それは、むきあうかくごをもって
本当に、嫌になる。
春真の驚いた顔を眺めながら、雪之丞は心中で一人ごちる。
此処で視線を逸らすことはできない。
退路は絶った。
だからこそ、此処で視線を外せば泥沼に嵌るだけだ。
ただ静かに、雪之丞は応えを待つ。
「それが、雪さんが聞きたかったこと?」
驚きが去ったあと、春真はそう言って微かに笑う。
返事を期待していないことは解っていた。
だから何も言わずにいると、くしゃりと春真が髪をかきあげた。
「身から出た錆、かな。こういう形で帰ってくるとは思わなかったけど」
「嘘は、聞きたくありません」
「だよね。俺もそう思うよ」
不意に袖口をまくり上げて、春真は二の腕まで露わになった両腕を雪之丞の方に向けて机の上に伸ばして見せる。
「俺はね、雪さん。家族が大切なんだ。その家族を繋ぎとめる方法が、ピアノだとずっと思ってきた」
春真の白い腕には、学生の手には良くある指輪の跡も、腕輪の跡も、ましてや腕時計の跡もなかった。爪は綺麗に短く切りそろえられた、それは美しい手だった。
「ピアノが中心に世界は廻っていて、その間だけは、俺は子どもでいられると思ってた。家族の庇護下にいることで、繋ぎとめてる気になってたんだから、愚かなことだよね」
春真は笑ったけれど、雪之丞は笑えなかった。
雪之丞に出来るのは、ただ聴くことだけだ。
「女の子達の声に答えるのは、嫌いじゃなかった。でも、それが応えには繋がらなかったんだ。俺は、俺を子どもだと思ってきたから。だからこそ、俺が子どもでいることを邪魔されたり、ピアノと引き離そうとされたりすることは、俺には受け入れられなかった。今は解るよ。なんて残酷なんだろうね。曖昧に笑って、その気にさせて、でも突き放すんだから」
腕や手に付ける装飾品は、何であっても春真にとってはピアノとの繋がりに亀裂をいれるものにすぎなかったのだろう。だからこそ春真は、潔癖にそれを拒んだ。
「一生懸命作ったから、どうしても受け取ってほしいと言われた。でも、つける当てもないものを貰っても造り損だ。それに、俺はそれを家に持ち込みたくなかったんだ。子供染みた理由だよ。ピアノにそっぽを向かれたくなかったんだ。そんなこと、有り得ないのにね。だから、欲しいと言った子に直ぐに渡した。自分のことに一杯過ぎて、人の事を考える余裕はなにもなかった。俺が愚かな子どものフリに嵌ってた。それだけの事だよ」




