主人公と悪役令嬢
さて、入学式から一ヶ月が過ぎた。
慌ただしい毎日が過ぎていくのは早いが、特筆すべきイベントなど俺のようなモブにはない。なれない学園での生活にようやく慣れ始めた今日この頃だ。
ゲーム的な話をするのなら、今頃は主人公に攻略対象の男性陣との出会いが連発している頃。
悪役令嬢が出てきて「身の程を知りなさい」とでも言われている頃だろう。ゲームではスキップ機能を利用していたので、詳しい会話の内容は覚えていない。
まぁ、そんな関わりのない主人公たちの話は置いておこう。
俺の方はようやく学生寮での生活にも慣れ始め、付き合う友人たちも固まりつつあった。
俺で言うならダニエルやレイモンドだ。
二人とは置かれている状況に違いもあるが、育った環境がほとんど同じだ。そのため話が良く合う。
学園内の中庭にあるベンチ。
野郎三人で腰を下ろして相談するのは、五月はじめに予定されているお茶会だ。
「なぁ、お茶会はどうする? やっぱり招待する相手は選ぶべきだよな?」
五月にある連休は、女子にとっては休みでも男子にとっては違う。ここで女子との距離を縮めるためにお茶に誘うのだ。
ナンパと違うのは誰でも良いというわけではなく、おまけに相手の格にあったお茶会を開く必要があった。
学園内の非公式な行事みたいな物だ。
心配そうなダニエルの問いかけに、レイモンドがうつむいていた。
「実家から仕送りをして貰ったけど、そんな贅沢なお茶会は開けないんだ。僕は参加してくれそうな女子なら誰でもいいや」
学園は金がかかる。しかも男子に限って、だ。
俺も蓄えがあるとは言え、湯水のように使えるわけでもない。というか使いたくもない。
そもそも、持っていた財産のほとんどは両親――領地に投資してしまった。
ただ、このお茶会……逃げると、女子のネットワークで噂が広がってしまう。あいつはお茶会も開けないとか、そういう噂が広がって結婚に不利になる。
例え相手に興味を持たれなくても、しっかりとしたお茶会をやる必要が出てくる。
俺たちが情報を共有するように、女子は女子で情報を共有するのだ。女子を敵に回すと一気に噂が広まって大変なことになる。
こういうところでも男子は不利だ。
そして、ここで一つ問題がある。
俺は実力で卒業後に独立を勝ち取っており、周囲にはそれなりの金持ちとみられていた。そのため、周囲の期待というかハードルが高い。
「俺の方は格式高いお茶会って言うの? それをしないといけないらしくてさ。正直、気が重いんだよね」
五月のお茶会を前に三人で落ち込んでいると、勝ち組とも言えるユリウス殿下が取り巻きや女性を連れて歩いているのが見えた。
側にいるのは親友にして親衛隊の一員でもある子爵家の跡取り――殿下の乳兄弟でもある【ジルク・フィア・マーモリア】だった。
濃い緑色の髪は本当に地毛なのか問い詰めたい。緑色の瞳は優しそうな垂れ目で、鋭い目つきの殿下とは対照的だ。
宮廷貴族の子爵家だが、殿下の乳兄弟であり親友でもあるため将来は重要な役職が与えられるのは明白だった。
女子たちが瞳にハートを浮かべそうな顔をして話しかけており、中には伯爵家や辺境伯家出身の男子たちが取り巻きを気取っていた。
「殿下は五月のお茶会は開かれるのですか?」
「私も参加したいです」
「わ、私も!」
殿下のお茶会に招待されたいと尻尾を振る犬のような女子たちを見て、俺たちは現実を直視する。
レイモンドが両手で顔を覆っていた。
「……今年は殿下や名門貴族たちがいるからハードル高いよね」
ダニエルも肩を落としていた。
「比べられるよな。勘弁して欲しいぜ」
羨ましい光景を見ていると、そこに一人の女性がやって来た。周囲に取り巻きを連れているが、その数が本当に多い。
相手は公爵家のお嬢様――【アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ】。輝くような金髪をアップにしてまとめ、赤いドレスを着用していた。
白い肌は綺麗だが、その赤い瞳は力強い。
目力のある鋭い瞳は、他者とは違う何かを持っているのがすぐに分かった。
生まれながらに何か持っている者がいるのなら、彼女や殿下だろう。
内心、きっと主人公も凄い何かを持っているのだろうと思った。
在り来たりかも知れないが、まとっているオーラが違うとでも言うのだろうか?
「王太子殿下の婚約者様だな」
俺の言葉より早く、殿下とジルクを取り囲んでいた女子たちが距離を取る。婚約者の前で誘いをかける馬鹿はいないらしい。
そもそも声なんかかけるなと言いたい。
アンジェリカさんの視線が少し鋭くなった。
「王太子殿下、五月の茶会について少し話があります。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
学園の中で外の地位やら親の力を笠に着るのは駄目と言われているが、世の中は切っても切れない物がある。
「アンジェリカ、周囲を威圧するな。ここは学園だぞ」
「えぇ、心得ていますよ。ただ……王太子殿下の周りが少々五月蠅かったもので」
学園の中だろうとそれは同じで、公爵令嬢に逆らう馬鹿はいない。
女子たちが気まずそうに視線をアンジェリカさんからそらしていた。
「この人が主人公のライバルか。凄く強敵な感じが出ているな」
ブツブツ独り言を言っていると、集団から離れた場所に一人の女子がいた。俺は視線を細める。
アンジェリカさんを美女というなら、その彼女は可愛らしい感じだった。
金髪碧眼のお嬢様は、子爵家の娘。
名前は【マリエ・フォウ・ラーファン】。
俺がどうにも好きになれない相手だった。
見ていてイライラする。ただ、憎しみの感情ではなく、イライラするだけだ。
青い瞳でそちらを見ているのを、ジルクが見つけて殿下に知らせる。
「殿下」
「ん? あぁ、マリエか。丁度良かった、お前のことを探していたんだ。こっちに来てくれないか」
殿下が笑顔を向けた相手はマリエだった。
ピクリとアンジェリカさんの眉が動く。
取り巻きの一人が、マリエのことを耳打ちすると余計に眉をしかめた。
マリエは呼ばれたから仕方なく来ました、という感じで緊張感漂うこの場所にやって来た。
ダニエルが胃の辺りを押さえていた。
「俺、帰ったら駄目かな?」
座っていたベンチの近くでもめ事が起きており、今立ち上がって逃げると目立ってしまう。レイモンドが首を横に振る。
「駄目だ。終わるまで動くな。それにしても、彼女は王太子殿下の知り合いか? 有名な女子ではなかったと思うけど」
マリエはかわいらしい声で殿下に話しかける。
「なんでしょう、殿下?」
「実は男子は五月に茶会を開かなくてはいけなくてね。あまり派手に開催したくないから知り合いだけを呼ぶつもりだ」
その言葉にアンジェリカさんが反論した。
「王太子殿下、茶会にも格がございます。このような者を――」
殿下は止まらない。
そして俺はこの光景を思い出していた。
そういえば、強制イベントでこれと似た出来事があった、と。だが、その時に呼ばれたのは主人公だったはずだ。
周囲を見るが、それらしい人物はいなかった。
レイモンドが俺を見る。
「何をしているんだよ」
「いや、探している人がいるんだけど……特待生ってここにいる?」
レイモンドが同じように周囲を見るが、首を横に振るのだった。
「いないよ。そもそも特待生がこの場に混ざれるものか。ほら、黙ってじっとしているんだ。嵐が過ぎ去るのを待つ心持ちで耐えるんだ」
逃げられない俺たち。
中庭に入ろうとして、異様な雰囲気に回れ右をして逃げる生徒たちの姿がチラホラ見えた。羨ましい限りである。
アンジェリカさんと言い争う殿下は、少し煩わしそうにしていた。
「いい加減にしろ、アンジェリカ。ここは学園だ。俺は一生徒としてここにいる。お前は俺の婚約者だが、そこまで干渉されるいわれはないぞ」
その言葉にアンジェリカさんが引き下がる。
「……失礼しました」
そう言ってこの場を離れていくアンジェリカさんは、最後にキッという感じでマリエを睨み付けてから去って行く。
周囲の取り巻きたちもマリエに対してきつい視線を向けていた。
「すまなかったな、マリエ。悪い気分にさせてしまった」
「い、いえ、そんな事は良いんです。でも、本当に私が参加しても良かったんですか?」
ジルクが肩をすくめていた。
「殿下は堅苦しいのが嫌いでね。もっと軽いお茶会が良いんだ。是非とも参加して欲しい。それに、殿下がここまで誘うなんて珍しいんだよ」
クスクス笑っているジルクに、恥ずかしそうにしている殿下が視線をそらしていた。
「と、とにかく参加しろ。ほら、ジルクも行くぞ」
殿下やジルクが移動を始めると、その取り巻きたちも去って行く。
ようやく解放されたとダニエルもレイモンドも安堵している時、俺はマリエの横顔を見た。
誰も見ていないと思ったのか、油断したらしいマリエは薄ら――笑っていた。
◇
お茶会のためのマナー教室。
先生は髭を綺麗に整えた紳士という感じの男性教師だった。
実際に教室にはテーブルが置かれ、お菓子やお茶が用意されている。
「良いですか? 女性をお茶会に誘う時は全てを見られていると思いなさい。立ち居振る舞いからどのような教育を受けてきたのか、そしてどのような人物なのか相手に見抜かれますからね。逆に言えば、ここでしっかり女性をもてなせばそれだけ高評価を受けることになります」
男子が雁首揃えてマナー教室で勉強中。
親父もあんな髭面でマナーを学んだらしいが、卒業と同時に忘れたとか言っていた。確かに普段の生活態度が見えてくるかも知れないが、そこまで相手は見てくれるのだろうか?
「ヘイ、ミスタリオン! もっと緊張感を持ちなさい」
「は、はい!」
注意されて返事をすると、周りではクスクスと笑い声が聞こえてきた。笑っているのは金持ちや宮廷貴族の跡取りたちだった。
「田舎者はこれだから」
「少し手柄があるからと偉そうに」
「野蛮人は冒険者に向いているが、この場には相応しくないね」
男性教師が背筋を伸ばして授業を続けた。
「まずはお茶会で大事なのは全体の雰囲気です。とりあえず道具を揃えた、空いている部屋を押さえたというのは論外です! 道具一つ一つに至るまでこだわり、女性を特別な空間に招待する。ただ場を用意するなど三流以下と覚えておきなさい」
こんなどうでも良い授業に何か意味でもあるのだろうか? 卒業したらどうせ使わない、と思っていると、教師はソレを見抜いたらしい。
「ミスタリオン……理解していないようですね。では、一つ実践してご覧に入れましょう」
言われて俺は前に呼び出されると、客としてもてなされた。
どうせたいしたことなどない。
精々、表面上は感心しつつ内心であざ笑ってやろうと思っていた。
「わ~、楽しみですね」
「えぇ、楽しんでください」
そう思っていたら――。
◇
――授業が終了後。
教室を出た男性教師に声をかける。
「先生! 俺、感動しました!」
背筋を伸ばした男性教師は、綺麗に振り返ると自慢の髭をなでていた。
「ミスタリオン、分かってくれたようですね」
「はい! 俺、お茶というのを舐めていました。今は凄く反省しています。俺、先生みたいに完璧なお茶会を開きたいです!」
男性教師は笑顔で頷く。
「大変結構。ですが、間違えていますよ」
「え?」
男性教師は俺に体ごと向き直ると、右手を胸に当てるのだった。
「大事なのはもてなす心。そして、私はまだ道半ば。未だに満足できるもてなしが出来た事がありません」
「そ、そんな。先生でも完璧じゃないんですか?」
男性教師が頷く。
「えぇ、そうです。私もその場、その瞬間に最高のもてなしを目指していますが、その境地にはまだ届きません。ですが、基礎は教えられます。ミスタリオン、共に茶の道を進もうではありませんか」
「はい!」
俺と男性教師が笑顔で話をしていると、後ろからダニエルとレイモンドの声が聞こえてきた。
「なぁ、あいつ何かやばい薬でも決めたのか?」
「さぁ? まぁ、無駄にはならないし良いんじゃないか?」
◇
五月のお茶会。
俺は招待状を送った相手から返事が来たため、招くために部屋を借りて準備を行っていた。
学園には茶会専用の部屋がいくつも用意されており、それを生徒たちが借りてもてなすのが主流である。
本来ならどこか本格的な場所を借りたいのだが、この時期はどこも混み合ってしまうので借りられない。
茶器のセットやら茶葉にお菓子。
それらを先生と相談して揃え、部屋の掃除から配置など変えて待っている段階だ。
部屋の中央にはルクシオンが浮かんでおり、内装を確認している。
『随分と手が込んでいますね。数週間前までは業者を入れて手早く終わらせようとしていたマスターとは思えません』
「五月蠅いぞ。お前も何か気が付いたら言ってみろ」
最終確認をしている俺は、懐中時計を取り出して時間を確認した。
十分もすれば招待した女子がやってくる。
今回は男爵家の次女が相手である。
ハッキリ言って次女とか嫌いだが、相手には関係ない話だ。
『私には理解できない世界ですね。遺伝子情報から最適なパートナーを選んでは駄目なのでしょうか?』
「その遺伝子を確認できる人がいないから無理だな」
『ならば言うことはありません』
ルクシオンと話を終えると、女子がやってきた。
「ちわ~」
だが、その態度はどうにも好意的なものではなく、渋々やってきたというのが態度に出ている。
しかし、俺は慌てない。
落ち着け、俺。どんな相手も心からもてなすのが始まりと先生がおっしゃっていた。
だが――。
「ようこそ――って、え?」
よく見ると招待した女子の後ろには二人の女子の姿があった。
相手はヘラヘラ笑っている。
「あ、友達。ついでに時間を潰させてよ。結構大きなお茶会があるんだけど、それに参加するまで時間があるのよね」
名門貴族の跡取りが開催するお茶会は、もはやパーティー規模だった。馬車を用意して出発するため、時間を潰したいらしい。
「そ、そうでしたか。それで、出発は何時に?」
「三十分くらい。暇だよね~って話していたら、そういえばお茶会に参加するって返事出したのを思い出してさ」
他二人が勝手に椅子を用意して席に着く。
置いてあるお菓子を食べ始めた。
「あ、お茶もよろしく」
そのまま三人でテーブルを囲み、俺が座る場所もなくなる。三人でこれから向かうお茶会の話で盛り上がっており、俺はまるで三人の使用人みたいにせっせとお茶のおかわりやお菓子の追加を行っていた。
時間が来ると、食べ散らかした三人はお礼もなく部屋から出て行く。
「じゃ、お疲れ~。お菓子おいしかったけど、もっと高いのを買わないと女の子は喜ばないよ」
出て行く三人。
俺は肩を落とした。
「このお菓子がセットでどれだけすると思っているんだ。ちゃんとした店で今日作って貰ったお菓子だぞ。これ以上高いって……」
残ったお菓子を見る。
「……先生、お茶の道はまだ長く険しそうです」
悔しい気持ちに泣きそうになりながら片付けを行っていると、外から声が聞こえてきた。女子生徒数名が何か言い合っている。
「……あんたは不釣り合いなのよ!」
「で、でも、招待状が――」
「そこは気を利かせなさいよ、平民!」
バタバタと足音が聞こえてくる。
女子生徒数名が「早く行こう、馬車が出ちゃう」などと言って去って行く。先ほどの平民という声から、俺はもしかしたら主人公がいるのかと期待して部屋から出てみた。
きっとライバルのアンジェリカさんよりもオーラがあって美人で――と、そこまで期待していたのに、廊下には座り込んでいる女子が一人。
明るい茶髪はミドルのボブカット、覇気というかオーラなどない普通の女子の姿がそこにはあった。
瞳もブラウンで優しそうな顔立ちはしているが、アンジェリカさんと比べると正反対。地味な女子だった。
美人ではあるが……普通の子だ。
廊下には破り捨てられた招待状がある。
先ほど黙って置物に徹していたルクシオンが、俺の肩に乗って様子を見ていた。
『……これがいじめ、ですか。彼女は特待生ですが貴族階級ではないと聞いています。一般人がこの学園に通っているのが許せないのでしょうね』
「まぁ、そんな感じだな。けど、なんか……普通すぎるな」
悲しそうに招待状を拾い集める彼女を見て、俺は部屋の中へと視線を向けた。
「まだ、一人くらい招待できるか」
残っているお菓子やら茶葉から、一人くらいもてなせると思った俺は声をかけた。
「ねぇ、そこの彼女! お茶していかない!」
顔を上げた女子――主人公は俺を見て少し驚いた顔をしていた。
◇
「ふ~ん、辺境伯の跡取りから招待状を受け取った、と」
「はい。特待生と話をしてみるのも悪くないと言っていただいたんですけど、皆さん相応しくないから辞退しろと」
部屋の中、先ほどとは違い落ち着いた時間が流れていた。
お菓子を食べると笑顔になる彼女は、俺の用意したお茶を見ていた。
「こ、これ、高い茶葉なんじゃ」
「高いけど、一人で飲むところだったから丁度良いさ。それにしても大変そうだね」
別に深く関わるつもりもないが、彼女が誰と関わっているのか知りたかった。主人公が今後どのような行動に出るのか知っていても悪くはない。
辺境伯と言えば【ブラッド・フォウ・フィールド】だろう。
紫色の長い髪が特徴的なナルシストで、領主貴族としても広い土地を持つ金持ち。とにかく規模の大きな家だ。
俺の実家なんか相手にもならない。
ブラッド自身は前に出るよりも軍師タイプの人間だ。参謀とも言うが、頭が良いので軍を指揮するタイプ。
本人は大して強くないが、領主貴族としてそのことにコンプレックスを持っている。
一言で言うなら面倒くさい奴だ。
いや、考えたら攻略対象の男子全員が面倒くさい奴らだった。
曇った顔をした主人公【オリヴィア】はうつむいてしまった。
「私、本当はここに来ない方が良かったんでしょうか? 一生懸命頑張っていますけど、周りに付いてくのがやっとで……どうして入学出来たのか分からなくて」
そう言えば、最初はステータスが低くて学園パートも苦労する時期である。
殿下を筆頭に野郎共がフォローしてくれるのだが、今のオリヴィアさんは基本的に一人らしい。
俺たちも絡むことがないし、そもそも上手くやっていると思っていた。
だが、話を聞けば一ヶ月近くも一人らしい。
俺よりも悲惨な状況だった。
まぁ、同じクラスの男子からすれば彼女は結婚相手になり得ない。何しろ身分が低すぎるのだ。結婚相手を必死に探す俺たち男子からすれば、関わっている暇のない相手でもあった。
そう思うと、婚約者がいた攻略対象キャラたちが主人公に関わったのは余裕があるからという理由になる。
羨ましい限りだ。
でも、少しおかしい。
五月までに攻略対象キャラとは出会っているはず。強制イベントのようなものもあった。そこまで思い出し、俺はマリエを思い出す。
笑っていたマリエの横顔がどうにも不気味だった。
「え、えっと」
俺が黙っているために不安になったのか、オリヴィアが慌てていた。何か粗相でもしたのかと自分を責めている。
わがままな他の女子たちには見習って欲しい。
「少し考え事をしていたんだ。まぁ、学園でも初めてのことだから手探りの部分もあるし、今は出来ることをするしかないよ」
オリヴィアが「そうです、よね」と俺のアドバイスに頷くが、納得してはいないようだ。そもそも、俺が一言で相手に感銘を与えるような答えを言えるわけがない。
人生経験は豊富でも、女性相手には素人も良いところだ。
「……私、ここにいても良いんでしょうか?」
そんな質問に俺は即答する。
「え? 良いに決まっているじゃない」
そもそもこの世界の主人公は君だ。
君が誰を攻略するのかで俺の人生にも少なからず関わりが……ないな。まったくない。まぁ、誰と付き合ったくらい話のネタとして知ってはおきたかった。
「ど、どうしてですか? だって、私は毎日ここには相応しくないって」
俺からすれば当然でも、オリヴィアさんからすれば不思議なのかも知れない。俺は適当な理由で説明しておく。
「いや、だってほら……そう! 君の入学は学園や王宮の意向だ! つまり、生徒側に決定権がないわけで、王宮も学園も入学を許可した側! 文句を言われても君の責任じゃない」
オリヴィアさんが目をパチパチさせていた。
「で、でも、周りが――」
「どうしても耐えられないなら退学でも良いじゃない。出て行けって言った奴には、上の意向なので無理です。でも、苦情があったと伝えておきますね、って言っておけば?」
どうせ主人公はきっと攻略対象の男子が守ってくれる。
だから大丈夫。
きっと……多分。
今はゲームと違う流れだが、ルクシオンを手に入れた流れも結構違った。やはり、ゲームとは違う部分もあるのだ。
そうなると、今後も注意が必要である。
オリヴィアさんがポツポツと話をする。
「私……もっと魔法のことを勉強したいんです。でも、学園のルールとか、暗黙の了解とか疎くて……」
男子内にも暗黙のルールとか色々とある。
だが、女子は女子で大変だろう。
「暗黙のルール……あぁ、そう言えば一人心当たりがいるな。なんとかなるわ」
「本当ですか!」
俺は次女を呼びつけることにした。
たまには役に立って貰わないと困る。あいつのためにいったいいくら支払ったことか……少しは貸しを返して貰うとしよう。
金をちらつかせれば動く女だ。
きっと嫌々でも教えてくれるだろう。
◇
次女のためにお茶を煎れる。
本当は雑に煎れるか、一服盛ってやりたいが先生の顔が思い浮かんだのでやめておいた。お茶会の場でそんな事をするのはいけない事だ。
忌々しそうにしている次女。
その後ろには猫耳筋骨隆々の使用人が腕を組んで立っていた。
「私を呼びつけるなんて偉くなったわね、愚弟」
俺は鼻で笑う。
「呼び出しに応えるくらいの理性があったのは褒めてやる。ほら、さっさと女子のルールについて教えるんだ」
申し訳なさそうにしているオリヴィアさんに、俺は気にしなくても良いと言いながら席に着いた。
次女は額に手を当てる。
「……教えるのは良いけど、特待生に肩入れしてあんたの得はあるの?」
俺に得はない。
だが、知り合い程度になっておくのは悪くないだろう。そうすれば、今後色々と情報がオリヴィアさんから入ってくるはずだ。
恩は売っても損のない相手。そして、本来ルクシオンを手に入れたかも知れない彼女に対するせめてもの罪滅ぼしだ。
「これだから損得で動く人間は嫌だな。もっと優しい心を持ったらどうだ?」
煽ると次女が舌打ちをしてきた。
俺のおかげで後ろにいる立派な奴隷――愛人が購入できたのだ。そのことは本人も分かっているらしく、オリヴィアさんを見た。
「あんた、クラスの女子……とにかく一番偉い女子に挨拶とかしたの?」
オリヴィアさんが首を横に振る。
「私じゃ近づけなくて」
「ちゃんと手紙を出しなさいよ。手土産もって挨拶しておくのがルールなの。大きなグループがあるなら、誰かに仲介を頼むのよ。取り巻きとして結構重要なポジションにいる子が良いわ。その子に手紙を渡して、ついでにその子にもお土産を渡すのよ。あぁ、お土産は相手の好みをちゃんと調べなさい」
俺は次女の話を聞いて思った。
「それって賄賂じゃないか!」
「五月蠅いわね。世の中、それで上手くいくなら問題ないのよ。それから、あからさまにお金とか品がないから止めてね。相手も怒るわよ。人気店のお菓子とか茶葉が無難ね。こういうのは塩梅を間違えると面倒なのよ」
メモを取るオリヴィアさんの手が止まった。
「わ、私、そんなお金が――」
次女が俺の顔を見て顎を小さく上げた。
「この愚弟に買わせていいわよ。私を呼び出したんだからそれくらいさせないとね」
俺は急に話を振られて慌てる。
もう関係ないと思って女子って大変だな~、くらいの気持ちで聞いていたのだ。
「な、なんだと……」
次女は話を続ける。
「直接会いたいと言うか、それとも何か返礼の品が来たらそれでおしまい。後は相手の気に障ることをしなければ無事に卒業できるから」
オリヴィアさんが泣きそうな目で俺を見てくる。
「……代金は俺が持つから」
「ありがとうございます。必ずお返しします!」
お礼を言ってくれるオリヴィアさんを見て、俺は周りもこの子くらい優しければと思うのだった。
ふんぞり返ってお菓子を食べている次女を見て、俺は首を横に振る。やれやれという感じを出すと、次女が自分の使用人に合図を出した。
マッチョマンが俺に手を伸ばしてきたので、俺はその場からすぐに逃げ出す。
獣人と力比べなどやっていられない。
◇
後日、オリヴィアはアンジェリカに呼び出しを受ける。
緊張した様子のオリヴィアを見ながら、アンジェリカは優雅に紅茶を飲んでいた。持っているカップも中身も、リオンが用意した物よりグレードが高い。
それらを使うのが普通であるようなアンジェリカは、カップを置くとオリヴィアに鋭い視線を向けてくる。
「誰の入れ知恵か知らないが、挨拶に来たのは褒めてやろう。精々、身の丈に合った生き方をする事だ。ここはお前のような者がいる場所ではない。だが、弁えているのなら、隅で大人しくしていることくらい許してやろう」
学園というのは外から隔離された、少しだけ不思議な場所だった。
独特なルールやら外では通じないルールも存在する。
アンジェリカに“挨拶”というのもその類いだ。
別に必要なことではないが、学園生活を円滑にするためには必要なことだった。
オリヴィアは力もなければ後ろ盾もない。
学園内では本当に弱い立場なのだから。
「え、えっと、それは学園にいるのを許してくれるのでしょうか?」
オリヴィアが困っていると、アンジェリカが少しめまいを覚えたような顔をしていた。
部屋にはアンジェリカの取り巻きである女子が数人はいたが、部屋から出させて二人きりとなる。
すると、先ほどよりも幾分か優しい口調で話し始めた。
「……あそこで頷いて茶を飲んで帰る。それだけで全て終わった。お前が質問をするから話がややこしくなっただろうが」
「――え?」
アンジェリカは溜息を吐く。
何やら少し疲れた顔をしていた。
「許すも何も、私がお前を追い出そうと思っているとでも思ったか? 正直な話、特待生の件は興味がない。私もお前に関わっていられるほど暇ではないからな」
オリヴィアが困っていると、アンジェリカは一言ぽつりとこぼした。
「王太子殿下にすり寄るあの女よりはマシか」
「あ、あの、何か?」
「いや、なんでもない」
アンジェリカがオリヴィアに小さく笑って見せた。
その姿は年相応にも見える。
普段はもっと覇気があり、そして激高しやすいイメージをオリヴィアは抱いていた。実際、アンジェリカは学園内で怒鳴り散らしたことが何度かある。
「特待生、お前に挨拶の話を教えたのは誰だ? あぁ、勘違いするなよ、含む所があるという意味ではない。周りが特待生であるお前に距離を置く中、お前を助けた奴が気になっただけだ。これは個人的な興味だよ」
男子は結婚相手を探すのに夢中で余裕がなく、女子からは嫌われている特待生。そんな彼女を助けた人物が素直に知りたいと言う。
オリヴィアは少し悩んだが、リオンの名前を口に出した。
リオンが自身の姉を紹介してくれた、と。
「バルトファルトの三男か。アレは変わり者だな。まぁ、好感は持てる」
「知っているんですか?」
アンジェリカはクスクス笑っていた。
「お前、知らないのか? 私たちの世代では間違いなく一番出世した奴だぞ。今後、あいつのように自力で独立できる奴が何人出てくるか……だが、人となりも悪くないなら、王太子殿下と話す機会を設けても良いな」
そう言って微笑むアンジェリカを、オリヴィアは少し不思議そうに見ていた。