プロローグ
※この物語はフィクションです。登場する人物、団体、名称は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※基本主人公の一人称視点で話が進み、それ以外のキャラの視点は三人称で進みます。
※感想は受け付けますが、感想欄での返信はしておりません。ご了承ください。
※更新予定や今後の予定などは、後書きや活動報告を利用して報告させていただきます。
正義と悪は見方が違えば逆転する。
普段全く考えない事を考えるくらいに、俺の精神は疲労していた。
削られていく精神のおかげか、俺は表情がなくなっていく。
今すぐにでもベッドに横になり、大好きな漫画やアニメに時間を割きたい。もしくは、もっと男の子がやるゲームをプレイしたかった。
休日の昼間から社会人が死んだ目でプレイをしているゲームは……乙女ゲーだった。
いわゆる恋愛ゲームであり、男性が主人公ならギャルゲー。
女性が主人公だから乙女ゲーと呼ばれている。
そうだ。
せっかくの休日に、社会人である俺がやるようなゲームではない。
俺が乙女ゲーを好きならまだ話も分かるが、どちらかと言えばもっと男の子向けのゲームの方が良い。
「どうして俺は朝から野郎を攻略しないといけないんだ。しかも、もうお昼だし」
画面の向こうにいるのは美形の男性キャラ。
基本的に登場する攻略キャラはどれも美形だ。
有名声優が声を当て、人気イラストレーターが描いたキャラたちが登場する。
近くに置いてあるスマホの画面には攻略情報を表示させている。
チラチラ見ながら選択肢を選んでいけば、好感度上昇を知らせる音と共に3D表示のキャラが動いてポーズを決める。
髪をかき上げるポーズで少し頬を染めていた。
『お前……その辺の女たちとは違うな。名前を覚えておいてやる』
相手は王太子――ゲームに出てくる攻略対象キャラで、学園では大人気の男性キャラだ。
主人公は偶然に出会い、王太子のことを知らないので普通の対応をしたシーンになっている。
王太子には主人公の態度が新鮮に見えているのだろうが……。
「……男が頬を染めているのを見ても何にも嬉しくない。せっかくの休日がこんな事で消えていくなんて」
月曜日から金曜日まで働いて、せっかくの土日休みが乙女ゲーで潰されていく。
土曜日に休めたのも久しぶりだった。
残業もあってしばらく忙しかったから、この二連休には色々と予定を立てていたのだ。
それが――。
スマホから電子音が聞こえてきた。
手に取って確認をすれば、妹からのメッセージが画像付きで送られてきている。
『友達とハワイを楽しんでいま~す』
……腸が煮えくりかえる思いだ。
男女の友人たちと、ビーチやらホテルで楽しそうにしている妹の姿がそこにあった。
すぐにメッセージを送る。
『ふざけんな! お前、忙しいからって俺にゲームを押しつけたんだろうが!』
そう、今プレイしているのは妹の乙女ゲーだった。
土曜日の朝、一人暮らしをしている狭い部屋を掃除していると妹が訪れた。妹は大学生で実家暮らし。
珍しいと思っていたら、俺にゲームを押しつけてきた。
忙しいからこれをコンプして、と笑顔で言ってきた。
コンプ。コンプリート……CGやらイベントムービーを全て見終わった状態にしておけという意味だ。見終わっていれば、後でそれらを見返すことが可能だから。
妹に乙女ゲーをプレイするようにと押しつけられたのだ。
妹からメッセージが届く。
『はぁ? そんなことを言っても良いの? 戻ってきてから、お母さんの誤解は解かないよ。お土産買うからコンプの方お願いね~』
イライラするメッセージを読み、スマホを床に投げつけたくなる衝動をこらえながら俺は叫んだ。
「ちくしょうぉぉぉ!!」
俺だってこんなことは拒否したかった。
しかし、実家住まいの妹は――俺の部屋に自分の趣味である本を大量に隠した。それをお袋に見つけさせ、俺がそういう趣味を持っていると誤解させたのだ。
ちなみに、妹は腐女子と呼ばれる人間だ。
見た目は悪くなく成績も悪くない。
だが、性格は猫をかぶるのが上手く、俺はいつも酷い目に遭わされてきた。
あいつは両親にも自分の趣味を隠している。
俺にゲームをさせようと策を巡らせたのだ。
おかげで俺は、心配したお袋から電話がかかってきた。
暴れたい衝動を抑えつつ、俺は画面に視線を戻した。
再びコントローラーを手に取ると、誤解を解くためにゲームをクリアすることだけを考える。悔しいが、両親に信用されているのは妹の方だ。
あいつはそれを分かっているから腹が立つ。
必死に誤解を解こうとしても、妹の方が弁は立つのも厄介な点だ。しかもあいつは実家住まい。
俺から小遣いまでせびり取って、忙しい理由が旅行。一発殴っても絶対に許されると思う。
「あいつは一度痛い目に遭えば良いんだ」
昔から要領が良く賢い。
自分が可愛いのも分かっており、何というか俺とは正反対な妹だった。あいつの弱点など、周囲に隠している趣味だけだろう。
悔しい気持ちでゲームを続けると、俺は眉をしかめた。
「ここが問題なんだよな」
妹が俺に押しつけた乙女ゲー。
大作を目指して作られた乙女ゲーは、随分と作り込まれている。妹もイラストや声優目当てで初回限定版をすぐに購入したらしい。
だが、問題は乙女ゲーなのにRPG要素、そして戦略シミュレーション要素が入ってしまっていることだ。
ゲームの舞台は剣と魔法のファンタジー世界。
大地が浮かび、そこで人々が暮らしている幻想的な世界だ。
王や貴族たちがいる世界で文明レベルは高くないように見えるが、飛行船が空を飛び騎士たちはまるでパワードスーツのような鎧を身につけ戦っている。
おまけに主人公が通うのは貴族の子弟が入学する学園。
主人公は身分は庶民なのだが、才能を認められて学園に入学することになった。
そこで王子様やら貴族の息子たちに出会う事になる。
だが、入学すると同性からのいじめやら、戦争によって彼女の人生は大きく変わろうと……。
とにかく、学園物の恋愛ゲームに冒険やら戦争をぶち込んだゲームだ。
妹も最初は自力でクリアを目指そうとしたが、どうしてもそういった男の子向け要素が苦手だったのか諦めたらしい。
おかげで俺が苦労する羽目になった。
「そもそも乙女ゲーにこんな部分は求めていないだろうが」
文句を言いながらも画面を見てコントローラーを操作した。
画面上には、飛行船が並んでいる。
船型、ラグビーボールの形をした飛行船。様々な飛行船が向かい合っている。
動かすと飛行船が動き、飛行船から騎士たちを出撃させて攻撃を行うのだが――。
「妙に難しいのが悪いんだよ。もっとサクサククリアできるようにしようよ!」
――とにかく、どのステージも難しい。
簡単なら妹だってクリアできていた。
「あ、しまった」
味方の飛行船が沈んでいく。
大地が浮き上がっており、移動する手段は飛行船が主流だ。そのせいか、戦争の主流も飛行船である。
鉄の塊が空を飛び、砲弾を撃ち合っているのはいいが……とにかく難しい。
ランダムの要素があって勝敗に影響を与えているのも原因の一つだ。
攻略情報を見ながら進めても負けることがあるから腹立たしかった。
「こんなところで時間をかけていられるか! 大体、なんで乙女ゲーにこんな要素を入れたんだよ! 馬鹿なのか? 馬鹿なんだな! それとも課金させたいのか!」
有料コンテンツを買わせようとしている。
妹のためにこれ以上の出費を認めたくないが、俺の時間が奪われている原因は間違いなく戦闘やら戦争パートにある。
ゲームを中断して有料コンテンツを探した。
そうすると、大量に出てくる商品の数々。
自分――主人公の衣装やら、装備品にアイテム各種。
これらは一つ百円程度の値段で売られているが、戦闘パートで役に立つ飛行船やら鎧の値段が妙に高い。
三百から八百だ。
「……こんな商売をするから評判が悪いんだ」
当初は期待されていたわけだが、このような商法で有料コンテンツを買わせようとしているため批判を受けていた。
強気の価格設定も、一ヶ月もしない内に見直され金額が下がっている。
商品をチェックしていく。
「男の水着姿とか嫌だな」
販売されていたのは、男性キャラを水着姿にする装備品。
見ていて不愉快になってきた。
だが、立場が逆になれば……主人公が男で、攻略対象が女性キャラの普通のギャルゲーなら買ったかも知れない。いや、買ったな。全種類購入した。
精神的にボロボロの俺は力なく笑った。
「ハーレムなんて女から見れば今の俺と同じ気持ちかな? まぁ、どうでもいいか」
俺から見て逆ハーレムを完成できる乙女ゲーは見ていて呆れるし、それはギャルゲーにも言えるかも知れない。
そんな事を真面目に考えている当たり、精神的に危険な気がした。もう、とにかくゲームを終わらせることだけを考えよう。
「さて、どれを買えばすぐに終わるかな?」
どれも強力そうだ。
男性キャラの専用武器とか、主人公の専用装備。
どちらかと言えば戦争パートで役に立つ物が欲しい。
「……これは」
一番高い金額の有料コンテンツは飛行船だった。
補給やら面倒なステータスを無視して、とにかく強い飛行船が手に入るようだ。
「飛行船というか宇宙船に見えるな」
一千二百円もするだけあって性能は申し分ない。
設定を確認すれば、古代のなんとかで……とにかく凄い宇宙船だった。
「宇宙船じゃねーか! ……もしかして、誤字かな?」
説明文に飛行船と打ち込もうとしたら宇宙船と打ち込んだのでは? そう思ったが、ゲームをクリアできれば良いので問題ない。
購入しておく。
次、鎧の確認だ。
パワードスーツ……鎧の姿をしているが、なんというか少しも現実感がない。ロボットと言われた方が納得できる姿をしている。
そんな鎧を着込んで戦争をするのが騎士である。
女からすれば、自分のために戦ってくれる男が素敵に見えるのだろうか?
とりあえず高いのを購入した。
これで攻略が楽になるのなら安い出費だ。
黒い鎧はどこか刺々しく敵役のように見えるが問題ない。大事なのはゲームを手軽にクリアすることである。
武装が豊富なのか、技の種類が多いのも良い。
どんな場面でも活躍してくれるだろう。
剣は強いが飛び道具を持っていない剣聖の弟子とか、魔法馬鹿で打たれ弱い攻略キャラもいる。
とにかく、戦争パートを手早く終わらせられるなら二千円の出費も悪くない。
「終わらせないと。とにかく終わらせてゆっくりしたい」
せっかくの休日が失われていく。
我慢できずに購入した有料コンテンツを使用し、俺はそこから黙々と野郎共を攻略していくのだった。
昼を過ぎ、夕方になる頃にはなんとかイベントやらCGの回収率が九割を超えた。
残っているのはハーレムエンド。逆ハーレムエンド?
主人公と男性キャラ全員が結婚するエンドが残っている。
このゲームのトゥルーエンド――真のエンディングとも言われているのだが、俺からすればただ無心でクリアするだけだ。
野郎共の好感度が一定数になると渡してくるアイテムを、翌日には道具屋で売り払って金に換えてやる。
しかも本人が仲間にいる状態で、だ。
本人の目の前で売り払うなど外道だが、ゲームなので関係ない。
ただ無心で攻略情報通りに進めていく。
これがギャルゲーなら良かったのに。
そう思いながらプレイを続け……気が付けば夜になっていた。
「……本当に丸々二日間が潰れた」
エンディングを見ながらこみ上げてきたのは怒り、そして悲しみである。
どうして俺がこんなことをしなければならないのか。
データをセーブし、そして妹との約束を守った俺はベッドに横になる。
時計を見れば寝ていてもおかしくない時間だ。
今から出かける気にもならない。
だが、全てが終わって安堵したせいかお腹が空いてきた。
手で腹を押さえると、朝少しだけ食べたのを最後に何も食べていなかった。
「冷蔵庫には何もなかったな」
掃除をした際に賞味期限の切れた物は捨てた。
元からほとんど何も入っていなかったこともあり、俺は何を食べるにしても外に出なければいけない。
しかもこの時間帯だ。
ファミレスやコンビニくらいしか行くところがない。
スマホを見れば、妹からメッセージが届いていた。
『真面目にやっている? 帰ったら受け取りに行くから用意しておいてね。頑張ったらお土産を渡してあげる』
自分の妹ながら最低な奴だと思った。
自分は楽しんでいることをアピールしつつ、俺に真面目にやれとか言っているのだ。しかも、俺から金をせびって……。
「あいつアルバイトもしていないのにいったいどこから金を出したんだ?」
不思議に思って考える。
下手にプライドが高いので捕まるようなことはしていないだろう。門限もあるので夜遅くまで遊んでいられない。
そこまで考え、俺はお袋が以前言っていたことを思い出した。
「資格取得のために金がいるとか言っていたな」
両親は車の免許でも取るのかと思ってお金を用意したらしいが、どう考えてもその一部は旅行に使われているとしか思えない。
俺は妹のメッセージをコピーした。
パソコンで編集をして、お袋宛にメッセージを送る。
もちろん、あいつのコメントやら画像も添えて、だ。
「……馬鹿な奴。兄を舐めているからこうなるんだ」
俺を脅したことやら、旅行に出かけていること。
これらを見て両親がどう思うだろうか?
流石に動かぬ証拠があるので、あいつも言い訳が出来ないだろう。
そう思ってニヤニヤしたところで俺は気が付いた。
「あれ? なら、最初からこうしていれば無駄にゲームをクリアする必要もなかったような……あぁ、もう駄目だ」
自分がいかに間抜けかを実感してしまいつつ、俺は腹が減ったので財布を手に取った。
妹の件は、戻ってきてからの楽しみ。
もう、乙女ゲーのことで頭を悩ませる事もない。
そう思えば足取りも軽い。
妙にフワフワした感覚は、まるで仕事から解放された後のような幸せな感覚だった。
「さて、今日は奮発するか。コンビニか、それともファミレスか――」
夕食を普段よりも豪華にしようと決めると幸せな気分だった。
誰もいないチカチカする蛍光灯が気になる通路を進み、階段のところにさしかかると急にめまいに襲われた。
「――あ、これ駄目な奴」
体は糸が切れてしまった操り人形のように力を失いその場に倒れる。
運が悪いのは場所だった。
目の前には階段が迫っており、そのまま視界が急激に景色を変えていく。
体は痛いとかそういった感覚はなかったが、勢いよく転がり落ちた俺は自分の状態が危険だと思った。
「……こんな……最期は……みと……ない」
せっかくの休日を妹に潰され、そして解放されたと思えば明らかに大怪我をした自分。いや、もしかしたら命の危機かも知れない。
そう思うと、妙に――腹が立ってきた。
薄れゆく景色の中で、走馬灯が流れ出していよいよ最後かと思っていると――最後の最後で見たこともない景色が見えてきた。
海から浮かんだ大地。
空を飛ぶ飛行船。
青空と白い雲――太陽に手を伸ばしている自分の姿が見えて、そこで意識は遠のいた。
◇
なだらかになっている土手はほどよく伸びた草で青々していた。
そんな場所に寝転がり、太陽に手を伸ばした俺【リオン・フォウ・バルトファルト】は激しい動悸に襲われていた。
太陽の暖かさで汗をかいたのではなく、冷や汗が止まらなかった。
気持ち悪い汗だ。
「な、なんだ、今の?」
上半身を慌てて起こしたせいか、服に引っかかった草が地面から抜けた。風が吹くと葉やら草が舞っていた。
随分と強い風が吹いたと思えば、太陽を隠すように俺の真上を飛行船が通過していく。
四角い箱のような木造の飛行船は、領地に定期的に訪れる飛行船だ。
普段何気なく見ていたはずなのに、今日に限っては目を見開いて驚きを隠せなかった。
まるで初めて見たような感覚。
胸を押さえると心臓が強く脈打っていた。
立ち上がって飛行船が過ぎ去っていく方向を見れば、その先には海が広がっている。
違和感があるとすれば、海の見え方が違うことだ。
「なんだ。なんで――」
ゆっくりと足を進めると、転んでしまった。
自分の体を確認すれば、手足が妙に小さい。
自分の体であるのは間違いないのに、妙に小さく感じてしまう不思議な感覚。
気にするよりも、まずは確認する方が大事だった。
歩き、そして駆け出して向かった先は海だ。
妙に胸騒ぎがする。
子供の足で随分と時間がかかった気はしたが、目的地に到着した。
落下防止のための柵が用意されたその場所から見た景色は、いつも通りの景色だった。
「そうだ。いつも通り――島は浮いている」
海から浮かんだ島。
今日も浮島は浮かんでいるのに、それが嬉しいのか悲しいのか分からない。浮かんできたイメージは島が海水に浮いているようなイメージだ。
そんなはずはないというのに、どうしても確認したかった。
先ほどから妙だ。
太陽に手を伸ばした瞬間、見えたイメージはまるで人一人分の一生だった。ここではないどこかで生きた男の一生。
際だった物などないが、それでも幸せそうに見えたのは気のせいではない。
ただ、名前が思い出せない。
両手で頭を押さえる。
あれだけ鮮明に見てきた記憶なのに、どうしても名前が思い出せないのだ。
自分が生きてきて五年――五歳の自分が経験する以上の物を、一瞬で経験したような――思い出したような感覚。
訳が分からなくなりその場に座り込む。
柵を背にして空を見上げた。
「……いったい何だったんだろう」
誰に対しての問いかけなのか、自分にも分からなかった。
◇
日も暮れてきたので家に戻った。
戻るのが嫌で逃げ出して土手で横になっていたのを思い出したが、夜になる前に戻りたかった。
覚悟を決めて家に戻れば、そこで待っていたのは父親だった。
玄関の前で仁王立ちをして待っていた。
「この馬鹿息子が!」
大きな拳で頭を叩かれ、涙目で頭を押さえると玄関が開いた。
そこから見えるのは俺の母親だった。
「ようやく戻ってきた。あんた、奥様が来る日にどうして逃げたりなんかしたの」
俺の親父【バルカス】は領主――男爵だ。
イメージでは貴族というのは良い服を着て、もっと線の細い感じ。もしくは、太っているイメージだったが、バルカスは筋肉質で髭を生やした大男だった。
母親は妾で【リュース】――寄子である騎士家の娘だった。
こちらもドレスではなく、町やら村で女性が着ているような服を着ている。
俺の母親が言う奥様というのは、親父の正妻のことである。
「ご、ごめん……なさい」
俺の雰囲気がいつもと違うのを察したのか、両親は微妙な顔をしながら俺を家――屋敷ではなく倉庫へと連れて行こうとした。
すると、開いた玄関からドレスを着た女性がこちらを覗いていた。
屋敷から出ないで俺を見下している。
宝石で首や指を着飾り、近くには長男である【ルトアート】と長女の【メルセ】が控えていた。
あの二人だけが奥様――正妻の子供たちである。
その後ろには、長身の美形である男性がスーツ姿で立っている。耳が長く、エルフの特徴を揃えた男性は俺たちを見て嘲笑っていた。
「まったく、教育の行き届かない子供はこれだから」
目を細める女性は髪をまとめており、いかにも貴族の女性というイメージにピッタリだ。兄も姉も俺とは違って金のかかった服を着ている。
母が謝罪をし、父が俺を連れて倉庫へと向かうのだった。
倉庫に到着するまで、父は我慢している顔をしていた。
「……倉庫で反省していなさい。食事は後で持って行かせる」
言われて頷くと、倉庫には先客がいた。
次男である兄の【ニックス】だ。
俺と同じような服を着た二つ上の兄は、ランタンの明かりの下で本を読んでいた。父と俺がやってくると呆れた顔をしている。
「お前も馬鹿だな。数日我慢すればあいつらは出て行くんだぞ」
本に視線を戻す次兄を見て、父は手で頭を押さえていた。
「ニックス、リオンに勉強を教えてやりなさい」
次兄は凄く嫌そうな顔をしていたが、倉庫にある机のスペースを空けると椅子を持ってくる。
俺に座るように言うのだった。
「寝たら叩くからな」
俺が頷くのを見て、父は倉庫を出て屋敷に戻るのだった。
二人だけになると次兄は俺でも読めそうな本を渡してきた。何度も使い回されたボロボロの本を開く。
所々に落書きがされていた。
倉庫内。
ランタンの光に集まった虫を払いのけながら、本を読む。
少し不思議な感覚だった。
知らない言語が頭の中にある。むしろ、そちらの方が使いやすい感覚もあるくらいだ。
俺が悩んでいるのを次兄は読めない文字があると思ったようだ。
「少しは自分で考えろよ。どうしても分からないなら教えてやる」
静かな時間が過ぎていく。
五月蠅いというか、邪魔なのは光に集まる虫くらいだ。
「――ねぇ、兄貴?」
俺の言葉遣いに次兄が少し驚いた。
「兄貴? お前、今日の朝まで兄さんって呼んでいなかったか?」
俺は慌てて言い直そうとしたが、次兄は自分の中で答えを見つけたらしい。
「背伸びしたい時期か? まぁ、俺は別にどうでも良いけど。それよりどこが分からない?」
俺は首を横に振る。
気になったのは俺たちの扱いだ。
嫡男が大事にされるのは分かるのだが、どうして俺たちは倉庫に追いやられているのか、だ。俺たちには他にも姉や妹がいる。
なのに、姉と妹は倉庫にはいない。同じ妾腹なのに、だ。
「どうして俺たちだけ倉庫なのかな?」
次兄は「昨日まで僕とか言っていたくせに……」と、独り言を呟いた後に本を置いて天井を見上げるのだった。
「奥様は俺たちのことが嫌いだからだ」
「お袋――母さんの子供だから?」
次兄は頭の後ろに両手を持って行く。
「それ以外に理由なんかあると思うか? 流石に妾の子でも、女の子を倉庫に追いやるのは躊躇ったみたいだが、男の扱いなんてこんなものさ」
そこから次兄は淡々と家の事情を話してくれた。
話してくれたと言うよりも、訳も分からない三男の俺に愚痴を言っているような感じだろう。
七歳の次兄も色々と不満に思っているらしい。
バルトファルト家は浮島を領地に持つ家だ。
ただ、以前は準男爵家という騎士家に分類される家だった。本物の貴族ではないが、一応は領主という家柄だ。
しかし、随分と時間も経てば発展もする。
独立、仕官など寄子の騎士爵家も誕生し、気が付けば家の規模が大きくなっていた。
領内の整備が進み、人口が増える――それは支えられる人口が増えることを意味しており、領地規模で言うならばギリギリ男爵家相当だった。
そんな領地に【ホルファート王国】の調査官がやってくる。
領地規模を確認しにやってきたらしいのだが、普通は領地規模だけを見て陞爵を決めない。決めないのだが、王国は領地規模が男爵家相当なら男爵位を用意すると言い出した。
普通はもっと武功やらその他の功績がなければ陞爵しないらしい。
「陞爵するのは駄目なのですか?」
次兄も分からないらしいが、父の様子から嬉しくないのを察しているようだ。
「急に言われても困ると愚痴をこぼしていた。それに、男爵家には男爵家並の貢献が求められる。うちが貧乏なのはそのためだってさ」
家格にあった働きを求められる。
そう言えば、知らない世界の知識で思い当たる物があった。
ギリギリ男爵家の規模と、余裕のある男爵家。
余裕がある家は問題ないが、そうではない家は貢献が苦になる。だから、領地規模が男爵家並でも、黙って準男爵家を名乗っている家もあるのだろう。
とにかく、離島の田舎貴族が男爵家になってしまった。
家格に相応しい振る舞いを求められ、父は身分の高い女性と結婚することになったらしい。
だが、奥様と呼ばれる女は日頃領地にはいない。
長男も長女も領地にはたまにしか来ない。
「……結婚したんですよね?」
「そうだな。したな。まぁ、男爵以上の家はアレが普通らしい。将来は俺もお前も学園で相手を見つけないといけないからな。ただ、男爵家以上の娘は関わりたくない。年増女の面倒を見る後夫にもなりたくない。お前も今の内に勉強をして、学園で相手を見つけられるようにしておけよ。でないと婆の後夫にされるぞ」
……俺は驚きを隠せなかった。
学園とか、色々と聞きたいこともあるのだが……それ以上に後夫という言葉だ。
「あ、あの、兄さん?」
「別に兄貴でも良いぞ。それよりもなんだ?」
「……普通は男性が家の中心では? というか、年上の女性に押しつけられるってどういう意味ですか?」
次兄は首をかしげている。
「そのままの意味だ。結婚できなかった女とか、男に逃げられた女とか、とにかく夫がいない女だな。愛人だけ、って言うのは面子が立たないらしい」
やけにしっかりしている次兄は、俺の質問に答えてくれる。
「普通は男の方が立場は上では?」
俺が手に入れてしまった知識では、こういう場合は男が強いと漠然と思っていた。だが、どうやら違うらしい。
「女の方が強いのは父さんを見ていれば分かるだろ。あいつに――奥様に逆らえないのはお前も見ているだろうが」
奥様をあいつと呼んだのを改めるところを見るに、次兄は奥様を苦々しく思っているのだろう。
とんでもない話を聞いてしまった。
「お前、今日はなんか変だぞ」
次兄に疑われ、俺は苦笑いをしながら視線を本に向けてまたしても変な汗をかく。
おかしい……何というかこの世界はおかしい。
変な世界の知識を得たためか、俺には違和感しかなかった。
しばらく本を読んでいて、そして先ほどの次兄の言葉を思い出す。
「学園……ホルファート王国? それに愛人……もしかして、あのエルフの使用人……エルフ?」
俺がブツブツ呟いていると、次兄が五月蠅いと文句を言う。
「どうしたんだよ」
「え、えっと、あのスーツの男。エルフは奥様の愛人だよね?」
どうにも次兄に対してどんな風にしゃべれば良いのか分からない。
次兄は気にした様子はなく、ただ呆れているだけだ。
「当たり前のことを聞くな。ほら、さっさと勉強しろ」
亜人種が愛人というか、側で仕える使用人……この状況を俺は知っている。というか、凄く鮮明に覚えていた。
俺は机に突っ伏した。
「……ここ、乙女ゲーの世界だ」
混濁した意識が徐々にハッキリしてきた。
同時にこの世界が、とんでもなくフワフワした設定の乙女ゲー世界だと気が付いてしまった。
次兄が俺の頭を平手打ちする。
「寝るな! お前、今日は本当にどうした? 頭でも打ったのか?」
俺は顔を上げて次兄を見る。
引きつった笑みを浮かべているので、次兄が驚いて少し下がった。
「な、なんだよ」
「……兄貴、世の中って理不尽だよね」
「……あ、あぁ、そうだな」
返事に困っている次兄は、逃げるように視線を本に戻して勉強を再開するのだった。
異世界転生というのを、まさか自分が経験するとは思わなかった。
しかも剣と魔法のファンタジー世界……でも、女尊男卑の乙女ゲーの世界とか聞いていない。
俺は両手で頭を抱える。
「最悪だぁぁぁ!」
叫んでしまった俺に、次兄が泣き言を言うのだった。
「なんなんだよ! 誰かこいつを静かにさせてくれよ!」
俺【リオン・フォウ・バルトファルト】は、乙女ゲー世界に転生した元日本人。
……もっと普通の世界に転生したかった。
しかも、よりにもよって乙女ゲーって……。