連鎖10
古くなっていたのだろう窓枠は、どれほど注意しようと音を立てる。
がたん、と一度響いた時には驚いたが、どうやら近づいてきている連中には聞こえていないようだ。
「さあ入って。早く」
ジェルメを促し、連中の声が聞こえるぐらいまでに近づいてきたところで何とか俺も中に入りこんだ。
「伏せて」
入ってすぐに向かえたのはかび臭い空気とシラのその指示。
そしてその理由はすぐに分かった。
部屋に入ってすぐ右手側にある、今や枠だけになった窓だ。その窓の向こうにいくつもの影が近づいてきている。
「ッ!!」
指示通りにその場に伏せ息を殺す。
硬い板張りの床は長年の汚れと割れたガラスとで埋め尽くされていて、伏せたまま呼吸しようとすると思わずむせ返りそうになるが、何とかこらえた。
元は何かの店舗だったのだろう、部屋の中央には、大きな長机が置かれ、放置された雑貨類がその上にまだ残っている。
店主は夜逃げでもしたのか、或いは何か別の理由で手放したのか、どちらにせよ今更戻ってくることはあるまい。既に荒らされに荒らされ、金目のものは何一つ残って無さそうな状態だ。
そしてその荒れ果てたゴミ屋敷が、結果として俺たちの体を隠してくれていた。
「……」
窓の向こうを何人ものチンピラが通り過ぎる。
数は7~8人ほど。手にはナイフやマチェーテや、或いはただの棒。服を着ている者、いない者、正気な者、薬か何かでトんでいるような者。
そのいかれた仮装パーティのような集団が、直線距離で2m程の所を通過していく。
「……行った?」
シラがそっと呟いて顔を上げたのは、連中の最後尾にいた刺青の塊のような男の姿が窓枠の向こうに消えてから数秒経ってからだった。
「静かに行きましょう」
もう安全と判断したか、彼女は振り返ってジェルメに伝えると、見本を見せるように慎重に這って移動を始める――流石に今回は音がしない。
店の奥、かつては商品が積まれていたのだろう、今は空っぽの棚の間を抜けて裏口らしき扉をそっと開けると、それまでと同じような路地が再度現れる。
「ブレンマーン寺院はもうすぐだよ」
その路地を見てジェルメがそう言った。
「だといいがな」
その短い距離であっても一切安心はできない。他の所でも巡回しているのだろう物音や、それに加わらなかった連中との間に起きている衝突の声がどこからか聞こえてきている。
それらが周囲から発せられている訳ではないという事を確認して建物の外へ。影から影へと移っていくように移動を再開。
より細い路地に入り、袋小路の手前で小さな水路に、それを跨ぐ橋の欄干の壊れた場所から降りると、足首まで水に浸かりながら流れに逆らうように進む。
「こっちの方が近道だし、道よりも追手が少ない」
「まあ、そうだろうよ」
その水路を進み、最初の橋の手前で上へ。
崩れかけた建物から突き出している柱を伝って再び地上に出ると、成程高い壁に覆われた寺院らしき建物が目の前にあった。
「ここがブレンマーン寺院ですね……?」
シラがジェルメに振り返るが、その声はどこか不安げだ。
まあ無理もない。寺院と言ってもここは貧民街のど真ん中。周囲と敷地内を遮る高い壁には様々な落書き。意味の分からない怪文書や記号から、何やらアジびらのようなものから、誰かへの恨み言、そして落書きの定番であるありとあらゆる卑猥な言葉と絵が揃っている。
そしてその寺院の関係者ももう諦めているのだろうと分かる、年季の入ったそれらと、それよりもっと古い時代にそうなったのだろう、所々倒壊したその壁の向こうには、壁の外と大して変わらないボロボロの寺院がぽつんと立っていた。
「間違いなくここだ。この敷地内を抜けていく」
その崩壊した壁から中へ。
この世界で信仰されている女神像が――“死ぬほどヤりたい”という落書き付きで――お出迎え。
その対となる主神像は腰から上がなくなっていて、足元には犬の小便が染みついたような黄ばみがとれなくなっている。
それを見たジェルメの言葉。
「罪深き者達をお許しください」
文言こそ敬虔ぶっているが、その口調も表情も皮肉を隠す気もなさそうだった。
寄付を求める張り紙と、それを覆い隠す督促状だらけのみすぼらしいばかりの寺院の建物をぐるりと回って、同じ敷地内に設けられた墓地へ。
こちらの世界にも死体を埋葬し、墓石を立てて供養するという習慣はあるのだが、どうもこの辺りではそれすら贅沢に含まれるようだった。
墓石のようなものは疎らにしか残っておらず、それですら石工に注文して切り出したような上等な代物ではなく、山や河原に落ちているような石をそのまま持ってきたような、ただのごつごつした岩塊を目印代わりに置いただけのような有様だ。
死体を埋めているのも、一目でそれとわかる。碌に穴も掘らずに地面に転がして上から土をかぶせ、その土を取るのに使った穴をそのままにして次の死体を放り込む――恐らくそうしたのだろうと思われる、奇妙に盛り上がった部分と、掘り返した穴の跡が交互に並んでいた。
「ここを抜けて――」
そこに足を踏み入れた時、シラの足が止まった。
「ッ!!」
咄嗟に四匹の蛇を展開して正面を見据える。
俺も同時に鯉口を切り、二人でジェルメを隠すように前に出た。
「うふっ、やっぱり来たわね」
墓場の向こうに立っていた人物が、嬉しそうな声を上げて俺たちを出迎える。
「この寺院の人……って訳ではなさそうですね」
シラとて分かっている。
いや、この場にいる誰もがそいつの正体は分かっていた。
全身を覆うフード付きの黒いガウンのようなものを纏った背の高い二人を左右に侍らせた女。
声を発したのはその女だろう。左右の二人は微動だにしないが、対照的にそいつだけは口元に手をやって、やんごとなき身分の人間がそうするように笑った口元を隠していた。
だが、それ以外は左右の二人と大して変わらない。
フードを目深にかぶり、体はガウンの代わりにケープで覆っている――べっとりと付着した血が固まって取れなくなったそれを。
「パノアの魔女……か」
つい先ほど見かけた落書き、そして耳にした話の具現化が目の前に現れているのだという事は、その一瞬だけで即座に判断できた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に