それは、おかしがたいもののような
喫茶店に足を踏み入れて、雪之丞は既視感に襲われた。
窓際の席に落ちる木漏れ日が揺れている。
外と中とを隔てる境界となる壁の御蔭で、室内は陽射しだけで暖かい。
「雪ちゃん」
ぼんやりとした耳に届いた声に、雪之丞ははっと顔をあげた。
「お待たせしました、青柳さん」
あの日と違うのは、彼女が一人だと言うことと、今日はとても落ち着いているということだ。
「大丈夫。私も、来たばっかりよ。何にする? お勧めは、ホットケーキセット。此処のホットケーキは凄く厚くてボリューム満点よ」
「では、それを」
「飲み物は?」
「珈琲を」
「私は紅茶」
青柳が手をあげる前に、テーブルに影がさす。
「お決まりですか?」
「ホットケーキセット二つ。珈琲と紅茶ね」
「畏まりました」
「さて、注文が来るまでに、少し話はしちゃいましょうか」
差し出された封筒に、雪之丞は微かに眉を顰めた。
「青柳さん」
「なんであれ、雪ちゃんの時間を私が買ったことには変わりないでしょ」
「お店の方からも、バイト代をいただいていますから」
「あら。でもそれ、正規金額じゃないでしょ?」
「これは、それ以上だと思いますが」
「大丈夫。社長に換算してもらったから」
あっさり答えて、青柳はにこりと笑った。
今日はいない、紳士然とした男が経営しているのは人材派遣会社である。
けれど、それが人材派遣会社に総括されるのかは、雪之丞には今もって疑問だ。
雪之丞が以前働いていた時は、それこそ偽装彼女や遠方に暮らす孫の代わり等、寧ろ役者のような仕事をしたものだ。
「そもそも、青柳さんの要求にこたえる働きをしたとは思えませんが」
「いいえ、十分よ。あの子、気持ちの整理がついたみたいだし。貰ってくれないと、もう雪ちゃんに物を頼めなくなるから、私が困るわ」
「あまり頻繁にこんなことを頼まれても困るんですが」
僅かに肩を竦めて、ため息を零す雪之丞に、彼女がぐっと封筒を押しだす。
「雪ちゃん、社長がね。君はあの言葉に見合う働きをしたんだよ。その分の対価は受け取らなければ、世界が回らない。ですって」
『これは、嘘を吐く仕事だけど、僕はこれが本当のことのために必要な嘘だと思っている。だけど、勘違いしてはいけない。僕たちは嘘をつくことを許されたわけではなく、必要に駆られて嘘をついている曲芸師なのだからね』
社長の会社で働くことになったとき、一番初めに言われた言葉で、彼女の依頼を受けたあの日のように、社長が思い出させた言葉が不意に浮かんで、雪之丞は苦笑した。
「解りました。ありがとうございます」
「それはこちらの台詞よ。私の我儘に付き合ってくれて、ありがとう」
封筒を取り上げた雪之丞に、彼女は屈託なく微笑んだ。
「お待たせしました」
「あら。ありがとう」
「本当に、大きいですね」
「でしょう? さ、暖かいうちに食べましょ」
湯気の立った厚いホットケーキを前にして、雪之丞と青柳は顔を見合わせてから揃って手を合わせると、フォークとナイフを取り上げた。




