Ⅱ魔術師と盗賊 1. 境界の町
1.境界の町
赤の王都と白の王都の間のちょうど中間にはウィンデラという小さな町があった。
この町は西大陸の他の小さな町と同様、石畳の通りにレンガ造りの家や店が並び、中央広場の噴水とそのそばには教会がある、見た目は普通の町であった。国と国との間の町なので、旅人もよくこの街を通過する。しかしこの街に宿をとることができるのは、限られた者たちだけだった。普通の旅人は宿屋の主人が滞在を許さないようにしていた。というのも、夜の間この町には、住民と仕事の依頼者しかいられないという掟があるからだった。この町は“裏の仕事”をする者たちの棲み家であった。
混み入った街の路地を抜けて山道に入り、しばし歩くと大滝が道を遮り行き止まりとなる場所がある。その大滝の裏手には大洞窟がある。そこは“シーフの隠れ家”と呼ばれ、シーフの組合や暗殺者協会、未承認モンスター斡旋中央連合など、西大陸でも有数の裏のギルドたちが仲良く軒を連ねていた。もともと、この町に最初に住み始めたのは、赤の国と白の国の二国を荒らす複数の盗賊団であったとされる。それが盗品を扱うバイヤーや贋作師が集うようになり、また盗賊団から分化した暗殺者たちが新しく集団を作って、町が大きくなったといわれている。
この町は、昼間は薬草売りや武器商人、魔法石商人、田舎芸術家の小さな土産物屋、医者など、どこの町にでもいる者たちが街を活気付けていた。が、その実彼らのほとんどが陰のある商売をしていた。決して粗悪品を売っているわけではなかったし、客に嘘をついて騙すわけでもなかった。ただ薬草売りは頼まれれば望みどおりの毒薬を調合するし、商人たちの売り物は盗品であったり、いわくつきの物だったりし(もちろん客には説明している)、田舎芸術家は遠くの国からも依頼が来る当世一の贋作画家であり、医者など手に技持つ者は、一定の基準に満たない職人つまりもぐりであった。ちなみにこの世界でもぐりとは、親方について見習いになるか、試験を受けるかなど何らかの方法でその職業の同業組合や協会に登録していない技術者をいう。
一癖も二癖もあるウィンデラの住人たちは、昼間は街で無害な商売をしていた。そして夜になると、依頼者が来れば不法な仕事を引き受けていた。住民のそれぞれが確かな腕の持ち主たちで、職業意識がはっきりしていたので、後ろ暗い雰囲気は町にはなかった。
そんなウィンデラの町の教会から、早朝ホクホク顔で帰途につく黒髪の青年がいた。首元には、教会で僧侶から渡されたばかりのクロスを黒いローブの下に隠していた。クロスは真ん中に白石が嵌め込まれ、石の中に正三角形の上に小ぶりの円が乗っている模様が透かして見える、白のポーンのクロスだった。この青年、クオ・ブレインは今年初めてチェスに参加する魔術師だった。毎年ウィンデラから行けそうな近い国でゲームが開催されると、クオは必ず参加申し込みをしていた。それというのも、チェスのプレイヤーになると、国からの賞金が手に入り、また西大陸中に顔が売れて、魔術師の仕事の依頼が多く入るからだった。しかしクオは今までプレイヤーに選ばれたことは一度もなかった。
町外れにある一人暮らしの自分の住処に着いたクオは、お手製の錠の魔術のかけてある家の扉を、呪文で解いて開けようとした。が、どういうわけか鍵はすでにあいていた。クオははっとして、がばっと古びた戸を開けた。一部屋だけの狭い家には、壁一面に手書きの書物がびっしり並ぶ本棚が据え付けられてあり、中央に木製の粗造りのテーブルとイス、奥にちょこんと台所がある。そして今、部屋の中央にはどうやって入ったものか、クオと同じ年頃の蜂蜜色の髪の青年が、テーブルに座って客人用のワインをすすっていた。
「よっ!“もぐり”の魔術師ちゃん。おかえんなさい」
訪問者は“もぐり”の部分をわざと強調して、へらへらと家の主に挨拶をした。クオは錠の魔術を解除され、その侵入者がよく無断侵入をする隣人だったことに呆れた。
「おいおい。家の錠は触っただけで感電するように、最大級の術をかけておいたんだぞ。お前が入ってこられないように! しかも何でいつも、丹念に編んだ目眩ましの魔術で隠しておいた俺のとっておきの酒を、主のいない家で勝手に思いっきり寛いで飲んでるんだよ」
クオはやや諦め調子でため息を吐きながら隣人に問うた。しかし招かざる客は、クオの非難にもどこ吹く風と、悪びれずにしらっと答えた。
「なんたって、オレ正真正銘のシーフだしさぁ。施錠解除や隠し物あばきは仕事のうちだからね。そう怒ってないで、この上等のワインで祝おうぜ。クオ、白のクロス貰ったんだろ?」
客の思わぬ言葉にクオはどきりとした。今さっき教会からクロスを渡されたばかりで、自分がプレイヤーに選ばれたことは誰にも知られていないと思っていた。ゲームの参加者が西大陸の人々に正式に発表されるのは、八月一日つまり今日の正午である。クオはそれまでに、できるだけ早くこっそりとウィンデラから出ようと考えていたのだ。というのも、ここウィンデラは盗賊団の町だからである。海千山千がうようよいる町では、いつクロスが盗られてしまうかわからない。駒のクロスは、盗まれて売買されることもあると噂に聞く。チェスに参加する前からクロスを失くしていたのでは、話にならない。クオはクロスの受け取り場所を他の町に登録しておけば良かったと少し悔やんだ。
家の主になどお構いなしに、ぐいぐい一人でワインを干していく相手を、クオは漆黒の瞳で見据えて問い質した。
「何でフローが知ってるんだよ? ……町の人たちはどれくらい知ってる?」
「さぁ? オレの同業者は知ってるのもなんぼかいるだろな~。ま、お前は町でも可愛がられてる方だから、警戒しなくてもいーんじゃない? それよりオレたちの旅を祝して乾杯しようって。出発急ぐんだろー? もぐりちゃん」
クオはこの抜け目ないシーフの隣人(とクオは思うようにしていたが、実際は長い付き合いの幼なじみと言った方が正しかった)のクレア・フローの言い方が気になった。オレ“たち”とはどういうことだ?
「さっきからもぐりもぐりと呼ぶな。俺がいくら西大陸魔術師協会から未承認の魔術師であっても、今回チェスのプレイヤーに抜擢されたのだから、国から堂々と魔術師として認められたってことだろ。それよりなぜ“オレたち”なんだよ?」
そこでフローは空になったワイングラスをテーブルの上に置いて、にっと笑って自分の懐から駒のクロスを取り出して、クオの目の前にぶら下げて見せた。そして、
「プレイヤーになったのはクオだけじゃないのさ」
と、会心の笑みをもらした。クオはそれを見て、そういうことかと半ば驚き半ば納得した。まだクオは教会から帰ってきたばかりで、そこでクロスと一緒に手渡された参加者リストを見ていなかった。
が、すぐにフローのクロスが自分のとは何か違うと気付いてはっとした。クオは目の前にちらつかされたクロスを手で乱暴に奪ってそれをよく観察した。クロスの真ん中に嵌め込まれている石の色が紅かった。
「ってお前、赤のポーンのクロスだろ、これ。それじゃあ、おい……」
クオはあまりにも予想外な展開に黙り込んだ。フローはそんなことは全然気にせず、パチっと軽く指を鳴らした。すると赤のクロスはクオの手から離れて、一瞬にして持ち主の手の中に戻った。それをフローはまた懐にしまい、再び何の遠慮もなくグラスに二杯目のワインをつぎ足した。シーフは美酒を味わい「うーんうまいねぇ」と一人で満足している。しかしクオは、この状況にとうとう言葉を失ってしまった。よりによって、この生き馬の目を抜く盗賊フローが、同じゲームで自分と紅白分かれて参加することになろうとは。
フローはクオが固まってしまったので、家主が帰ってくる前にもう一つ用意しておいたグラスにワインを並々と注ぎ込み、
「ほれ、だから乾杯しようって。このままだとオレ一人で極上ワインを飲み干すぜ?」
と、グラスを差し出した。クオはフローのちょっと心配したらしい様子に、警戒するのを諦めてグラスを受け取った。だがフローはへらっと笑って一言付け加えた。
「あ、でもそのグラスにオレが痺れ薬を仕込んでおいたかもよ」
「おいおい」
しかしクオはその言葉には気にせずに、ぐいと一気にワインを飲み干した。
「お前の暗殺者家業の叔母さんお手製の毒草入りの飲み物なら、子どもの頃からお前のいたずらでよく飲まされていたから、たいていの毒薬には耐性があるつもりだ。しかし何で、シーフのお前が大目立ちするチェスに参加する気になったんだよ?」
シーフがチェスのプレイヤーになることはほとんどない。第一に、シーフ自身の問題である。クオの言った通り、シーフが世界中に顔を知られると、ゲーム終了後に仕事がしづらくなる。活躍すれば他の職業のプレイヤーたちと同様、腕は認められるかも知れない。だが、そうすると当然、西大陸の国々から目をつけられ警戒されてしまう。有名なお尋ね者になる、ということである。
ただしそういうリスクは大きいが、悪いことばかりでもなかった。ゲームの間に、シーフは己が敏捷さを発揮して王の間まで乗り込むことに成功し“チェック”でもした日には、ゲーム終了後に、どこからともなく一国規模の大きな仕事に誘われる。もしくは、非公式に豊かな国のおかかえシーフに雇われることもある。ここで断っておくと、シーフといっても、仕事は盗むことばかりとは限らないのだった。シーフの最大の特徴は、魔法や魔術を使わないで普通の人より敏捷に動き、気配を消すことができる技術を持っていることである。その能力は、内密な用心警護や密偵などにも重宝で、かの者たちの中にはそういう仕事を請け負う者もいるわけだった。たいてい雇い主は金持ちなので、報酬も良かった。ただ、ウィンデラで育ったシーフは、普通そのような毒気のない仕事はしない。
シーフがチェスのプレイヤーになることがない第二の理由は、プレイヤーを選考する国の方の問題であった。シーフがチェスで活躍する方法は、敵プレイヤーに気付かれずに王城に潜入することである。このゲームは昔から白昼堂々試合をすることがメインであった。そのためシーフのやり方は、ゲームにそぐわず後ろめたい感じが選考者にはあることが多い。
だが、シーフがポーンになった場合、普通のポーンでは一日に動ける範囲は大体皆同じ距離であるのに対し、この飄々とした者たちだけは、もともと移動できる範囲がひとの二倍ほどあるので、ゲームでは速攻戦の時に大変強い。
目の前の若いシーフは、クオのこの問いにやっと真顔になり、挑戦的な茶の瞳を相手に向けて答えた。
「アルビノの魔術師が作った、ポーンのための隠れボーナスを狙ってるのさ」
クオはこれには何も答えなかった。フローのいう隠れボーナスとは、“昇格”または“成り上がり”と言った特殊なルールのことである。チェスのルールとして、ポーンは一日の移動範囲が短く制限されている。それにも関わらず、長い旅の末キングのいる王都まで至り、相手のプレイヤーの守備陣をかい潜って、城に入ることを“昇格”または“成り上がる”という。成り上がった場合、今まで馬や鳥に乗ることができなかったポーンはボーナスとして、ゲームのその後はクイーン、ルーク、ビショップ、ナイトの能力のどれかを使えるようになる。ポーンが成り上がりを達成した場合、すでに王城にいるので、たいていそのまま王の間まで攻め行き“チェック”まで持ち込む。フローの発言は、自分がクオの守る白の王に王手をかけるという意味にも取れるのだった。
しかしこのゲームの不思議な所は、成り上がりで身に付けた能力はゲーム終了後も残っているということである。もちろん成り上がるのは難しい。
「ご馳走さま。またこの次祝杯する時も宜しく。次はゲームの終わった時だろね」
フローは赤い酒を飲み終えると、わざと大げさに手を合わせて礼をした。目には不敵な光が残っていた。
「俺は今すぐ出発する。お前ともできたらゲームの間会わなければいいがな。じゃあな」
そう言い、クオはフローとの会話を無理やり切り上げて、昨日のうちに準備しておいた旅の荷物と自作の杖を持って外に出た。
自分の家を出た時、クオは無意識に「やれやれ」と呟いた。




