190.鮮明な夢
あの日は、初めて学校を無断で休み、父の病院に向かった。何が理由だったのか、覚えていない。ただ、その日は夏休み前で、よく蝉が鳴いていて、まだ初夏なのにまるで真夏のように暑かったのは覚えている。
父は俺を責めることもなく、俺の手をつないで、一緒に病院を無断で抜け出した。決して体調が良いわけでは無かったのに、そんなそぶりは一切見せず、笑顔でいてくれた。
電車に乗り継いで、海に向かった。海が近くなるごとに潮風の匂いが強くなっていた。電車の中で父と話したのはたわいもない事だった気がする。例えば、車窓から見えた建物とか、海の生物の話とか。学校や家族のことは一切話題に出さなかった。きっと父は俺に気を使ってくれていたのだろう。
海開きしてない時期と平日が重なって、海には誰一人いなかった。まるで俺達が海を独占しているような特別な気持ちになった。
俺達は靴と靴下を脱いで、ズボンをまくった。足が砂に沈みこむ感覚、波の音。潮の匂い。それから父からは塩素と甘い匂いが漂っていた。
砂の上で歩くのはかなり体力がいることを初めて知った。足が重くなり、ちょくちょく転んで身体中に砂をくっつけまくった。でも、それは俺だけじゃない。父も同じだった。
砂の山を作ったり、鬼ごっこをしたりして時間が経ち、海がそこまで近寄って来た。満潮だったのだろうか。足首まで浸かる。
海水を吸った砂はさっきまでよりも重くなる。まるで足を掴まれてるようだった。俺達は海から逃げるように、
逃げる?
違う!
俺達は、海に浸かってない!
俺達は浅瀬であっても流されてしまうかもしれないから海には浸かっていないし、海も満潮になってもそこは砂浜のままだったはずだ。
真実に気づいてしまった俺が止まると、俺の手を繋いでいた父も立ち止まってしまった。足のふくらはぎまで海は押し寄せていた。青くきらめていた海は、黒く塗り替えられていた。
波が引くと、グッと足を引っ張られる。俺の足が取られ、より深い場所に海は連れてこうとする。俺はとっさに父の手を放そうとした。
しかし、父は俺の手首を掴み引き寄せた。そして、俺を抱きしめてそのまま海に流される。大きな波によって二人とも沈んでいく。肺から空気が無くなり、苦しくなる。
違う!
こんなこと無かったはずだ。
俺は正しく思い出さなくては。早く思い出して、ここから抜け出さないと父が死んでしまう!
あの日は、日が暮れる前に、妹を連れた母が迎えに来たはずだ。母は、病院を無断で抜け出した父に怒った。しかし、俺には優しく抱きしめるだけで怒ることはしなかった。
母の腹が大きくて、そこには弟がいた。
最後には、皆で手を繋いで帰ったはずだ。
これは夢だ。
それが分かると、意識が浮上して、俺は目を開けた。
タブレットを開くと、その明かりの眩しさに目がしょぼしょぼする。
眠ってからまだ1時間も経っていなかった。
俺は思い出を反芻すると、夢でのことが薄れていく。
「夢で良かった」
ホッと安心した。




