19
「俺も一緒に行くぞ!」
おちょくられて頭に来たのか、サーラさんを睨みつけたまま、テリオは勢いよく宣言した。
「ええっ!?」
サーラさんは大袈裟なぐらいに驚いて目を見開いた。
「な、何言ってんの、アンタ! 本気? 正気?」
「ど、どういう意味だ! 俺が本を読んじゃおかしいのか!」
「おかしいに決まってるでしょ! 死ぬわよ!?」
「死ぬか!!」
そんなアホみたいなやり取りを、俺の目の前で始めてしまった。
サーラさんが決して馬鹿にしているのではなく、本気で心配しているのが少しおかしかった。
まあ、俺にもテリオが大人しく読書している姿なんて、あまり想像できないけど。
さすがに死ぬっていうのは、ちょっと酷すぎると思う。
まあ、でも、テリオの意気込みがどこまで続くか見てみたい気もした。
我ながら、少し意地が悪い。
『わかった。じゃあ、行こう』
「おう!」
心配そうなサーラさんに見送られ、無駄に意気込むテリオと共に、俺達は先生のテントへと向かった。
(先生、来たよ)
机に向かって調べ物に夢中になっている先生の肩を軽くたたいた。
「ああ、マーヤさん。待っていましたよ」
収まりの悪い頭髪を掻き回しながら、先生は無邪気な笑顔を見せた。
ふと、俺の隣にいるテリオに目を留め、おやという顔つきになり、僅かに目を見開く。
「どうしたのですか、テリオくん。珍しいですね」
「え、ああ。うん。お、俺も、本を読ませてもらおうと思って……」
「それはそれは、結構なことです」
先生はうんうんと感心するように頷いた。
「それで、どんな本を読みたいのでしょう?」
「え、ええと……」
途端にテリオはしどろもどろになり、視線を泳がせた。
『絵本でも読ませてもらえば?』
ニヤニヤしながらそう伝えてやると、テリオは顔を真っ赤にして文句を言いかけた。
「いやあ、さすがに絵本はありませんねえ」
事情を知らない先生は、のほほんとした口調で言った。
テリオは、ここで何か文句を言ったら負けだとでも思ったのか、ずかずかと本棚の一つに歩み寄った。
偶然にも、その本棚は、俺が普段から読んでいるこの大陸の歴史や地理に関する本が納められている本棚だった。
それを横目に見ながら、俺は先生に巫女服を手渡した。
「いやあ、すいませんね。お借りします」
巫女服を渡すと、先生はしきりに恐縮しながら、壊れ物でも扱うような手つきで受け取った。
どうせ、この巫女服に袖を通すことは無いだろうし、なんなら、ずっと預けてても良いんだけどね。
先生は、寸法を測ったり、色々な角度から眺めてメモを取ったり、ふんふん頷いてみたり、以前調べた時の記録と照らし合わせたりしている。
そんなに熱心に調べるような箇所なんてあるんだろうか。
まさか先生、よからぬ趣向に目覚めてしまったわけじゃないだろうな。
まあ、いいや。俺も本を読ませてもらおう。
先生の様子に一抹の不安を覚えながら、俺は本棚から先日読みかけていた本を取り出した。
先生のテントは、本棚が所狭しと並んでいることもあり、かなり手狭だ。
俺とテリオは隣りあわせで顔額を寄せ合うような感じで本を読むはめになってしまった。
「引っ付くなよ。もっとそっちに行け!」
そんな事を言いながら、テリオの奴は肘で俺を押してきやがった。
勝手についてきたくせに、こいつは……
「テリオくん。本を持ち帰って読んでも結構ですよ。ここは狭いでしょう?」
気を利かせてくれたのか、先生がテリオに言った。
俺も、そうしろとばかりに頷く。
「え、あ、いや……」
先生からの有り難いお達しがあったというのに、テリオは何故かしどろもどろになっていた。
「あ、後で返すのも面倒だから、ここで読むよ!」
「おや、そうですか」
先生は不思議そうに首を傾げたが、それ以上は特に何も言わず、自分の調べ物を始めた。
テリオの態度にイラっとしながらも、ふとある可能性が頭に浮かんだ。
まさか、こいつ、ひょっとして。
……いや、無いな。うん、無い無い。
俺は即座に自分の考えを否定した。
とりあえず、テリオのことは放っておくことにして、本を読むことにする。
最近の俺が読んでいる本の題名は、「イルベリア大陸全史』という。
俺が今いるこの大陸についての地理・風俗・種族・歴史などについてまとめられている本だ。
読み進めていくうちに分ったことは、俺や世話になっている劇団が滞在しているシノダは、現在はリスパニア帝国領ということになっているが、数十年前までは、その隣国であるサットン王国の領地だった。
しかし、サットン王家直系の血が断絶してしまい、リスパニア帝国の王様がサットン王家の血を引いているということで、リスパニア王がサットン王を兼任するようになった。
いわゆる、同君連合ってやつで、早い話が併合されたわけだ。
一般庶民にとっては、王様が誰になろうが、自分達の生活が変わらなければあまり関係は無いかもしれない。今よりも悪くならなければ。
だけど、ここシノダの場合は、少し事情が異なった。
併合前のシノダは、サットン王家ゆかりの貴族が治めていたが、リスパニア帝国領となって以降、リスパニア王家ゆかりの貴族が新しい領主としてこの街にやってきたわけだが、その領主の評判が芳しくない。
自身は酒色に耽り、政務の殆どを腹心の部下にまかせっきりにしているらしいのだ。
有能ならそれでも問題ないんだろうけど、これまた自分の地位を利用して私腹を肥やしているのだから始末に終えない。
特に街道の整備が殆ど行われておらず、俺を襲ったような野盗の類が数多く出没するようになってしまった。
街道が危険なので物価も上昇傾向にあり、街の人達の生活は、併合前に比べて苦しくなっている。
唯一、王族や貴族への発言権を持っているのはクルセーナ教の教会だが、そちらは多額のお布施をして黙らせているらしい。
どこの世界でも、宗教は金持ってる奴の味方ってのは、共通しているみたいだ。
そうやって、読書に没入していたわけだが、不意に肩に重みを感じて、俺は顔を上げた。
テリオの奴が、居眠りをこいて俺に寄りかかってきていた。
やっぱり、こいつには読書なんて無理だったらしい。
大見得切っておいて、結局、サーラさんの言ってることが正しかったわけだ。
腹が立ったので、奴の額にデコピンをくれてやることにした。
「い、いってええ!!」
目を覚ましたテリオは、額を押さえながら悲鳴を上げた。
「っにしやがるんだよ!」
『引っ付くな』
黒板に殴り書いて、憤慨するテリオの鼻先に突きつけてやった。
さっきのお返しだ。
「こ、この……」
「ふーむ……わかりましたよ、マーヤさん」
テリオが激昂して声を上げようとしたとき、俺達の事など我関せずと巫女服を弄り回していた先生が顔を上げた。
「マーヤさんが着ていたこの白いシャツと赤いスカートなんですが、これは巫女と呼ばれる、東方における神に仕える乙女の衣装のようです」
眼鏡のつるをくいっと押し上げ、自信ありげに言った。
「シャツの白は穢れ無き清廉な心を表し、赤は純潔を表すと言われています」
神道の巫女にそんな謂れがあったかどうかは知らないけど、こちらの世界ではそういうことになっているのかな。
「記憶を失う前のマーヤさんは、神に仕える乙女――巫女だったのかもしれません」
そういえば、記憶喪失という設定だった。最近では、殆ど忘れかけていた。
それに、格好が巫女だってだけで、中身はただの小娘だ。いや、男か。
「ぷーっ! こ、こいつが、神に仕える清廉な乙女ぇ~?」
ちっ、うっせーな。
そんな柄じゃないことぐらい、自分が一番よく分っているよ。
「しかし、そうなると、少し疑問が出て来ます」
先生の話は、まだ続きがあった。
「巫女の女性は、髪が長くなくてはいけません。でも、マーヤさんの髪は短い」
「格好だけってことだな。こいつらしいじゃん!」
デコピンの仕返しとばかりに、テリオは俺をからかい始めた。
そもそもこの外見自体、先輩が俺のロリコン趣味に合わせてでっち上げたものだ。
見てくれだけなのは、当たり前だ。
「しかし、ひとつだけ、巫女の髪が短くなるときがあったそうです」
ウザいガキは無視して、とりあえず、黙って先生の話を聞くことにした。
俺の知らない新しい情報が手に入るかもしれない。
「こちらでは、貴族の子女が行儀作法や花嫁修業のため、結婚適齢期まで修道院に預けられるということがありますが、どうやら、東方にもそういった習慣があるようなのです」
俺の住んでいた世界でも、中世時代のキリスト教圏ではよくあった話だ。
日本の場合だと、あまりそういう話は聞いたことが無い。
むしろ、権力闘争に負けたほうが出家したりさせられたりとか、戦国武将の奥さんとかが、旦那が死んだあとに尼さんになったりとかってのは割とよく聞くが。
でも、それと俺が短髪なことと、何が関係あるのだろう。
「巫女は結婚が決まると、髪を短く切ったそうなのです」
「け、結婚!?」
テリオが素っ頓狂な声を上げた。
俺もちょっと奇妙な慣習だと思った。
まるで、関取の断髪式みたいだ。
何か、理由でもあるんだろうか。
「洋の東西を問わず、髪は女性にとって命そのものです。その命を神の元に供物として捧げ、人の元に降るという意味なのかもしれません
へえー。それは、中々興味深いな。
「つまり、マーヤさんは、どなたかとの結婚を控えていたのかもしれませんね」
んー、面白い話ではあるけど、残念ながら、先生の推測は外れだ。
本当のことなんて、とても言えないけど。
「こ、こいつが結婚だなんて。そんなわけ無いよ、先生!」
確かに、そんなわけは無いんだけどさ。お前、何をそんなに向きになってるんだ?
「おや。それはどうしてですか、テリオくん」
「ど、どうしてって……」
先生の冷静な指摘に、テリオは口篭った。
お前、脊椎反射で口答えするクセ、どうにかしたほうがいいぞ。
そんなだから、サーラさんにからかわれるんだ。
「いずれにしろ、マーヤさんの記憶が戻らない限り、はっきりとしたことはわかりませんからね」
先生はそう締めくくった。
まあ、はっきりとしたことが分かる日は、永久に来ないんだけどね。