第七七話 混乱するセレン
「イテてて……セレン、大丈夫か?」
「は、はい……リュウヤ様が庇って下さったので、私は無事ですわ」
どうやら俺がクッションとなって、セレンは無事だったみたいだ。ちょっと安心。すげぇ背中痛いけどな。
感覚的には一階層分、落ちてしまった感じだ。浮遊時間も短かったしね。即死トラップでは無かったのは不幸中の幸いか。
「セレン、そろそろ動いて欲しいんだけど……」
セレンが動くのを待っていたけど、一向に俺の上から動く素振りが見受けられない。セレンは細身だし、それ程重くは無いんだけれど、迷宮で身動きが取れないのは物凄く怖い。その反面、ちょっと役得な感じも否めない。
「す、すみません……腰が抜けてしまって……」
ありゃりゃ。なら仕方がない。このラッキータイムは俺自身の手で終わらせないといけないな。ちょっと、残念。
触れたらいけない所を極力触れないように紳士的に、セレナを横に退ける。
「早く皆と合流したいけど、セレンは動けないんだよな。さて、どうするか……ん? どうした、セレン? 固まって」
セレンが口をあんぐりと開けて、呆然と俺を見詰めていた。俺の顔に何かついて――。
「あ、仮面……ねぇや……」
顔を触れた時、あるはずの感触が無かった。首を巡らしてみると、コロンと転がっている白と黒の仮面が。ゆっくりとセレンに向き直った瞬間、セレンが大きく息を吸った。
「きゃぁ――」
大声で叫ぶセレンの口を咄嗟に塞ぐ。こんな場所で叫ばれるなんて自殺行為の何物でもない。
少し漏れてしまい、俺は緊張しながらじっと辺りの様子を窺う。ドキドキと心臓が高鳴る。
「………………ふぅ~、大丈夫そうだ」
周囲に不審な気配は感じられず、俺はホッと安堵の息を吐き出した。そして、セレンに言い聞かせるように、静かに、落ち着いて説明する。
「セレン、驚くのも判る。だけど、今は落ち着いて俺の言う事をよ~く聞いてくれ。いいか? ここは迷宮だ。そこら中に魔物がいるし、危険な場所だ。そんな場所で不用意に叫んでもみろ。悲鳴を聞きつけて、そこら中から魔物が押し寄せて来るぞ?」
俺はセレンの瞳をジッと見詰めながらゆっくりと言葉を紡いでいく。
「そうなったら一番危険なのはセレン自身だ。俺を怖がっても良い。信用しなくてもいい。だけど、悲鳴は飲み込んでとにかく落ち着いてくれ。いいな?」
セレンの瞳は激しく泳ぎ、動揺しているのがよく判った。だから俺はセレンが落ち着くまで辛抱強く待つことにする。
すると、暫くの後、セレンがゆっくりと頷いた。それを確認して、俺は塞いだ手を放していく。
「えっと、あ、あの、そ、その……」
未だ動揺しているものの、理解してくれたようで悲鳴を上げる素振りは無くなった。
ふぅ~……取り敢えず一つはクリアだな。後はどうやって俺を信じてもらうかだな……。とにかく、少しセレンから距離を取ろう。その方が落ち着けるだろうしな。
俺は何があっても即座にセレンを守ることが出来るギリギリの位置に身を置く。
混乱するセレンを横目に周囲警戒。落ちた先は広めの通路のようだ。見通しも良く、二方向のみの警戒だけで充分だな。これなら多少ゆっくりとセレンと話す余裕は有りそうだ。まぁどちらにしても、セレンは腰が抜けていて動けないんだけど。
というか、なんで仮面が外れてしまったんだ? 落下の衝撃で外れるなんて今まで無かったし……。
《モモ不在が原因でしょう。モモはマスターのフードの中に潜伏しつつも、マスターの正体を隠そうと粘着剤の役割を果たしておりました。ですが、現在モモはマスターの命令により、地味子のフードへ潜伏しております。この状況の元凶はマスターご自身です。自業自得です》
くっ……。そう言えばそうだった。陽たちが何者かに狙われている現状、モモを護衛としてせつなに付けているんだった。ラファに何も言い返せねぇ……。
《そもそもマスターには、小娘共をご心配なさる余裕は一切御座いません。正体が明らかになってしまう事による危険性の方が何よりも高いのです。なのに、リスクばかり犯して……挙句の果てに一国の王女に正体を知られてしまうなんて……ブツブツブツ……》
ラファの小言が続くが……全くその通りだと思います、はい。以後、気を付けるのでその辺で勘弁して下さい。
《本当に猛省して下さいッ!》
……はい、猛省します。
俺がラファに怒られている間に、どうやらセレンは混乱から立ち直ったようだった。
「リュウヤ様は……ゴブリンだったのですね……」
「う、うん……正確には中鬼族だけど……」
とても悲しげなセレンの表情に心が痛む。騙していた訳ではないのだけれど、そうセレンに取られてもおかしくは無かった。
セレンが俯き、重く辛い沈黙が続く。何度も俺は口を開きかけたけど……今、俺が何を話してもセレンには響かないだろう。ただただ彼女の言葉を待つだけしか出来なかった。
数分だったか、それとも数十分だっただろうか。とても長い沈黙の後、セレンが小さく言った。
「……何も仰らないのですね」
「あぁ、何を言っても信じられないだろうし」
「そうですね……今はまだリュウヤ様の言葉は、私には何一つ信じる事が出来ませんわ」
それはそうだ。俺がもし逆の立場だとしても、信じる事が出来ないしな。
魔物は人類の敵――これは、この世界の人類にとっては不変だ。容易に覆るはずがない。
それにセレンはこのアトリニアの王女。先程彼女から聞かされた話では、いつか起こり得る魔物の叛逆に立ち向かう為に、民を守り先陣を切る勇敢さを備える為に、成人になる年に迷宮へと赴く伝統が王家にはあると言っていた。
それは即ち、魔物が決して相容れぬ敵だという認識が深く根付いている証拠でもある。
「よく……判らなくなってしまいましたわ……」
セレンは苦しそうにぽつりと零す。
「私は初めて迷宮へ赴き、そして、初めて魔物という存在を間近に見ました」
初めて魔物を間近に見たというセレナ。この異世界の者としては、齢一五になるまで魔物に接しなかったというのは、珍しい部類に入るだろう。だが、セレンは王女だ。その身分柄、危険な場所へは近付かないように囲われていたのだろうと俺は解釈した。
「多くの護衛の皆様に守られてもなお、恐怖せずにはいられませんでした。とても怖かったですわ。初めて見た醜悪な魔物の姿、鼻を突く酷い臭い、そして、肌に刺す暗澹たる殺意。私が幼き頃より聞かされていたお話よりも、実物はずっと酷く醜く、悪意に満ち溢れておりました」
箱入り娘だったセレンにとっては、想像していたよりもずっと魔物という存在は恐ろしかったのだろう。
「お話で聞いていた通り、魔物は決して相容れぬ存在、私たちの敵だと改めて思い知らされました。それなのに……」
セレンは少し顔を上げて、俺にその綺麗な瞳を向けた。
「それなのに……私、判らなくなってしまいました。中鬼族でしたか……リュウヤ様の正体が魔物だと判り、酷く混乱しております。私が今まで聞かされていたお話、そしてそれに基づく認識、その全てが殴り飛ばされたように揺らぎ、軋んでおります。本当に魔物は私たちの敵なのでしょうか。決して相容れぬ存在なのでしょうか。判らない……私はどうしたら……」
酷く苦しそうに懊悩するセレナ。今、彼女の心中では様々な思考が駆け巡り、解れ絡まり、ぐちゃぐちゃになっているのだろう。その苦しさから解き放ってやることは魔物の俺には出来ない。これはセレン自身が出さなければいけない答えだ。
だけれど、俺自身の考えを言うことくらいは許されるはずだ。
「判らなくていいんじゃないかな?」
「え……?」
「判らなくていいんだと思う。魔物だから敵、人族だから味方。そんな風に割り切れるものじゃないと思うんだ。だってさ、人族にだって、良い奴がいれば悪い奴もいる。それと一緒だと思うよ。魔物にだって、理性のある善良な奴もいるしね。種族で決めつけるんじゃなくてさ、中身を見ればいいんだと思うよ」
そう。人族にだって亜人族にだって、良い奴がいれば悪い奴もいる。それと一緒だと俺は思っている。
例えばサリアやミラ。彼女たちは夢魔族という魔物でありながら、人族によって虐げられた者たちだ。人族だから、魔物だからと決めつけるべきではないと思う。
「中身……」
セレンは小さく呟くように復唱し、考え込むように少し俯いた。そして、微かに頷く。
「リュウヤ様は……魔物ですけれど、私の窮地を救って下さいました。それに他の皆様……ヒナタ様、ソフィ様、セツナ様たちにも深く信頼されているように私には感じられました。今も、私の為を思い、私が落ち着ける様に距離を取って下さって……私、リュウヤ様の事は信じられそうです。いえ、信じてみたいです」
セレンはもう一度面を上げ、そしてニコッと微笑んだ。その笑顔は青空の様にすっきりと晴れ渡っているように感じた。
「そうか……なら良かったよ」
俺は何とかそれだけを口にし、頭をぽりぽりと掻きながらそっぽを向く。
《マスター……何を照れているのですか。これだから思春期の童貞野郎は……》
う、うるせぇよ! ほっとけ!
◇
どうにかセレンの信頼を勝ち取れたのは良かったものの、依然厳しい状況には変わりない。
不幸中の幸いは、落とし穴トラップが即死トラップでは無かったことと、落ちた先がモンスターハウスではなかったことだ。安全地帯とは言い難いが、魔物の巡回ルートから外れた場所だったらしく、今のところ魔物とは一切遭遇していない。
どうにか、逸れてしまったソフィたちと合流したいところだけれど……。
チラッと傍らに座るセレンを見やる。
「すぅ……すぅ……」
穏やかな寝息が微かに聞こえる。俺に寄り添うように座ったセレンは、疲労がピークに達してしまったのだろう、あの後直ぐに眠りについてしまっていた。
迷宮で呑気に居眠りなんてするな! とは、ちょっと言えなかった。幸い、近くに魔物の気配も無いし、どちらにしろセレンの腰が抜けていたから動けないので、そのまま寝かしている。
初めての迷宮に疲労が溜まっていただろうし、多くの供の命が失われた精神的負荷が大きかっただろうしな。張り詰めた緊張の糸が切れてしまったのだろう。それにこうして寝顔を晒してくれるのは、俺の事を少なくとも信用してくれている証だと思うしね。
《マスター、小娘共が一三階層を突破したようです。モモに指示をし、最短経路でこちらに合流するよう指示しております》
俺とセレンが落とし穴に落ちてから約一時間程経過しているが、もう間もなくソフィたちと合流できそうだな。ラファがモモと連絡を取り合い、指示してくれているみたいだ。ホント、ラファって有能だよな。
《マスターが頼りないからです。もう少し自覚を持って対処して下さると、私の負担が減るのですが……》
……ごめんなさい、ラファ先生。これからは気を付けます。
ラファの説教を聞きながら、それからしばらく待っていると、奥から複数の気配が感じ取れた。そちらへ深く意識を集中させていくと……。
《報告。スキル「気配察知」を取得しました》
その瞬間、微かだった気配がぐっと大きくなり、ぼんやりとした光が四つ見えた。人型のシルエットが三つに、丸っこいシルエットが一つ。どうやらソフィたちのようだ。
新しく取得したスキル「気配察知」は、集中した先の気配がほのかな光として見えるようになるスキルらしい。これは迷宮を探索する上で重宝するスキルだな。不意打ちを防げ易くなるし。
暫くすると、薄暗い視界でも確認でき、あちらも俺たちに気付いたようで、駆け寄って来る。
「リュウヤさんっ!」
「りゅうちゃんっ!」
「先輩っ!」
わっと駆け寄って来るソフィ、陽、せつな。俺は手を振って答える。
「ご無事でしたか、リュウヤさん」
「あぁ、大丈夫だったよ。一階層分だけしか落ちなかったし、魔物にも遭わなかったからね」
「ホント、心配したんだからねっ!」
「はふぅ……良かったです……」
俺の無事を確認して、ホッと胸を撫で下ろす彼女たち。すると、せつなのフードがもごもごと動き、モモが飛び出して俺に縋り付いて来た。
「モモさんもすごく心配していたみたいです。それにモモさんが居なければ、私たちは合流できなかったと思いますよ。モモさん、大活躍でしたから」
「そうか。モモ、よくやった」
俺に縋り付くモモを褒める様にぐりぐりと撫でてやる。するとモモは嬉しそうにぷるんと身体を震わせた。
「……あぅ……あれ? 皆様……」
騒がしくて眠っていたセレンが寝覚めた。目を摩りながらソフィたちを認識すると、サッと居住まいを正し頭を下げる。
「も、申し訳御座いませんっ! 私……皆様が必死に探して下さっているのにもかかわらず、呑気に眠ってしまっていて。大変ご無礼を」
「もうっ! ホントだよっ! あたしたち、めちゃくちゃ心配したんだからねっ。なのにセレちーったら、嬉しそうにりゅうちゃんを抱き締めながら寝ているなんて、あたしビックリだよっ」
ぷぅと頬を膨らまして怒る陽。まぁ本当に怒っているわけじゃなく、冗談っぽく言っているんだけどね。
ただ、真面目な性格のセレンは、それを真に受けてしまったようで……。
「ま、誠に申し訳御座いませんっ!」
と、それはもう深く深く頭を下げるのであった。そんな様子を見て、陽が困惑してながらセレンに謝るといった一幕があったり……。
まぁ兎にも角にも、こうして無事に俺たちは合流を果たした。落とし穴トラップという想定外の出来事があり、余計な時間を浪費してしまったが、俺たちは当初の予定通り、リビアを目指し行動を開始するのであった。




