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第五九話 終結


 横たわるユニウスは静かな寝息を立てていた。その姿に、俺は胸が張り裂けそうな思いだ。

 重ねるは、アドルフの最期。胸に思い起こされるのは、激怒、悲嘆、そして後悔。


 グッと拳を握り締めた俺は、魔人ヒックへと視線を向けた。

 魔人ヒックは俺に殴り飛ばされた頬を摩りつつも、醜い笑みを浮かべている。


 視界が赤く染まり、心臓が痛いくらいに激しく脈打つ。


 激しい怒り。それは眼前の魔人に対してか、それとも不甲斐ない自分に対してか……。

 いや、そんなことはどうでもいい。今は……こいつを倒すッ!


 地が割れる程の踏み込み。青の弾丸となりて、疾走する。


 今まで感じたことが無い、荒れ狂う力が全身を駆け巡っていく。

 まるで瞬間移動したかのように、景色が変わり、手の届く位置に魔人が。


「――ッ!?」


 初めて見せた魔人ヒックの驚愕。目を瞠る魔人に、勢いそのままに殴り飛ばす!

 鈍い感触が手に伝わる。その痺れは何とも言い難い快感を産んだ。


 吹き飛ぶ魔人を即座に追い掛け――追い付くと同時に右足を振り抜く!


「ガハッ!」


 脇腹を捉えた蹴撃は、臓物を粉砕し、血反吐を撒き散らした。


 もう……容赦はしない。


 赤く染まる視界の中、蹴り飛ばされた魔人を追い掛け、更にもう一撃。

 魔人は成す術なく、俺の猛攻をその身に受け続ける。


 足に響く鈍い感触。拳に伝わる骨を砕く感触。


 そのどれもが、甘美なもので――俺は気付けば嗤っていた。


「ハハ! おい、どうした、魔人! 手も足も出ないのか!」


 もはやサンドバック状態の魔人ヒック。膂力を込めた拳撃を諸に受け、勢いよく吹き飛んでいく。


《マスター、マスターッ! 落ち着て下さいッ!》


 脳裏で誰かの声が聞こえる。煩わしい……今いいとこなんだよッ!


 煩わしい声を無視し、俺は追い掛ける。憎き相手を。殺すべき相手を!



 ◇◇◇


 

 ヘカトンを相手取るバルバトスたちは、大詰めを迎えていた。


「オッラァァアアア!」


 咆哮を上げるバルバトスが、ヘカトンへと斬りかかる。血管が浮き出る程までに膂力を込めた一撃は、ヘカトンの脚部を切り裂き、血飛沫が舞った。


「ハァ、ハァ、ハァ……んぐっ、ハァ……体力お化けが! そろそろ倒れやがってってんだ!」


 ソフィたちの参戦で戦況を優位に進めていたが、バルバトスたちは激しく消耗し、荒い呼吸を繰り返す。バルバトスは思わず悪態を付いた。


 特殊能力(エクストラスキル)「再生」を有するヘカトンは、バルバトスたちの怒涛の攻撃の応酬に、その巨躯には夥しい裂傷が刻まれており、満身創痍である。いつ倒れてもおかしくない有様だ。


 だが、あと一歩のところで、決め手に欠け、未だヘカトンは健在だった。


「ゴクゴク……うっぷ……これが最後の魔素薬水(マナポーション)。バルバトスっ! 早く倒しなさいよねっ!」


 口許を拭い、シャロンが叫ぶ。最早、彼女も限界が近付きつつあった。


「そんなこたぁ、言われなくても判ってんだぁ!」


 感情を露にしたバルバトスがヘカトンに突撃するが……やはり、斃すまでには至らない。


「ハァ……ハァ……りゅうちゃんもどっかで頑張っているんだ……あたしも負けてられない!」


 滝のように流れる汗を拭った陽が、バルバトスに続き、攻撃を仕掛ける。

 力を振り絞った斬撃はヘカトンの表皮を切り裂き……肉に阻まれた。


「し、しまった!」


 大剣がめり込み、抜けない。深く突き刺さった大剣を必死に抜こうと試みる陽。


「ヒナタさんっ! 離れてっ!」

「えっ?」


 ソフィの叫び声に、驚いて面を上げる陽。そんな彼女の目に映ったのは、轟音を上げ、迫り来るヘカトンの拳だった。

 今まで経験したことが無い長時間の戦闘に、陽の視野は狭くなってしまっていた。


(あ、ヤバ――)


 迫り来る巨大な拳に、陽は呆然と見詰めることしか出来ない。

 もはや万事休す。まるで隕石の如き拳が陽に降り注ぎ――。


 ドォォォン! と、凄まじい轟音が響いた。


「ヒナタさん!」


 最悪の結末が脳裏に過り、ソフィは悲鳴じみた声を上げる。


 舞い上がった土埃が晴れ――そこには、茫然と佇む無傷の陽の姿が。


「え? え? 何が起ったの?」


 死さえ覚悟した陽が、繰り返し茫然と呟いていた。


 ソフィは安堵すると共に、即座に陽に駆け寄り、その身を抱えて離脱する。


「大丈夫ですか! ヒナタさんっ!」

「あ、うん。だ、大丈夫みたい。よく判らないけれど」


 起きた事態に混乱している陽だが、どうやら無傷のようだ。ソフィはホッと安堵する。


「おい、嬢ちゃん! 大丈夫だったか!」


 バルバトスが慌てて駆け寄って来る。


「え、えぇ、大丈夫です。でも、一体何が?」

「なら、良かったぜ。どうやら何かが飛んできて、ヘカトンにぶつかった。それで軌道が逸れたようだが……」


(何がが飛んできた? それがヘカトンにぶつかって、あたしは助かった?)


 バルバトスの説明を受けても、何が何やら判らない陽。サッと視線をヘカトンに向ける。


「あ、あれは!?」


 驚愕を露にしたのは、ソフィであった。謎の飛翔物を見て、僅かに身体が震えている。


 ヘカトンの肩口にめり込むように埋まっていたのは……いつぞやに遭遇した災厄の化身――魔人だった。


「おい、おい、マジかよ……ヘカトンでさえヤバいってのに、ここに来て魔人到来かよ……」


 流石のバルバトスもこの状況下では戦慄するしかない。グッと唇を噛み締め、苦々しい表情を浮かべる。だが、次の瞬間には、訝しげな表情へと変わった。


「ん? あの魔人、満身創痍じゃねぇか」


 片腕は喪失し、全身の至る所から紫血が噴き出している。


「リュウヤさんです……」


 ソフィがポツリと呟いた。その言葉にバルバトスが顔色を変え、ソフィに振り向いた。


「リュウヤって……あの坊主か!? あいつが魔人をここまで追い込んだって言うのか!?」


 驚愕するバルバトスに、ソフィはしっかりと頷いて見せた。


(あり得ねぇ……確かにあの坊主は見込みがある奴だとは思っていたが……)


 バルバトスは理解出来ない現状に、頭をしきりに振った。


 すると、真剣に見詰めていたソフィがあっと声を上げた。


「あっ! あれは!」


 ソフィの視線の先――そこには凄まじい速度で疾走するリュウヤの姿が。蒼炎を閃かせて向かってくる。


「あれが坊主なのか……?」

「はい、あれはリュウヤさんの十八番、〈蒼炎纏尽(そうえんてんじん)〉ですっ」


 そう説明するソフィの表情には明るいものが戻って来ていた。


 蒼炎を纏いしリュウヤが、地を蹴って飛翔。ヘカトン諸とも魔人へと拳撃を放った。


 轟音が響き、魔人が吹き飛ぶ。そして圧倒的な巨躯を誇るあのヘカトンが、大地へと倒れていく。


「な、何だよ……あのパワーは……」


 ミスリル冒険者として、数々の力ある者を見て来たバルバトスであったが、これ程までに圧倒的な強者は見たことが無かった。


「りゅうちゃんっ!」

「リュウヤさんっ!」


 陽とソフィが叫ぶ。その声は喜色に富んでいた。だが――。


「オラァ! どうした! 邊春にはまだ早いぞッ!」


 リュウヤには陽たちの声が聞こえていないのか、紙切れ如く吹き飛ぶ魔人を容赦なく追い立てていた。


「ど、どうしちゃったの……りゅうちゃん……」


 あまりの迫力に怯えてしまう陽。彼女が知っているリュウヤとは、まるで別人格のよう。


「あれはやべぇな……完全に正気を失ってやがる」


 バルバトスがリュウヤを見詰めながら、そう零した。


「あのままじゃあ、暴れるだけ暴れて、止まらねぇだろうよ」

「そ、そんな!?」


 バルバトスの見立てに、陽が悲鳴じみた声を上げる。


「あ、あたしが止めて来るっ!」


 陽が慌てて、走り出そうとした。が、ソフィに腕を掴まれ、止められてしまう。


「大丈夫ですよ、ヒナタさん」


 陽が振り返って見やると、ソフィが安心させるかのような笑顔を見せた。その後、ソフィは横を振り見た。その視線の先には――せつなが。


 真っ直ぐとリュウヤを見詰めるせつなが、軽やかに唱える。


「〈オーロラヴェール〉~っ!」


 放たれた光魔法は、暴走するリュウヤを温かく包み込む。


 ガクッと、崩れ落ちそうになるリュウヤ。バンッと足を踏み出し、耐えるとしきりに頭を振った。


「あ、あれ……? どうしちまったんだ、俺……」


 額に手を当て、しきりに頭を振るリュウヤ。周りの状況を確認すると、あぁと納得したかのように頷いた。


「暴走しちまってたのか……ごめんよ、ラファ。それにせつなッ! サンキューな!」

「はいっ!」


 せつなに手を挙げるリュウヤ。それにせつなはニッコリと笑顔で答えた。


「ちょっと、リュウヤ!? あなた今の今までどこ行ってたのよっ! というか、その格好は一体何!?」


 シャロンがまるで叱責するかのようにリュウヤに言った。


 リュウヤはバツが悪そうに頭を掻き……結局お茶を濁すことに。


「えっと……まぁ色々とあって。あ、ヤバイ! あいつを追い掛けなきゃ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいっ!」


 走り出したリュウヤを引き留めようとするシャロンだったが、〈蒼炎纏尽(そうえんてんじん)〉を纏ったリュウヤを止められる筈もなく……。リュウヤは魔人を追い掛けていった。


「もうっ! 何なのよっ、あの子はっ!」


 プンプンとご立腹のシャロン。予想外の事態に、誰もが困惑していた。だが――。


 ゆっくりと起き上がり始めたヘカトンに気付き、バルバトスが叫ぶ!


「一気に畳み掛けろッ!」


 千載一遇のチャンスを見落とす訳には行かない。バルバトスは大剣を振り絞り、ヘカトンへと襲い掛かる。


「ハァァァア!」


 バルバトスが裂帛の気合を迸って斬りかかれば――。


「どすこいッ!」


 ブリストンが兜割を放つ。


「フッ」


 短い呼気と共に、クロマが連撃を放ち――。


「シッ」


 ソフィが後に続いて、双剣を閃かせ、マルクが寡黙に剣を振るう。


 苛烈を極める攻撃の応酬。ヘカトンが悲鳴を上げ、その巨躯がぐらりと揺れる。


 あと少し、あと少し……。


 次々と襲い掛かるバルバトスたちの思いは一つになっていた。


〝絶対に倒して、生き残ってやる!〟


 疲れた体に鞭を撃ち、むせ返る呼吸を堪え、ただひたすらに剣を振るう。だが――。


「GYAOoWw~!」


 ヘカトンも負けじと最後の大咆哮を上げた。衝撃波が迸り、ヘカトンに攻撃を仕掛けていたバルバトスたちが、紙切れの様に吹き飛ばされていく。


 ここで、ヘカトンに態勢を立て直されてしまえば、最早勝ち目はない。

 誰もが吹き飛ばされる中、脳裡に暗い未来を描いてしまう。


 だが、ただ一人……せつなだけは違った。バッと面を上げ、その綺麗な瞳が露になる。


 真っ直ぐな視線はヘカトンを見詰め――そして、叫ぶように詠唱する!


「〈ディバインライト〉~っ!」


 上級光魔法〈ディバインライト〉。 杖先に具現化した光の輪が凄まじい勢いで回転。その数は七。魔素薬水(マナポーション)を服用しながら、せつなが今の今まで貯めに貯めた魔力を解放する!


 唸りを上げて回転する光の輪。直後、極大の光線が放たれた。


 ゴォォォオオオ! 凄まじい爆音を届かせながら、極大光線が駆け抜け――ヘカトンへ直撃する!


「GYAAaaa~!?」


 ヘカトンが待機を揺るがす程の絶叫を迸らせた。


 極大光線が、ヘカトンの巨躯に大きな穴を穿つち――ゆっくりと崩折れていくヘカトン。


 ドシンと、大地を揺るがし、伝説の番人は、その命を儚く散らせた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 しんと静まり返る草原。微かに聞こえるのは、せつなの荒い呼吸音だけだ。そして、次の瞬間――。


「「「オォォォオオオオオ!」」」


 爆発的な歓声が沸き起こった。それは戦況をしかと見守っていた冒険者たちから。誰もが喜び、声を上げた。


 その歓声を聞きながら、バルバトスはドサッと仰向けに倒れる。そして大きく息を吐き出す。


「ふぅ~……マジで疲れたわ……」


 重い疲労感が心地よい。自然とバルバトスは笑みを零していた。


 満月の夜――迷宮(ダンジョン)に閉じ込められてしまった者たちが勝利した瞬間だった。



 ◇◇◇



 殴り飛ばした魔人を追い掛ける俺。今では視界も思考もクリアだ。せつなの〈オーロラヴェール〉により、平静を取り戻している。


《マスターが暴走してしまった時には、私はどうしたらいいものかと……以後、気を付けて下さい》


 ごめんよ、ラファ。つーか、さっきからラファに謝ってばかりだ。


 暴走してしまった俺は、ラファによる必死な制止にも耳を貸さず、ただただ憎き感情に取り憑かれて、暴虐の限りを尽くしてしまった。

 その結果が、今眼前に横たわっている魔人の無残な姿だった。


 原型が留めない程、腫れあがった顔。残された片腕はあらぬ方へと曲がり、臓物は全て殴り潰してしまったようで、口許からは夥しい紫血が溢れ出ていた。息も絶え絶え。生きているのが不思議な有様である。


 暴走してしまったとは言え、これを俺がやったのかと、嫌悪感を覚えてしまう。

 ここまで相手を甚振り、徹底的に痛めつけたのが、俺自身だとは……。


 ヒューヒューとわずかに聞こえる音は、魔人の掠れた呼吸音か。俺はゆっくりと魔人に歩み寄る。

 魔人は俺の接近に、満身創痍の身体を震わせた。まるで、もうこれ以上は痛めつけないでくれと、恐怖に顔が歪んでいるかのよう。


 俺に甚振り、弄ぶような悪辣な趣味は無い。指を揃えると、俺は魔人へと貫手を放った。


 グチャリ……と、思わず顔を顰めてしまいそうになる不快な感触。俺の放った貫手は、狙い違わず、魔人ヒックの胸部――心の臓を穿った。


「ガ、ハ……」


 盛大に吐血した魔人ヒックが、びくりと身体を痙攣させた。

だが、それも僅か一瞬の事。直後にはゆっくりと仰向けに倒れ、物言わぬ躯へと成り果てる。


「……」


 俺は無言で、魔人の心の臓を貫いた手を引き抜いた。その手には、夥しい鮮血が纏わり、紫に染められていた。


 心臓を貫いた感触。まだ生暖かい鮮血が付着した手。


「俺……初めて人を殺したよ……」


 静かに零す俺。自分の声の筈なのに、どこか遠く、自分の声じゃないみたいだ。

 酷く心が冷える。目の前に横たわる魔人を見れば、俺が止めを刺した現実が、否応なく突き付けられる。


《マスター……後悔していますか?》


 ラファの声に、俺はふるふると横に首を振った。


 後悔はしていない。止めを刺さずして、魔人を放置しておくことは出来ない。


《その通りです。魔人とは生きた災厄。マスターが倒さなければ、多くの者が最悪の運命を、惨たらしい最期を迎えてしまうのです》


 ラファは起こり得るであろう可能性を示唆しながら、その言葉はどこか俺を慰めているかのように感じられた。


 初めての経験。この異世界に召喚させてしまってから、いつかその時が来るだろうとは思っていたけれど……。

 あれ程までに激情に駆られてしまっていたというのに、不思議と今は冷静だった。心はまるで凪のように静か。


 ずっと俺のフードの中に隠れていたモモが、心配そうにフードから顔を覗かせる。


「大丈夫だよ、モモ」


 俺はモモの気遣いに、その柔らかな身体を撫でる事で答えた。勿論、血に濡れていない、まだ綺麗なままの手で。


 ふと魔人に目を向けると、身体から立ち昇る黒い煙が。その禍々しい黒煙は瘴気。

 取り憑いていた瘴気が霧散すると、そこには覚えのあるヒックの姿。その死に顔はとても穏やかで、まるで眠っているかのようであった。


 突然、一条の光が俺の頭上に駆け抜けた。その極大の光線はどこか見覚えがある。


「あぁ、せつなの……」


 俺は振り返ると、丁度、遠くに見える山の様な影が地に沈むところだった。

 遠く離れた俺の所まで届く、大地の揺れ。そして、少しの静寂の後、盛大に湧く冒険者たちの歓声が聞こえて来た。


「勝ったみたいだな……」


 沸き起こる歓声を聞き、俺は確信する……全て終わったのだと。


 ふと上を見上げれば、粉々に砕け散っていたはずのクリスタルは復元するかのように、気付けば元通りとなっている。


 日が昇ったのだろう。クリスタルは次第に輝き始め、柔らかな光が降り注いでいる。


 それはまるで――数々の試練を打ち勝った者を祝福するかのような優しい光だった。



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