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さようならと言った少女と、家族を失った父  作者: ちぃ


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20/20

 もう一度、家族と呼ぶために

エリシアがエドワードと結婚してから、穏やかな月日が流れていた。


朝は一緒に食事をし、仕事や勉強に向かう。


一日の終わりには、その日にあったことを話しながら笑う。


そんな当たり前の日々が、エリシアには何より幸せだった。


かつては、こんな未来が来るなんて想像もできなかった。


自分は必要とされていない。


そう思っていた少女が、今ではたくさんの人に愛されている。


そんなある日のことだった。


「エリィ」


エドワードが、少し険しい表情でエリシアを呼んだ。


「どうしたの?」


「……ローゼンベルク家から、知らせが来た」


その言葉を聞いた瞬間、エリシアの胸がざわついた。


「……お父様に、何かあったの?」


エドワードは静かに頷いた。


「病気になったそうだ」


エリシアの手が止まった。


長い間、考えないようにしていた人。


愛していたのに、傷つけられた人。


それでも、心のどこかではずっと気になっていた人。


「……お父様」


胸の奥が、きゅっと痛んだ。


---


その日の夜。


エリシアは母の形見を手に取り、窓辺に座っていた。


「お母様……」


何度も考えた。


会いたくない。


怖い。


また昔のことを思い出してしまうかもしれない。


けれど――。


もう一度だけ、会っておきたい。


「私……行ってみようと思う」


隣にいたエドワードが頷いた。


「俺も一緒に行く」


「ありがとう」


「一人で行かなくていい」


その言葉に、エリシアは微笑んだ。


昔とは違う。


今の自分には、支えてくれる人がいる。


だから、向き合える。


「行ってくるね、お母様」


そう呟いて、エリシアは立ち上がった。


---


ローゼンベルク家。


久しぶりに訪れた屋敷は、幼い頃の記憶とは少し違って見えた。


大きな廊下。


高い天井。


見覚えのある庭。


そして――。


かつて母とお茶を飲んだガゼボ。


エリシアは足を止めた。


胸の奥が少し痛む。


けれど、もう逃げなかった。


「エリィ」


エドワードがそっと声をかける。


「大丈夫」


エリシアは小さく笑った。


「今度は、大丈夫だから」


二人で屋敷の中へ入る。


案内された部屋には、ベッドに横たわるアーヴィンがいた。


以前よりもずっと痩せていた。


顔には疲れが浮かび、昔の威厳もほとんど残っていない。


「……エリシア」


かすれた声が聞こえた。


エリシアはしばらく何も言えなかった。


そして、ゆっくりと近づいた。


「……お久しぶりです、お父様」


アーヴィンの目に涙が浮かんだ。


「来てくれたのか……」


「はい」


それだけ答えて、エリシアは椅子に座った。


しばらく二人の間に沈黙が流れた。


やがて、アーヴィンが口を開いた。


「……すまなかった」


その一言に、エリシアの胸が揺れた。


「私は……お前を幸せにしたかった」


アーヴィンは苦しそうに言葉を続ける。


「母親を失ったお前が、一人にならないようにと思った。だから、新しい家族を作れば、お前も前を向けると思っていた」


エリシアは黙って聞いていた。


「食事も、マナーも……すべてお前のためだと思っていた」


アーヴィンの目から、一筋の涙が落ちる。


「だが……私は、お前の気持ちを聞こうとしなかった」


声が震えていた。


「お前が嫌だと言っていたのに、私は『お前のためだ』と言い続けた」


エリシアの胸に、幼い頃の記憶が蘇る。


苦しかった。


寂しかった。


何度も助けてほしいと思った。


それなのに、言えなかった。


「……あの頃の私は」


エリシアが静かに口を開いた。


「お父様に、私のことを見てほしかった」


アーヴィンが顔を上げる。


「お母様がいなくなって、とても寂しかったんです」


「……ああ」


「新しいお母様が嫌だったわけではありません。ソフィアお母様も、カイルお兄様も、優しくしてくれました」


「……そうだったな」


「ただ……私は、お母様がいなくなったことを受け入れられなかった」


エリシアは自分の胸元にある母の形見に触れた。


「お父様に、『寂しい』って言いたかった」


その言葉を聞いた瞬間、アーヴィンは顔を覆った。


「……すまない」


「でも、言えなかった私も悪かったと思います」


「違う。お前は子どもだったんだ」


アーヴィンは首を横に振った。


「大人だった私が、お前の気持ちを分かろうとしなければいけなかった」


エリシアはしばらく父を見つめた。


昔なら、この人を見ただけで怖くなっていたかもしれない。


けれど、今は違う。


あの頃の自分とは違う。


自分の気持ちを、自分の言葉で伝えられる。


「……お父様」


「……なんだ?」


「私、お父様を許します」


アーヴィンの目が大きく見開かれた。


「本当に……?」


「はい」


エリシアは微笑んだ。


「ずっと恨み続けることは、もうしたくありません」


けれど――。


「だからといって、昔に戻ることもできません」


アーヴィンは静かに頷いた。


「分かっている」


「私はもう、一人ではありません」


エリシアは隣にいるエドワードを見る。


エドワードは優しく微笑んでいた。


「私には、お母様が残してくれた大切な家族がいます。辺境伯家のお祖父様やお祖母様、お父様、お兄様たち。そしてミリアも」


そして――。


「エドもいます」


「……そうか」


アーヴィンは寂しそうに笑った。


けれど、その顔にはどこか安心したような表情も浮かんでいた。


「お前が幸せなら……それでいい」


「ありがとうございます」


エリシアは立ち上がった。


「これからは、少しずつでいいから……また会いましょう」


「……エリシア」


「今すぐ昔のようにはできません。でも、少しずつなら……」


アーヴィンの目から、再び涙がこぼれた。


「……ありがとう」


エリシアは父の手をそっと握った。


幼い頃には握ることのできなかった手。


今は、もう怖くなかった。


「お父様」


「……うん」


「お元気でいてください」


「ああ」


その言葉を最後に、エリシアは部屋を出た。


---


屋敷の外へ出ると、柔らかな風が吹いた。


エリシアは空を見上げる。


「……終わったのかな」


エドワードが隣に立つ。


「何が?」


「ずっと心の中にあったもの」


エリシアは母の形見に触れた。


「ううん。きっと、終わったんじゃなくて……前に進めたんだと思う」


「そうだな」


エドワードが微笑む。


エリシアも笑った。


「お母様が言ってくれたから」


――あなたには、まだ生きてほしい。


――幸せにならなくてはいけない。


――自分の気持ちに素直になって、生きていきなさい。


あの日の言葉を、エリシアはずっと忘れていなかった。


「お母様……」


空を見上げる。


「私、幸せになったよ」


幼い頃、母を失って。


家族を失ったと思って。


自分には居場所がないと思っていた。


けれど、違った。


新しい家族に出会い。


大切な人たちに愛され。


自分自身の手で、幸せを選ぶことができた。


そして今――。


「お母様のところへ行かなくてよかった」


エリシアは、涙を浮かべながら笑った。


「生きていて……本当によかった」


エドワードが、そっと手を差し出す。


エリシアはその手を握った。


「帰ろう、エリィ」


「うん」


二人は並んで歩き出した。


もう、振り返らない。


過去を忘れるわけではない。


悲しかったことも、苦しかったことも、母との思い出も。


全部、大切な自分の人生の一部だから。


それでも、これからは前を向いて歩いていく。


いつかまた、父とも自然に笑い合える日が来るかもしれない。


その日を、焦らず待てばいい。


エリシアは隣にいるエドワードの手を握り直した。


「エド」


「ん?」


「これからも、ずっと一緒にいてね」


「ああ。約束する」


二人は笑い合った。


その笑顔は、幼い頃のエリシアが失ってしまったと思っていたもの。


けれど今は――。


自分の大切な人たちと一緒に、確かな幸せとしてここにある。


エリシアは胸元の母の形見をそっと握った。


「お母様……ありがとう」


そして、心の中で最後にもう一度だけ伝える。


――私、ちゃんと幸せになったよ。


青い空の下。


エリシアは、大切な人の手を握りながら歩いていく。


もう、誰かのために自分を押し殺すことはしない。


自分の気持ちに素直に。


悲しいときは泣いて。


嬉しいときは笑って。


大切な人を、大切にしながら。


これからも、自分の人生を生きていく。


――それが、母との約束だった。


そして。


長い長い孤独の先で見つけた、エリシアの幸せな未来だった。


**完**


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