暗闇の中の遠吠え
ヤゴーが兵舎の扉にたどり着いたとき、爆発の衝撃音が闇夜を裂いた。
彼らは兵舎の中を突っ切り、そのまま二階へそして三階へ一気に駆け上がると、窓から城壁に渡された板を一気に渡り抜いた。一方アマンダは四つん這いになり足を震わせながらそろりそろりと板を渡った。
彼女が渡り終えたとき、アイルが階段を駆け上がる音が聞こえた。そして巨体が床を踏み抜く重低音も。
アイルが三階の窓に手をかけたとき、部屋の入口にオークがぬっと顔を出した。
アイルは窓から這い出て板に手をかけた。しかし、そのかかとを多くの太い腕が掴んだ。アイルは板の端を握りオークの胸を蹴ったが、その巨体はビクリともしなかった。ヤゴーが肩に掛けた弓を抜き叫んだ。
「伏せろ!」
「アイルが体を低くすると同時に、ヤゴーは矢を放った。オークの巨大な胸板に直角に矢が突き刺さった。しかしオークはその腕を話さなかった。ヤゴー間髪入れず次の矢を放つった。オークは3本目の矢を体に受けた時点で、耐えきれず腕を離し逃げ出した。
アイルは腰をかがめて板を一気に渡り切り、それを地面に突き飛ばした。板は暗闇に沈む石畳の地面に激突し、乾いた音を二度立てた。。
アイル達は胸壁から外にかけられた縄に手を伸ばすと、一気に地面まで滑り降りた。
次の瞬間、暗闇の静寂を耳をつんざく猟犬の甲高い遠吠えが切り裂いた。そのあまりに巨大な大音響は深い谷に幾度となく反響した。
アイル達は音のした北の方角を見た。
すると東北の城塔の奥からぬっと何かが現れた。
それは二十フィートをゆうに超える巨体の狼、フェンリルであった。
そしてその足元に集う雑兵たちの槍の穂先が篝火を反射してきらめくのが見えた。
暗闇の深奥から響く殺意の谺はやがて距離を詰めこちらに近づいてきた。
四人は侵入に際して降りてきた高台の崖下までたどり着いた。
ゲイルが最初に崖に取り付いた。ゲイルはアマンダを背負ったまま、細身の体と長い手足を生かして縄をするりするりと登っていった。
フェンリルの遠吠えが再び暗闇のどこか近くから響いてきた。それに続く敵兵の雑踏が闇夜の中を近づいてきた。
突如、ヤゴー達の真横から何かが飛び出した。アイルは目の端に白い犬歯の列を捕らえた。
遠吠えは囮だ。さかしらな犬の小賢しい手口だ。
猟犬はアイルの腹部を狙い飛びかかった。
次の瞬間、ヤゴーは一瞬のうちに長剣を抜き放ち、犬の首元を狙い素早く突きを放った。
剣は浅く犬の首筋を捕らえた。犬は体をよじって剣を躱すと、急激に方向転換し今度はヤゴーの喉元に飛びかかった。
ヤゴーは左腕で喉をかばった。
犬はその左腕に噛み付いた
犬は骨をも砕く勢いで顎を噛み締め、足を踏ん張り肉を引きちぎろうとした。その瞬間、ヤゴーはむしろ腕を大きく引きつけた。そして自らを軸に回転し遠心力で犬を宙に浮かせた。
身動きの取れなくなった犬はより顎に力を込めてヤゴーに食い付いた。
刹那、アイルは素早く動き犬の真横に飛びかかると。短剣を犬の左目に鋭く剣を突き入れた。剣は頭蓋を貫通し内側から右の眼球を突き飛ばした。
脳を破壊された犬は一瞬で死んだ。
「早く登れ!!!」崖の上からゲイルが叫んだ。アイルは片手で縄の橋をつかんだ。そして小柄な体躯を跳ねて一気に崖上までかけあがった。
そのとき暗闇から雑兵がその姿を現した。それは二体のゴブリンであった。
ヤゴーは迷わず左手のゴブリンに向かった。
そしてむき出しの細い首に向かって長剣を突き出した。
ゴブリンは幅広の短剣で剣を払い受け流した。
ヤゴーはゴブリンにより近接すると、右足で力いっぱい地面を蹴り上げた。
この暗闇の中で飛び散る土は不可視の攻撃であった。
ゴブリンの大きな目に土がかぶった。思わず手で顔を覆った。
ヤゴーはその指と指の隙間に長剣を刺した。
ゴブリンは目を潰して叫び声を上げた。
右手のゴブリンが上段に剣を振るってきた。ヤゴーは身を翻し飛び退いた。
ゴブリンは長剣を握り円盾を持っていた。だがその装備は細身のゴブリンには重すぎた。
鋭く右足を踏み込むとゴブリンは円盾を構えた。その盾に右足を蹴り込んだ。
ゴブリンはのけぞり尻餅をついた。むき出しの下腹部にヤゴーは素早く剣を差し込んだ。
その時はるか後方にさらなる敵兵の集団が見えた。
ヤゴーは長剣を振りかぶり勢いをつけて投擲した。そしてその結果を見ずに踵を返した。そうして縄を掴むと3歩で人の背の高さまで駆け上がった。
ようやく追いついたゴブリン共が、追いすがり長剣を足元に打ち込んできた。
ヤゴーは足を宙に浮かせて避けた。靴の底を長剣の刃がかすめコツンと音を立てた
ヤゴーは次の二歩で剣の間合いから抜け出た。そして突き出た大岩の庇に手をかけた。
次の瞬間、ヤゴーの左足に激痛が走った。見ると内ももに長剣の刃が突き刺さっていた。ゴブリンが投擲した剣だ。
足からずり落ちた長剣は回転しながら地面に落下していった。
アイルは更に勢いをつけて大股で岩をよじ登った。するとまた尻がなにかに突き上げられた。剣をもう一度投擲したのだろう。しかし今度は運良く柄の部分が当たったのだ。
ヤゴーはようやく岩の庇を越えた。ゴブリンの射線から逃れ、ヤゴーは一息ついた。そして縄を掴むと上に向かって言った。
「引き上げてくれ!」
ヤゴーはずりあげられる縄の勢いを利用してまた素早く崖を登り始めた。
しかし突如縄の動きがとまった。そして急激に下に引きずり降ろされた。ヤゴーは足を踏み外し、崖の途中で宙ぶらりんになった。
下を見ると、緑青と呼ばれていたオークが縄を掴み、崖から引き離すように引っ張っていた。縄は緊張して空中で一直線になった。ヤゴーは崖に取り付くことができなくなった。縄が結ばれた楡の木は大きくたわみ今に崖から引きちぎれんとしていた。
「縄を切れ!」ゲイルが上から叫んだ。
ヤゴーは胸元の荷袋を弄った。触り慣れた硬い柄に指が触れると短剣を引き出した。鞘は穂口にひっかかり闇に落ちていった。
ヤゴーが緊張する縄に刃をかけた瞬間、何かがヤゴーの左足に喰らい付いた。激痛と驚愕に顔を歪め足下を見ると、ゴブリンが大口を開け汚れた乱杭歯を太ももに打ち込んでいた。そして爪を立ててさらにヤゴーの体をよじ登ってきた。ヤゴーの左手が縄からずり落ち、摩擦で剥けた手のひらの血で縄が赤く染まった。片腕で体重を支えきれなくなったヤゴーは短剣を挟み込んで両手で縄を掴み直した。ヤゴーは脂汗を流し背中で息をしていた。その背中にゴブリンは上顎の犬歯を突き立てた。ヤゴーは激痛に喘ぎ右手の短剣を取り落した。短剣は櫓の赤い光を浴びて煌めきながら闇の中へ落ちていった。
その時楡の木が臨界点を超えてたわんだ。
次の瞬間、木は根本の土ごと崖からこそげ落ちていった。
一瞬の静寂のあと、闇の中でドスン、という小麦袋を床に叩き落としたような音がした。
「ヤゴー!!」ゲイルは叫んだ。「ヤゴオオオオオオ!!!」
続いて楡の木が地面に激突し滅茶苦茶に張り裂ける音がした。
静寂が闇の底を包んだ。
ゲイルはヤゴーの名を叫んだ。アイルとアマンダもそれに続いた。
やがて闇夜にオークの咆哮がこだました。
他のゴブリンもそれに続いた。
ゴブリンども嬌声をあげながら闇の底で"何か"を打ち付けはじめた。
金属が"何か"をえぐる、グロテスクな衝撃音。ヤゴーはくぐもった声を上げた。しかしやがて、声をあげなくなった。
ヤゴーは滅多打ちにされ肉塊となり死んでいった。
ゲイル崖の淵を震える手でつかみ闇の底を睨みつけていた。やがて首を振り、立ち上がり顔をそらして言った。
「ここから逃げるぞ」
そして闇夜の空に鋭く二回撤退の指笛を吹いた。
「すまねえ」ゲイルは小声でつぶやくように言った。そして踵を返した。
三人は森の中へ逃げ込んだ。




