ep016.『合否判定』
「――つまりタイマンなら絶対負けないってこと。散々馬鹿にしたんだから楽に死ねると思うなよ?」
恩恵で得た『ドッペルの血』の力で中坊は醜い化け物へとなり果てる。代わりに手に入れたのは圧倒的な力であり、それは相対する者にピンチとチャンスを与えた。
障壁に頼っていた時よりも高い防御性能とラビットフットの三倍の肉体能力。故に絶対負けないと豪語する。
発言から溢れる傲慢さを鑑みれば、相手は近接戦でラビットフットに勝てると踏んでいるようで、それはつまり、こいつは防御を捨てて攻撃に専念するということだ。
――ここだな。
何か仕掛けるなら警戒を捨てた今が最適だろう。
そう判断した宗は、認識阻害を解く瞬間を伺う。
「タイマン?」
一方のラビットフットは、聞きなれない言葉にクエスチョンを浮かべていた。まぁ、サブカルチャーに明るくないタイプの女子なら知らなくても無理はない。
殺し合いの最中なにを悠長なと思うかもしれないが、勝ち誇っている相手にはしばしば有効な手でもある。それに今回の場合、ラビットフットが知らなくても宗さえその意味を知っていればいい。
「一対一だバーカ。そんなこともわかんねーのかよ」
「一対一ね」
バケモノが漏らした致命的な情報を聞き逃さず、その瞬間まで油断なく敵を見据えるラビットフット。同時に恩恵で強化された耳が決定的な音を拾う。
「憑代を狙え。俺が隙を作る」
隠形で存在を消しながら口の中で作戦を呟く。あえて自分でも聞き取るのがやっとの声量に抑えたのは、これならば地獄耳にしか聞き取れないと判断してだ。
「やってみる」
「やってみるぅ? 煽ってんのか!?」
中坊が煽りとらえたラビットフットの『やってみる?』という発言。
あれはこちらに対する『やってみる』という了承の意だろう。
「さっさと死ねよクソ女!」
武も技もないがむしゃらな攻撃。だがそれで充分。
そんなことすら考えないでいいほどのスピードと破壊力。
しかし、それでも脚しかないはずのラビットフットに届かないどころか掠りもしない。紙一重、間一髪で蹴りも腕も全て避けられる。
当然だ。片手は憑代を持っているので使えない。仕舞おうにも、動きについてこれなかったボロボロの衣類が役目を果たせるわけもなく。
脚もまともに使えない、勢いを殺すこともできない。そんな相手が、このセンスの塊みたいな女を捉えられるはずがない。
「――――」
だが、ラビットフットもまた攻めあぐねている。
防戦に徹するこで時間は稼げても、反撃に転じることは難しい。仮に一発入れたとしても掠りでもしたらそれだけで致命傷だ。
避けて逃げて守るだけのラビットフット。
それを追うドッペル。
その超速の鬼ごっごが終わりが訪れるとするなら、それもまた一瞬のことだ。
――今だ。
ドッペルの攻撃が大振りになり、スマホを持つ左手がラビットフットに近づいたその瞬間。ドッペル対して元に戻していた認識阻害を完全に切る。
「――!!」
何かに恐怖したように、ドッペルの動きが一瞬だけ鈍る。
ほんの一瞬。瞬きにも満たない僅かな時間だが超速を常とする二人にとっては致命的な隙。
「――フッ」
短い息と共に放たれた右の兎脚が化け物の右手を防ぐ、同じくして伸ばした左の兎脚が化け物の左腕を一蹴。
攻防一体の開脚蹴り――不意の反撃を受けた左腕は決して手放してはいけないものを掴みそこない、憑代が宙を舞った。
「憑代がなくても――!!」
切り替えたドッペルがラビットフットを狙う。
この距離、この状況。戦いの中で生まれたラビットフット唯一の隙。そこへドッペルの渾身の一撃――巨石すら蹴り砕くラビットフットと同等以上の拳が迫った。
当たれば一瞬のうちにミンチになるであろう亜音速の拳が少女の六花のように美しい顔に、
――バキンッ。
届くことはない。
憑代を飛ばした先にいた真っ黒な狐が、その拳が少女に触れるよりも早く憑代を貫く。
ドッペルの拳はラビットフットの鼻にに触れるか触れないかの所でピタリと停止した。
あそこで拳ではなく貫手であれば、ラビットフットに届いたかもしれない。
だが、武を知らぬ中坊にそんな判断ができるわけもなく。
結果として宗の手が先に届き、彼の手は届かなかった。
卵頭の不気味な怪物はドロドロと溶け、地面に鉛色の液溜まりを残して消えていった。
その液溜まりを狐火で焼却する。
そして、それを見ているラビットフットは「ごめんね」と呟いていた。
罪悪感を感じているのか、遣る瀬無い思いが口からこぼれたといった感じだった。
狩る対象を絞っていた彼女としては今回の一戦は不本意だったのかもしれない。しかし、そのやり方では限界が来るのも事実。だが彼女の目に後悔の色が無いのを見るに、協力を機に覚悟を決めた、ということなのだろう。
「思ったより手こずったな」
何度かラビットフットにメリットがなく、なおかつ宗を裏切れば得する場面があった。しかし、彼女はそれを度外視して目的達成に最善を尽くした。
普通ならまず起こり得ない不殺不壊の魂奪戦。
さらには恐らく初めてであろう連携。
それでここまでやれるなら文句のつけようも無いというもの。
恩恵の相性も良い。
実に理想のパートナーだ。
――さすがは傍観者だな。
「それで、私は合格なの?」
腰に手を当て余裕を見せるラビットフット。
この程度なら呪いも大したことないのだろう。
恩恵の割にはつくづく軽い呪いだ。
「合格だ。詳しい今後の話をする前にドリル状の金属片を集め――てくれ。その後はまたあのビルの上に移動する。お前の話も含めてな」
「集めろ」と言いかけて止める。先ほど言われたばかりだし、不必要に中を悪くする必要はない。慣れあうつもりはないが、協力という面では対等なのだから多少は配慮すべきだろう。
「集めて"くれ"ね。了解」
宗が特に指示することもなく難なく破片を集めてくる。ラビットフットの地獄耳が桁違いに高性能なのは分かっていたが、ここまでの集音性があるのならば、あの不可視の銃撃の銃声は大丈夫だったのかと言う素朴な疑問が浮かんでくる。
今後の事を考えると、兎の恩恵や呪いについて詳しく知っておきたい。だがそれはこの後の話とやら次第で、現時点で互いに胸襟を開くというのは余りにも時期尚早というやつだ。
「これで全部」
――恩恵由来のものは奴らに感づかれる可能性があるからな。
兎が集めたドリル状の金属も狐火で焼却する。
これで、戦闘の痕跡は生垣や高速移動の跡だけになった。金属片のように恩恵でしか説明がつかないならまだしも、どちらも異常と言える程のものでもない。この程度であればアレらが寄ってくることもないだろう。
隠密の観点で言えば証拠は可能な限り消すに越したことはない。しかし、時間もないので今回は放置したまま屋上へと移動する。
「さてだ、先刻の通り先ずはお前の話とやらを聞かせろ。そこが食い違っていては今後の話も何もないだろうからな」
目を閉じて深呼吸。意を決したように口を開いた兎の要求は、当然と言えば当然の内容だった。
「花に会わせて」
やけに仰々しい溜めを作ったのは、大方、友人はすでに死んでいて、自分は良いように利用されている。そんな可能性を想像したからだろう。
「話はそれだけか? お前は話を聞かなければと言った、ならば後出しは無しだ。ここですべて話せ」
「それだけ。保護してるっていうのが嘘じゃないってことと、今後も花に危害を加えない、できる限り安全を約束するってことが前提だけど」
てっきり、条件――兎側のリスクを減らすような何か――の追加でもしてくると予想していただけに、落とし所をどうするか考える必要のない話だったのは助かった。助かったのだが拍子抜けでもある。
というのも、逆の立場なら間違いなく条件の訂正を持ちかけたはずだからだ。ともあれ要求がそれだけだというのだから、こちらとしては楽なものである。さっさと終わらせて目的《遊戯》に戻るのみだ。
「出来る限りだ。そして当然だがそれは俺の”願い”に影響しない範囲でだ」
「わかった」
人参は妹の部屋だ。隠行の出来る高位の陰陽師ならまだしも、色々と目のある憑神をノコノコ連れて行くわけにはいかない。なんの対策もしなければ妹が危険に晒されるだけでなく、宗の願いも潰える事になるだろう。
幸い妹の部屋にはどこからでも渡れるように術を組んであるのでそこら辺の対策は問題ない。ここからだと少し距離があるので、霊力が心許ないが、兎一人なら何とか連れていけるはずだ。
「お前の総重量は?」
「な!? なんであんたにそんなこと教えないといけないの!?」
「何の脈略もなく不必要なことを聞くと思うか? 渡るのは軽い方が良い。ついでに物も少ない方がいい。理解したか? 自意識過剰兎」
「あんたホント最低……もう! 全部含めて! 何もかも含めて! コンディションとか色々含めて五より下! これ以上は言わないから!」
――コンディションで体重は変わらないだろ。
というツッコミは心の中にしまっておく。何にせよ五十キロ未満ということはわかった。
「その重さなら行けるだろう。物は出来る限り燃やしていく」
肩を掴もうとしたその時、ラビットフットが一歩下がった。
「今すぐなの?」
「お前が会わせてと言ったんだろう」
「少し時間が欲しい」
時間次第だが妹が帰ってくるのは困る。
兎と馬鹿の再開劇に妹を巻き込むのは気が引けるというものだ。
「それは俺にとって都合が悪い。理由はなんだ?」
「……呪いが……その、落ち着くまで……」
確かにその理由なら仕方がない。ナズの部屋で始められる方が問題だ。
「どのくらい掛かる?」
「何もかも含めて……二時間? とか?」
――知らん。俺に聞くな。
「とりあえずこっちの事情は何とかする。お前は探偵社の、今朝と同じ場所で待っていろ。何もなければ二時間後に迎えに行く。これを持ってろ」
狐の毛で作られたストラップを投げ渡す。
「なにこれ?」
(――こういうやつだ――)
ラビットフットに念話を飛ばす。
「わぅ!? なに!? 声が耳に」
(――落ち着け。だからこういうやつだ――)
「これ――私はできるの?」
言いかけた言葉を呑み込んだラビットフットは、何やらしきりに耳を触っている。 十中八九、初めて経験する念話の感覚が慣れないのだろう。
「俺に話すようにイメージして心の中で会話してみろ」
(――こ、こう……? ねぇ……? ちょっと! ねぇ!? これできてるの!?――)
耳元でガンガンと大きな念でまくしたてられる。
――馬鹿かこの兎!
「できてるから落ち着け! 騒音兎!」
「じゃあ直ぐに答えてよ!! 初めてなんだからわからないでしょ!?」
――やかましいやつだ。それでできると言ったんだからできるに決まっているだろう。得手不得手や解釈の仕方に左右されるような話なら最初から説明しなければわからない。それがない時点で確認するまでもないだろ。
というクレームを寸でのところで抑えた宗は、どっと来た心労に従い、早急にこの状況からおさらばしようと対話を放棄するのだった。
「とりあえず、だ。互いに準備ができたら念話で伝える。いいな?」
「スマホじゃダメなの? これ耳元で囁かれてるみたいで気持ち悪いんだけど?」
――失礼な奴だな。
まるでこちらの声が気持ち悪いみたいな言い方だ。率先して中を悪くする必要はないと多少は気を使っていたのに向こうにはその気がないときた。これほど徒労に感じることがあるだろうか。言いたいことは山々だが、そこを突っ込んでも話が長引くだけになりそうなので、実害だけをこの馬鹿兎でもわかるように教えてやる。
「他の憑神にバレる可能性がある。探偵社にいるお前ならわかるはずだが?」
「はぁ……わかった」
――溜息をつきたいのはこっちだ阿呆兎。
「それと荷物は憑代以外は持ってくるな。服も中は着るな。渡る時の負担が増える」
「変態……」
――ッチ。
「変態はお前だ発情兎――コン」
――これ以上こいつに構ってられるか!
何かを言われる前にナズの部屋に渡る――もとい言い逃げをかました。
渡る直前に憤慨したラビットフットが見えたので、先ほどの失礼はそれをもって詫びとしてやることにした。




