忘れる暇が存在しないなら、言われなくても忘れない
人というのは不思議なもので、一定以上に強い感情に突き動かされると、かえって冷静になったりするものだ。今の俺がまさにそれで、驚き叫んだことで逆に頭の中の荒波がスッと静まったのを感じる。
「……………………」
とりあえず立ち上がり、俺は自分の体を調べてみる。沈み込むように柔らかく、それでいて垂れていない大きな胸。弾むような弾力のある尻。女が理想とするのではなく、男が現実的に魅力を感じるちょうどいい細さ……あるいは太さの腰。そして……
「…………ないな」
肝心なアレは、勿論ない。たかだか人体の一部分でしかないというのに、それが無いのはとても心許ない。それと喋ってみて気づいたが、声が俺の声じゃない。聞き覚えがあるような無いような、やや甲高い声だ。
「……いや、違うだろ。もっと別に調べなきゃ駄目なことが――」
「エド? 朝から大きな声を出してどうしたの?」
と、そこで突然扉がノックされ、ティアの声が聞こえてくる。ああ、さっきの叫び声を聞かれたのか。とはいえティアは良識人だ。いきなり扉を開けたりしないし、言えば待ってくれるだろう。
「あー、悪いティア。ちょっと待って――」
「っ!? エドっ!」
「えっ、何で!?」
「えっ!?」
何故か勢いよく扉を開け、剣の柄に手をかけたティアが俺を見て驚きの表情を浮かべる。
「…………エド、よね? え、でも、女の人!?」
「お、おぅ……てか、何だよいきなり。待ってくれって言ったじゃん?」
「ご、ごめんなさい。でも全然知らない人の声だったから……」
「あー……」
言われてみれば、俺の声は俺の声じゃなくなっていた。そりゃ知ってる相手の部屋から知らない奴の声で「待ってくれ」って言われて待つわけねーわな。
「えっと……それで何でエドは女の人になってるの?」
「いや、わからん……それより、何で俺がエドだってわかるんだ?」
「えぇ? だってエドはエドじゃない。性別が変わったくらいで見間違えたりしないわよ」
「あぁ、そう……それは、ありがとう?」
「フフッ、どういたしまして」
何となくお礼を言う俺に、ティアが剣から手を離して笑う。そのまま立ち話も何なので、俺はティアを部屋に招き入れて備え付けの椅子に座ってもらい、俺自身はベッドの上に腰掛けた。
「もう一回聞くけど、何でそんなことになってるの?」
「俺ももう一回言うけど、自分でも全く分からん。この姿自体には見覚えがあるような気がしなくもないんだが……あ、鏡を見りゃいいのか」
言って、俺は「彷徨い人の宝物庫」から鏡を一枚取り出す。それをティアに持ってもらって自分の姿を映すと、そこにあったのは髪と目の色だけは俺のままなれど、それ以外は少し前に倒した魔王ラストそのままの姿だった。
「おぉぅ、ラストの体じゃねーか……」
「ラスト?」
「ああ、ドナテラの世界で倒した魔王だよ。でも声がちょっと違うような?」
「声? なら……はい、これで私に話してみて?」
「うん? こうか?」
『うん? こうか?』
「『ふぁっ!?』」
ティアに向かって話した声が、一瞬遅れて自分に返ってくる。だがそうして返ってきた声は、間違いなくあの魔王ラストの声だ。
「声って、自分が聞いてる声と他人に聞こえる声が違うのよ。だから今、風の精霊魔法でエドの声をそのまま反射したの。どう、何かわかった?」
「ああ、完璧だ。どうやら今の俺は、魔王ラストそのものみてーだな。まあ体だけだけど」
見た目の変化に伴い、おそらく身体能力も若干だが変わっていると思う。が、魔王ラストが使えた魅了の力を使える気はしないし、さっき何気なく発動できたので追放スキルも普通に使えるようだ。
「ふーん、それがあの集落の男の人達をメロメロにした魔王なのね……ちなみに、エドはどうだったの? やっぱり目を奪われちゃった?」
「俺か? 俺はそんなことなかったな。だって俺だし」
自分の体を見てうっとりするような趣味は俺にはない。たとえ性別が変わろうと俺は俺であり、そこに違いはないのだ。
「いや、それは今は別にいいだろ。それより朝起きたらいきなりこんな体になってたんだけど、ティアは何かわかるか?」
「何かって言われても……少し体に触ってもいい?」
「おう、いいぞ」
「じゃ、失礼して……うわ、普通に触れる! ってことは幻じゃないのね」
「多分な。一応追放スキルに姿を変えるようなやつもあったんだが……え、まさか!?」
その可能性に思い当たり、俺は自分の中で力を探っていく。するとそこに一つの些細な……だが大きな変化があった。
俺の見た目を変えることのできる追放スキル、「接触禁止の厚化粧」。一見すると便利だが、ちょっと触られるだけでも変装が解けてしまうという使い勝手の悪さでずっと使うことのなかった力だ。それが変化……いや、進化している!?
『魂に刻まれた在りし日の姿を映し出す。その全てが忘却の果てに終わるまで、私は貴方と共に在る。だからどうか忘れないで。私は貴方の――』
「『可能性の残滓』ねぇ……こんな自己主張の激しい奴、忘れるわけねーだろうが」
何処までもふざけていた魔王ラストの姿が、俺の脳裏に鮮明に蘇ってくる。あれほど短時間でここまで記憶に残るというのなら、むしろ一瞬の邂逅で済んだのはよかったのかも知れない。
「原因がわかったの?」
「ああ。どうやら前の世界で倒した魔王の力を吸収した影響らしい。ひょっとしたら自我の強い魔王の力を得ると、こういう感じで追加の能力が手に入ったりするのかも知れねーな」
確かに、もしジョンが俺の中に戻ってきたなら、あれだけの個性と経験、ひいては魂が単に無為な力として解けて消えてしまうとは思いづらい。だがそれを言うならゴウさんのところで倒した魔王も割としっかりした人格を持っていたと思うんだが……
「……なあティア。もし俺が突然城と合体して巨大ゴーレムになったりしたらどうする?」
「巨大ゴーレムって……多分途方に暮れるんじゃないかしら? あとはその中に住んで、一緒に旅をするとか? あ、それはちょっと楽しそう」
「……………………」
ほんの一瞬、俺もちょっと楽しそうだと思ってしまったのは口に出さない。もし万が一本当に周囲の建物を使ってゴーレムになったりしたら、それはもう越えたら駄目な一線を余裕で踏み越えている気がするしな。
「それで、元に戻ることはできるの?」
「ちょっと待て……おお、いけた」
魔王の力……即ち追放スキルの効果だと認識できれば、使うのは容易い。意識して能力を解除すると、ゆっくりと俺の体が元に戻っていく。
「ふむふむ、完全に変わるまで一分くらいかかるのか。連続使用も……オエッ!」
男に戻り、すぐに女に変わろうとしたところで、不意に強烈な吐き気と頭痛が襲ってくる。思わずそのままベッドに倒れ込むと、上からティアが呆れたような表情で俺の顔を覗き込んできた。
「何やってるのよエド。そんなに頻繁に体を変えるなんて、調子悪くなるに決まってるじゃない」
「あー、そうだな……そりゃそうだ…………何の言い訳も思い浮かばねぇ……」
幸いにして吐き気と頭痛はすぐに治まったが、代わりに全身を酷い倦怠感が襲ってくる。「包帯いらずの無免許医」で腕を生やしたりしてるせいで感覚が麻痺してたが、人の体というのはそんなにポンポン治ったり変わったりはしないのだ。そりゃ呆れられるに決まってる。
「でもよかったじゃない。これで最大の懸念は解決ね!」
「懸念? 何の話だ?」
「決まってるじゃない! レインちゃんのアイドルの話よ」
「アイドル……?」
だるさの残る思考では、ティアの言っている意味がわからない。思わず眉根を寄せる俺に、ティアがこれ以上無いほどに楽しげに笑う。
「そうよ。私とレインちゃん、それにエドの三人でアイドルをやるの! 女の子三人組なら大丈夫なんでしょ?」
「あー、そういう流れになるわけね……」
張り切っているティアの姿を眺めながら、俺は世の不条理をさめざめと感じるのだった。




