それは、くちをゆるめる
食器の立てる音。
話声。
音楽。
店にはいろいろな音が響いているものだ。
居酒屋で揚げ出し豆腐を摘まみながら、春真は無意識に音源を追う。
と、不意に向かいの席の黄波戸が音を立ててグラスを置いた。
「黄波戸?」
「なんで怒らねぇんだよ、紅野!」
「何の話?」
「だから! 墨吉って人の事だよ!」
黄波戸に話したのは、雪之丞の本名と男だということだけだ。
それ以上は、話すこともないと思ったのだが、それだけの事実でも、黄波戸にはどうやら腹に据えかねるものがあったらしい。
「どう見たって女だと思うだろ! それを逆手にとって騙すなんていい度胸じゃねぇか!」
「騙すも何も、雪さんは自分が女だとは一言も」
「良いか!? あんな見た目だったら間違って当然なんだから、自分から『男だ』くらい言うべきだろ? 言わないってことは、悪意があったんじゃねぇか!」
「悪意って、」
「手玉に取ろうとか、恥かかせようとか、いくらでもあるだろ!」
黄波戸はどうやら雪之丞を思いの外気に入っていたようなので、騙されたという思いが大きかったのかもしれない。
それでも、
「黄波戸、飲み過ぎだよ」
「あぁ? 飲んでねぇよ」
「飲んでるよ」
自棄にハイペースな黄波戸は、すでに一升瓶の半分近くを一人で空けている。
とても酔っていないとは言えない量だった。
「雪さんに惚れかけてたなら、本当に気の毒だけど」
「馬鹿! そういうんじゃねぇだろ。お前が!」
勢いでそこまで口にしてから、黄波戸は舌打ちして視線を逸らす。
そこでようやく、春真は黄波戸の不機嫌の理由が、自分に起因しているかもしれないと思い至った。
「もしかして、心配してくれてた?」
「言っただろ。好い加減、刺されそうだって」
「言ったね」
「紅野は見た目が良すぎて、必要以上に恨み買ってるんじゃないかって思うだろ」
もごもごとした言葉に、春真は小さく笑う。
「流石、ヒーローだね」
「茶化すんじゃねぇよ」
「ありがと、黄波戸」
「馬鹿野郎」
照れたように黄波戸は視線を逸らした。




