第十二話 初めての実戦
山賊が出たのは昼を過ぎた頃だった。
街道が林の中へ差し掛かったところで前方から三人、後方から二人現れた。
いずれも手斧や棍棒を握っていて、目当てがトバスの荷車にあることは一目で分かった。
「止まれ。荷を置いていけば命だけは助けてやる」
先頭の男が低い声で言った。
トバスがさっと青ざめ、荷車の陰に身を縮めてヒマリの肩をぐっと引き寄せた。
「ヒ、ヒマリちゃん、私の後ろに」
ヒマリはアーシュを手伝おうと思った。けれど、体が震え、足が固まってまともに動けない。結局あきらめて、ふらふらと歩いて身を隠した。
(……俺も、最初の実戦は、ああだったな)
アーシュは一瞬だけそう思った。
遠い昔の話だ。仲間と出会う前、まだ幼く剣を振るうこと自体に怯えていた頃。今となっては、その怯えそのものがひどく懐かしい。
二人が身を隠したのを確かめると、アーシュは前に出た。
「俺達に、構うな」
先頭の男が笑った。
「一人で何ができる? 構わねえ、やっちまえ!」
「そうか」
アーシュの姿が揺らめいた。
音もなく、悲鳴もなく、ただ、前方の三人が地面に伏した。気絶しているだけだ。殺してはいない。こんな小物を殺しては寝覚めが悪い。
――問題は、後方の二人だった。
二人は倒れた仲間の姿を見て即座に逃げた。しかし、そのうち一人が逃げる方向を間違えてしまった。
荷車の方へ、つまりヒマリ達のいる方へ向かって走り出したのだ。
混乱しているのだろう、足元がおぼつかないまま走っている。それでも手斧を持った男がヒマリに向かっていることは事実だ。
アーシュが地を蹴った。だが、男はすでにヒマリのすぐ手前にいた。速度を上げれば間に合う。だが、その衝撃だけでヒマリごと吹き飛ばしかねない距離だった。
一瞬、アーシュの足が鈍った。
(……ヒマリ!)
初めてアーシュの足に焦りが混じった。
ヒマリは男が走ってくるのをただ怯えて見ていた。
怖かった。施設で教官に叱られて体が固まった時とも違う。もっと、直接的な命の危険を感じる怖さだった。
逃げなければと思った。けれど、足が、動かない。
「ヒマリちゃん!」
トバスが叫んでヒマリの手を引いた。その、ほんの少しの衝撃で――何かが、動いた。
――ここは逃げる所じゃない。
ふと、そう思った。
アーシュがこちらに向かっているのが見えた。けれど、それより前に山賊がいる。きっと間に合わない。
トバスが震えた身体で自分を守ろうとしている。
(……鳥さんと、トバスさんが、やられちゃう)
ヒマリは手のひらを前に出した。
(わたしが、守らなきゃ)
手のひらにマナを集めた。
火を飛ばせば山賊をやっつけられる、そうヒマリは考えた。すると、頭の中にぼんやりとどうすれば良いかが浮かんだ。
上手くできる自信はなかった。手が、震えてうまく動かない。
あの日、教官の声に怯えた自分は、集めたマナを歪ませて暴走させてしまった。
追い立てられて焦り、恐怖に負け、頭の中が真っ白になってしまった。けれど、今はあの時と同じではない。今の自分には、アーシュがついている。
(アーシュに教えられた通りやれば、きっとできる。しんこきゅうして、かずをかぞえて、ひとつ、ふたつ、みっつ……ふう)
「飛んでいけ」
手のひらから小さな炎が上がった。
ユラユラと不安定で、形も歪んでいる。
――でも確かに出た。
炎が尾を引いて手のひらから飛び立ち、男の足に直撃した。
「ぐわっ! な、なんだあ!?」
男が体勢を崩した。
次の瞬間、アーシュが男の首根っこを掴んで地面に転がした。
それで、終わりだった。
街道が静寂に包まれた。
ヒマリは自分の手のひらをじっと見ていた。震えがまだ止まらなかった。怖かった。
――けれど。
(……やれた)
ぼんやりとそう思った。
アーシュが戻ってきた。ヒマリの前に片膝をつき小さな手のひらをそっと確認する。火傷も傷もない。
アーシュの肩の力がほんの少しだけ抜けた。
「……よくやった」
ヒマリが顔を上げた。
「今のは正しい判断だ。逃げられないと判断し、すぐに戦う事を選んだのは、正解だ」
「……でも、かたちが、ぐちゃぐちゃだった、よ」
「まだ教えていないことを、やったんだ。当然だ」
「……うん」
ヒマリが少しだけ俯いた。
それから――
「……ちゃんと、あたって、うれしかった」
小さな声でそう言った。
「ああ。大したものだ」
ヒマリがもう一度自分の手のひらを見た。震えは少し収まっていた。
「……こわかった」
「そうだろう」
「でも……やれた」
「ああ、やれた」
アーシュは立ち上がった。それ以上は言わなかった。けれど、ヒマリにはそれで十分だった。
トバスがよろめきながら立ち上がった。顔はまだ青ざめていたが、ヒマリを見るなり目を丸くした。
「ヒマリちゃん……さっきのは」
「……ほのお、とばした」
「照明の変換だけでも驚きだったのに、実戦で火への変換まで……」
「……うん、やったらできた」
トバスがアーシュに顔を向けた。
「師匠。この子、本当にとんでもないですよ」
「……知っている」
トバスは言い返しかけて、諦めたように笑った。
「末恐ろしいですな」
「ああ」
「いや、頼もしいというべきですね」
「……かもな」
ヒマリはそのやりとりを聞きながら、また自分の手のひらを見ていた。
末恐ろしい、という言葉の意味はなんとなく分かった。けれど、それよりも今は別のことを考えていた。
――アーシュが「よくやった」と言った。
形がぐちゃぐちゃでも。震えていても。怖くても。ヒマリがやったことを「正しい」と、言ってくれた。
それだけで足の震えがだいぶ収まっていた。
*
その夜。
野営の焚き火を囲みながらヒマリがぽつりと言った。
「……ねえ、アーシュ」
「何だ」
「……もっと、つよくなりたい」
アーシュは少し間を置いてから答えた。
「なれるさ」
「ほんとに?」
「ああ。今日やったことが証明している」
ヒマリが焚き火を見ながら、小さく「……うん」と言った。
今日、ヒマリは初めて魔法を誰かのために使った。
形は、歪んでいた。
威力も、弱かった。
けれど、止められた。
誰かを助けられた。
そして、誰かに褒められた。
ヒマリは焚き火を見つめたまま、ひとつ小さく息を吐いた。
もっとうまくなれば、ちゃんと守れる。
その小さな意志が、ヒマリの胸の奥で静かに根を張り始めていた。
焚き火の向こう側でアーシュがカップを傾けた。火の粉がちろちろと夜空に昇っていく。アーシュは何も言わずにその火の粉を目で追っていた。
この子はきっと強くなる。
それがどれほどのものになるか、今はまだアーシュにも分からなかった。




