第33話 幸せな平日、奇跡の石
お腹が痛い。
目覚めとともに込み上げてきたのは痛み。
胃がキリキリと締め上げられている様な痛みだ。
額に手を当ててみればいつもより幾分か温かいような気がする。
僕は1年に何度かこうして熱を出してしまう。
理由は、日頃から魔法で無理やり疲労を感じなくさせたり、眠気をとったりしているせいだ。つまり、酷使していたツケが回ってきてしまったのだ。
疲労も寝不足も魔法によって感じなくなるだけで実際になくなっているわけではないのだ。塵も積もればなんとやらだ。
「カルロ様、安心してください。あたしがついていますから」
ぬるくなってしまったタオルを取り替えてくれるエリス。
「いや、エリスもそろそろ学校に行かないと遅行しちゃうでしょ」
「今日は、学校休みます。カルロ様の看病が優先です」
「エルドラードって休むのに理由がいるんじゃなかったけ?」
「はい。なのであたしも熱を出してしまったことにします」
「医者の診断書の提出をしないといけないんじゃなかったけ?」
「……はい」
「それじゃあ仮病で休めないでしょ」
「……はい」
「じゃあ、いってらっしゃい」
エリスはカバンを手に取ると渋々と学校に行く準備を始める。
「カルロ様。昼食はキッチンに作ってありますので温めて食べてください。それから、栄養剤も作りましたので水と一緒に飲んでください。それから、汗をかいた時ようにここに着替えを置いておきます。着替えた服はそのへんに置いておいていただければあたしが回収します。それから――」
「うん。もうそれぐらいで大丈夫だから、学校遅れるよ」
まだ何か言いたそうにしているエリスを無理やり追い出すと家の中が急に静かになった。
平日の朝、遅い時間。
いつもなら既に学校についた頃ぐらいだろう。
そんな時間にベッドの上で寝ているとなんだか幸福に包まれる気がする。
こんな日は、研究をするに限る。
エリスはいないし、近所の人も仕事や学校に行っていていないはず。僕の研究を邪魔するものはいない。
ベッドからむくりと起き上がると、フラスコや試験管が並ぶ研究机と向き合う。
僕は机に乱雑に積まれた最新の論文が書かれた魔法科学雑誌から付箋のつけられたページをめくる。
「パラケルススの仮説を今日は試してみよう」
付箋のついたページには『賢者の石の製造についての仮説理論の提唱』の題名がつけられ、魔法式がつらつらと書かれている。
賢者の石。
哲学者の石とも呼ばれる神話の世界に書かれる最高の魔法具にして最高の魔法石。
その石の形状は、結晶であり、粉末であり、液体であるとされる。
途方もない魔力を内包し、万物を黄金に変え、飲めば不老不死を得ることすら可能とされる奇跡の体現者。
この世の魔法使い、錬金術師が血なまこになって研究する『魔法三大命題』の一つだ。
もちろん僕も前世で少しだけ研究したことがある。僕の専門分野は魔法理論なので分野は違うけど研究職の魔法使いなら一度は研究している代物。
それをなぜ今更研究しているかというと、この賢者の石は人工生命体、つまり人造人間の製造に必要不可欠だからだ。
「我に完全に適合する肉体を作るのだ」
数日前、今この場所と全く同じ場所で僕にかけられた呪いの言葉。
エリスの肉体に宿る原初の精霊オリジンと交わした契約によって、僕はオリジンが現世で活動する肉体を作らなければならなくなったのだ。
「うーん。やっぱり駄目だな。水銀と硫黄の結合がうまく行かないな」
フラスコからはモクモクと白い煙と腐敗臭が立ち上る。
実験は失敗。新仮説も仮説に過ぎなかったようだ。
「やっぱりこの結合術式に欠落があるのか? いや、それともそもそも元となる原料の抽出に問題があるのだろうか?」
実験の記録をノートに書きながら考える。
今のところ賢者の石の断片すら見ることができていない。
この机の上に散らばる文献は全て賢者の石にまつわるもの。世に出ている仮説もこれで全て試したことになる。
「オリジンが作り方を教えてくれさえすれば簡単なのになぁ……」
オリジンは全知の存在だ。
過去、現在、未来の全てを知っている。
つまり、人造人間の作り方も賢者の石の作り方も知っているはず。
そして、僕がオリジンに適合する体を作ることの報酬として提示されたものは『オリジンが1日1つ僕の質問に答える』だった。
この報酬を使えば僕は人造人間の作り方も賢者の石の作り方も簡単に知ることができるはずだったのだ。
しかし――
「賢者の石の作り方を教えてやってもよいが、その作り方では上手く行かない可能性のほうが高いぞ」
と、言われ教えてもらえなかった。
オリジンは続けて僕にその理由を説明してくれた。
「先日の爆破事件で主は死ぬはずだった。しかし、今、生きている。なぜだか分かるか?」
僕が頭の上にクエスチョンマークを浮かべているとオリジンは「もう少しヒントをやろう」と話を続けた。
「我の知る未来は確定された未来ではなく、現段階で予測されうる未来なのだ。この未来はある条件によって変更されることがある。それは、我だ。未来を知る我の行動は未来を変えてしまうのだ。ここまで言えば分かるであろう?」
つまり、オリジンが未来の技術である賢者の作り方を教えることによって未来が改変され、その作り方が変わる可能性が高いということ。
教えてもらう直前までは、確かに賢者の石の作り方だったことがオリジンが喋った途端に別のものになってしまうということなのだ。
そして得意げに言い放つ。
「ただし、確定された過去のことはいくらでも主に話すことができる。何でも聞いてくれたまえ」
そして、変わりようのない過去のことであれば問題なく話すことができるとのこと。
失われた魔法とか伝説の魔法具が隠された場所とか、そういうのも全部知ることができる。実際それだけでも僕的には問題がない。
未来のことは僕自身で切り開けばいいのだから。答えを知っている研究なんてつまらない。
と言う訳で、僕は賢者の石製作に真面目に取り組んでいる。
「うーん。元となる原料の抽出に問題があるのだろうか?」
あれ? なんだかさっきから同じことばかり考えている気がする。
めまいもどんどん激しくなっているし、これは本格的に熱が上がってきたかもしれない。
研究をしたいのも山々だけどぼーっとした頭で変な薬品を混ぜて第二のテロ事件を起こしてもやばい。
うん。治療しに行こう。




