それは、どうしようもならないこと
いつの間にか、見慣れたという感覚が強くなっていた店内を見回して、雪之丞は瞬いた。
開店前の、こんな風に客が訪れる時間を待っている店の雰囲気が好きだった。
「ごめんね。お待たせ」
ぼんやりとそんなことを思っていた雪之丞は、奥から戻ってきたマスターの声に振り返る。
「雪ちゃんがいなくなると淋しくなるなぁ」
「勝手を言ってすみません」
「いやいや。最初から期間限定ってことだったしね。もともとは僕一人でも廻ってたんだから、仕事自体は大丈夫だよ。こちらこそ、随分割安で働いてもらっちゃって、」
「いえ。複雑な理由のために無理やり働かせていただいた形ですし、それは」
マスターは小さく苦笑して、小さな紙の束を差し出した。
「なんですか?」
「割引券。良かったら、今度はお客として食べに来てね」
「ありがとうございます」
ありがたく押し頂いて、雪之丞はぺこりと頭を下げる。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「こちらこそ、ありがとう」
正面から店を出て、雪之丞は大きく伸びをした。
また明日からは翻訳一本の生活に戻る。
それが当たり前だったはずなのに、どこか淋しい気がするのは何故だろう。
干渉的だと苦笑して、雪之丞は大通りに向かって歩き出した。
「あ」
大通り沿いを歩きながら、雪之丞はふと思い立って本屋に足を踏み入れた。
海外絵本の書棚へ向かうために、日本の絵本コーナーを横切っていくと、ふと雪之丞の目に、平積みになった絵本とCDの紹介ポップが目に入る。
「もう、発売したんですね」
ふと帯に目を落として、雪之丞は苦笑した。
『海外で話題沸騰。狂えるほどに愛おしい物語。限定版は読み聞かせCD付き』
以前、帯は担当者が作るのだと緑川がぽろりと漏らしたことがあって、それに従えば、これを作ったのは、あの若手新人という事だろう。
思わず取り上げていた雪之丞は、不意に腕を掴まれて、驚いて顔をあげる。
「あれ? 黄波戸、君?」
其処に立っていた人物に、雪之丞は目を瞬かせた。




