#8
これで完結です。最後までお楽しみください。
その夜は夢のような一夜だった。香那紀は今年も憂鬱なクリスマスを迎えるはずだった金曜日の自分を思いやった。その時は館野の存在もたまに会議で出逢うだけの遠い存在だった。今はこうして隣で無防備に眠っている。香那紀にとっては奇跡のような出来事だった。香那紀は今幸せをかみ締めている。思わず笑みがこぼれた。ふと館野に目をやると眠っていたはずの館野が香那紀をじっとみつめている。香那紀は急にはずかしくなって顔を赤らめた。
「信じられないな。君がこうして俺の隣にいるなんて。」
館野はふっと少し真面目な顔になる。
「君のことずっと好きだったんだ。」
香那紀は今はじめて明かされる事実をきいて驚いた。
「え?いつから?私のことご存知だったんですか?」
「もう、その敬語やめてくれよ。仕事の場だけでいい。」
館野は少し微笑むと香那紀を引き寄せてやさしくキスをする。
「君をはじめて見たときからさ。2年ほど前かな、君がマネージャーに昇格して会議ではじめてプレゼンした時だよ。綺麗で頭が良くて凛々しい、颯爽としている君の姿に惚れたんだ。一目惚れだよ。その時からしょっちゅう君を見てた。前から笹本の存在は気になっていたけど、金曜日は偶然とはいえ休憩室でばったりあってこれは縁があると思った。だから少々強引だったけど仕事を手伝うことにしてしまったんだ。でも、君との仕事は楽しかったよ。おかげで仕事でもいい思いができた。」
香那紀はまだ驚いている。
「香那紀、君にもうひとつプレゼントがあるんだ。」
そういってベッドサイドの引き出しに手を伸ばすとリボンがついた小さな箱の包みを取り出した。その包みを香那紀の目の前にもってきて館野が照れくさそうに微笑む。
「サイズがあうといいんだけど。」
香那紀はどきどきしながらその包みを受け取って丁寧にあける。そこにはダイヤがはめ込まれた指輪がおさまっていた。館野がその指輪を箱から取り上げると香那紀の手をとり、そっと丁寧に薬指にはめる。驚くことにぴったりだった。
「ステキ!それにサイズもぴったり。どうして?」
「昨日の午前中にあわてて探しにいったのさ。だから、3時にしたんだ。ほとんど仕上がっていたから午後から来ても修正は間に合うだろうし。でも、なかなか恥ずかしかった。サイズ聞かれてわからないからそこにいる店員さんで香那紀の指のサイズに近そうな人を探して聞いたんだ。よかったよ。ぴったりで。」
館野はテレながらもうれしそうだ。香那紀はすごく感激して勢いよく館野に抱きついた。そして自分から館野にキスをした。館野ももう一度香那紀にキスを返す。出来ればこのままずっと香那紀をこうして抱きしめていたかったが、時間を見るとそうもいってられなかった。
「さあ、そろそろ支度しないとな、月曜から遅刻するわけにいかないし。先にシャワー使っていいよ。君の方が時間がかかるだろ?俺はすぐに支度できるから。」
そういって館野は起き上がってキッチンに向かった。
香那紀がバスルームから出てくると、コーヒーのいい匂いがした。
「コーヒーいれておいたよ。ブラックの濃い目だったろ?水をのみたいのなら冷蔵庫にはいっている。グラスは適当に使ってくれ。」
「ありがとう。」
香那紀は夕べはワインをたくさん飲んで少しほろ酔い加減だったのであまり気付かなかったが、館野の部屋は館野らしく上品な質のいいウッドの家具がそろっており、すっきりとしているがややクラシカルな感じもして落ち着いた佇まいだった。あまり生活観がないかと思いきや、キッチンは男の人の割にいろいろなものが揃えられていてよく手が入っている気がした。そんなことを思いながら香那紀は着替えて髪を整え、化粧をする。館野が出てくる頃には館野が入れたコーヒーを飲みながらくつろいでいた。館野は洗面所で身支度をととのえ、香那紀の前に再び現れた時には会社でいつも見る館野になっていた。香那紀はくすっと笑う。
「いつもの部長って感じ。」
「おい、いい加減その部長ってやめてくれよ。会社だけでいい。」
困ったように館野がいう。
「はい。じゃあ、真人さん。」
照れながらに香那紀が言い直す。
「そうそう、その調子。」
二人して噴出して笑う。
「さて、少し早いけどいくか。途中のカフェで朝食にしよう。昨日はなんにも用意してなかったからな。」
「ねえ、真人さんって料理するの?キッチンにやけにいろいろそろってるけど。」
館野が笑う。
「ああ、結構趣味のように料理はこるよ。今度お披露目するよ。」
「へえ、楽しみ。」
仕事以外の館野の顔がちらりと見えて香那紀はなんだかうれしくなった。香那紀にとってこの3日間のすべてが夢のようだった。
二人で館野のマンションを出ると歩いて駅まで行き、混み合う地下鉄にを経て、会社の比較的近くのカフェにたどり着いた。そこで朝食がてらもう一度コーヒーを飲んで、始業時間の15分前になってカフェを出て会社に向かった。香那紀は朝から館野と一緒に通勤していること自体が照れくさく感じていた。会社の知り合いに会うと館野と香那紀が一緒にいるのを見てみんな驚いた顔をした。香那紀はそのたびに小恥ずかしくなるのだが、館野は平気でいつものように普通に挨拶をする。それぞれのオフィスがあるフロアにくると館野が香那紀に振り返って言った。
「昨日、統括と繁野に連絡しておいたから今日のプレゼンは午後1時からだ。資料は5人分準備しておいてくれ。俺も行くから。」
「はい、わかりました。」
「じゃ、健闘を祈る。」
香那紀は黙って頷いた。そして館野はいつもの仕事の顔で自らのオフィスに入っていった。そのタイミングを見計らってか後ろから聞きなれた声がかかる。
「先輩、おはようございます!」
笹本だった。
「どうしたんですか!館野部長と仲良く朝から一緒だなんて。」
「おはよう。笹本くん。ちょっとね。」
少し照れたように笑う。笹本はその様子にいつもと違う雰囲気を読み取っていた。
「それでどうだった?マドンナとのデートは?」
笹本はぱっと顔を赤らめてにっこり笑った。
「その顔は大成功ね。よかったわね。」
香那紀が祝福する。笹本は満面の笑顔である。
「じゃ、コーヒーで乾杯しよ。休憩室で待ってて。荷物置いてくるから。」
そういうと香那紀はロッカールームに消えた。その時に笹本は香那紀の指に光る指輪を見逃さなかった。香那紀が休憩室に現れると笹本がニコニコして待っていた。
「麻生せんぱーい。先輩もいいことあったんでしょ?」
「え?」
香那紀はぎくりとする。
「なんのこと?」
「またとぼけちゃって。これ!」
笹本が香那紀の手をとって指輪を指差す。
「誰にもらったんですか。幸せそうな顔してますよ。」
香那紀がテレながら笑ってごまかす。
「もう、先輩ってばプレゼンの仕事で死んでるかと思って本当に心配したんですよ。いつの間に幸せになっちゃったんですか。聞くまでデスクに戻しませんよ。」
そういって笹本がくいさがる。
「あのねえ、笹本くん、あとでいいでしょ?始業時間よ。」
「だめです。教えてください。僕だってはずかしいけど先輩にはいつも報告してたじゃないですか。僕には内緒はないですよね。」
こうなると笹本は駄々っ子のようになって聞かない。諦めたようにため息をついて小声で言った。
「内緒にしてよ。」
そういうと香那紀は周りに人がいないのを確かめて言った。
「館野部長よ。」
「え?」
笹本は驚いて声を上げる。
「しっ!声が大きい。」
香那紀は笹本をしかりつける。
「それでさっき仲良くお話されてたんですね。またどうしてそんな展開になったんですか?」
「うん、それはまた、ゆっくりね。午後統括への事前プレゼンが済んでからにしてくれない?」
香那紀はそういうと笹本を促してオフィスに向かった。
午前中にもう一度チェックをすませた香那紀は資料を5人分コピーして、早めの昼食をとり、午後に備えた。指定された会議室で準備をはじめると急に緊張してきた。準備もととのったころ、会議室のドアがノックされる。香那紀が返事をすると館野が統括と繁野や関係者をつれて部屋に入ってきた。全員そろったところで館野がしきって事前プレゼンがはじまった。香那紀はあらかじめ用意したPCでスクリーンに資料を映し出し、落ち着いて話をはじめた。統括や部長たちは厳しくじっと香那紀の話に耳を傾けていた。自社でもともとインタープライム社に提案しようとしていた案件だけでなく、インタープライム社がデルメディア社へのアプローチから新しい戦略をすすめている内容に対して自社のあらたな提案の内容をぶつけたときには統括や部長からどよめきがでた。しかもそれによる自社の業績はもともと提案しようとしていた案件の倍以上の収益が見込める予想で、さらに将来的に積み上げると莫大な収益につながることを詳しく提示した。そのことにいたく統括が興味を示し、いろいろと質問をとばしてきた。それに対して香那紀は丁寧に詳しく応えていった。統括はしばらくじっと考えて、今週インタープライム社に商談日を設けていたが延期するように繁野に指示を出し、プロジェクトチームをつくってその内容で詳しくすすめることにした。そのプロジェクトチームには館野ともちろん香那紀が選ばれ、他に企画部のスタッフと営業企画部からは笹本が選ばれた。この4人のチームでインタープライム社の契約を勝ち取れるようすすめる運びになった。香那紀は驚いた。館野と夢のような時間を過ごせたばかりでなく、仕事でも自分が思っていなかった成功を収めることができたのだ。この朗報はすぐに営業企画部に伝えられ、みんなに祝福された。
「せんぱーい、すごいですよ。プロジェクトチームですよ!しかも僕も一緒だなんて!やっぱり先輩はすごい人ですね。尊敬します。」
笹本は手放しで喜んだ。
「まだまだ、これはスタートよ。インタープライムのビッグな契約を勝ち取らないと本当に成功とはいえないわ。がんばりましょうね。笹本くん。」
香那紀が先輩風をふかしてハッパをかける。
「はい。麻生先輩。」
うれしそうに笹本が返事をする。
「さあて忙しくなるぞ。」
笹本は意気揚々と仕事に取り掛かる。その様子に目を細めていた香那紀も自分のPCに向き直る。ふとメールがはいっているのに気付いてメールチェックをする。
『おつかれさん。すばらしいプレゼンだったよ。これからまたプロジェクトチームで一緒に仕事ができる。よろしくな。今日の成功に今晩祝杯をあげたいんだが、どうかな。』
メールは館野からだった。香那紀はくすっと笑ってキーボードを打った。
『ありがとうございます。館野部長のおかげです。喜んで今晩お受けいたします。』
そうして香那紀は送信ボタンをクリックした。
「メリークリスマス。奇跡のようなクリスマスをありがとう、真人さん。」
香那紀は心の中でそうつぶやいた。
THE END
最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございます。いかがでしたでしょうか。2006年12月23日に書き始めてイヴの間に完結できてよかったです。はじめは短編のつもりですごく思いつきのように書き始めたのですが、こんなに長くなるとは思いませんでした。(笑)なにはともあれハッピーエンドを書きたかったので、今は書き終えて満足しています。
是非、感想などいただけるととてもうれしく思います。