
――ッチ!
宗は念話を切った。
ラビットフットには伝えていないが念話を切ることは可能だ。
「あの兎……普通考えるだろ」
とりあえず、相手のため、何より自分のためにしばらく念話を切っておくことにした。