第二一話 殲滅戦
18/5/16 魔物の強さを微調整
陽は傾き、空を茜に添え上げる頃、それはやって来た。
地平線に蠢く無数の影が。まるで黒い波となって押し寄せるかのよう。
「数が……多くないか?」
押し寄せる黒い津波。その数は、もはや千や二千ではきかない。明らかにその勢力を増していた。
「ブラットリーアントじゃ。これまた厄介な……」
目を細めながらアドルフはそう呟いた。すると、ソフィが息を飲んだかのように驚く。
「ブラットリーアントですかっ!? じゃあカトレアの街はもう……」
「うむ。僅かな望みさえ無かろう」
「そんな!?」
察するにカトレアの経済都市は最悪な結末を辿ってしまったのだろう。アドルフの重々しい雰囲気がそれを物語っている。
《種族名『ブラットリーアント』。等級はC。鋭い牙による咬合力、鋼鉄のような外殻が特徴です。また、肉体の柔らかい他種族――主に人族・亜人族を苗床とし、個体数を増やす習性があります》
ラファがブラットリーアントの情報を教えてくれた。何だか不穏な言葉が聞こえた様な気がするけど……。
《推測するに、カトレアの都市、その市民を襲い、繁殖。その規模を格段に拡大させたものと思われます。前情報との差異はそこでしょう》
カトレアの民は全て、ブラットリーアントの苗床にされてしまったというのか……。
視界に映る大群を見れば、否応なくそれが現実だと突き付けられる。
「ぜ……絶対、ここは通させませんっ」
悲壮な決意を滲ませるソフィ。背後には村があり、そこには親しいミンナが居るのだ。ここが抜かれれば、残酷な結末を迎えてしまうのは、想像に難くない。
「それはもちろんだけど、とにかく落ち着けよ、ソフィ」
今にも単身飛び出していきそうな雰囲気のソフィを落ち着かせる。
「とにかく、まずは作戦通りにしよう。俺たちはあくまでもアドルフのサポートだ。討ち漏らしだけを確実に各個撃破していく。いいな? ソフィ」
「はいっ」
ソフィは真剣な顔つきで力強く頷いた。
しかし、そうはいうものの、ブラットリーアントはC級だ。〈炎衣纏尽〉を用いてB+級の銀狼と渡り合えた俺はまだしも、ソフィは厳しいかもしれない。
《狼っ娘単独では、ブラットリーアントの甲殻を破ることは不可能です。彼女には、その加速力を活かした攪乱のみに徹させ、マスターが各個撃破していく事を推奨します》
なるほど。ソフィが攪乱し、俺が背後からブスリとしていくわけだな。俺もそれがいいと思う。
「ソフィの力では、ブラットリーアントの甲殻を打ち破ることは出来ないと思うんだ。だから、ソフィは攪乱に徹してくれ。攻撃はしなくていい。一体ずつ誘き寄せて、俺が各個撃破していく。とにかく、走り続けて攻撃をもらわないように気を付けるんだ」
「オトリですねっ。任せて下さいっ」
グッと拳を握るソフィ。よし、これでソフィは無茶しないはずだ。
ソフィとの打ち合わせが終わると、俺はアドルフを見た。アドルフは迫り来る魔物の大群をじっと見つめている。
作戦はこうだ。まず、魔物をある程度引き寄せてから、アドルフの大規模魔法。後に、二組に分かれ、打ち漏らしを殲滅していく。至ってシンプルな作戦だ。
重要なのは、初手である大規模魔法だ。それでどこまで数が減らせるかがカギ。全てはアドルフに掛かっている。
「ふぅ……そろそろかのう」
既にブラットリーアントの大群は眼前に迫っている。万に匹敵する大軍勢は、大草原を黒く染め上げていた。
アドルフはガンッと力強く杖を突き立てると、朗々と言の葉を紡ぎ始めた。
「〝穢れなき純粋なる炎よ、穿ち喰らい尽す火龍となりて、全ての在る無へと還さん〟」
以前見た術式改変の時でさえ驚いたものだが、これは……わけが違うッ!
精錬された膨大な魔力が具現化する程高められ、キラキラと美しく煌めく。最大限高められた魔力は確かな質量を伴い、アドルフを中心として暴風のように吹き荒れる。
「キャッ!」
ソフィの悲鳴が聞こえた。俺も腕を上げ、顔を庇う。それでも俺は目が離せず、その神秘的とさえ言える光景にただただ心を奪われ続けていた。
そして、アドルフは杖を掲げ、高らかに唱える。
「〈火龍流塵〉ッ!」
膨大な魔力が収斂し、渦を巻く。そして、具現化したのは――燃え盛る灼熱の龍。
その風貌はまさに威風堂々。全てを焼き尽さんと眼下を睥睨する火龍に、俺は思わず気圧されてしまった。
杖を掲げていたアドルフは、標準を合わせるかのように杖を振り下ろした。
「喰らい尽せ」
途端に轟く大咆哮は火龍のもの。命を受けた火龍は凄まじい飛翔を見せ、ブラットリーアントの大群へと肉迫する。
全てを燃え尽さんと咢を広げ――激突。
瞬間、大爆破と共に灼熱の業火が舞い上がった。
「す、げぇ……」
空の儚げな赤とはまるで違う残酷なまでの赤が大草原を染め上げた。
眼が眩む程に燃え滾る炎の波。存在さえ許さないとばかりに全てを塵へと還していく。
これが〝炎帝〟と称されるアドルフの――本気。
俺は眼前に繰り広げられた光景に、ただただ茫然としていた。
もはや討ち漏らしなんてあるはずがない。アドルフの一撃で全てが決まった。そう思わせるだけの圧倒的な光景だった。しかし――。
「八割といったところかのう」
何でも無いようにそうアドルフは言った。
そりゃあ、これで終わりってわけには行かないよな。でも、たった一撃で万に匹敵する大軍勢の八割を焼失させたんだ。正直、規格外過ぎて笑えて来るよ……。
今ものなお燃え盛る炎を見ながら乾いた笑みを零していると、突然、中央付近一帯の炎が消し飛ばされた。
そして現れたのは、一回り大きいブラットリーアントの群れ。
「ブラットリーアント・アーミーじゃな。こりゃあ希少種――クイーンもおるじゃろうな」
「クイーン? それが親玉?」
「大方そうじゃろう。これ程の大群じゃ。クイーンもおるじゃろうとは思っていたが……しかし解せん」
眉間に皺を寄せ、訝しむアドルフ。
「希少種と言えども、クイーンはB級じゃ。手こずられるような事はあっても、あのガンドレが殺られるような相手ではない」
「じゃあ、もしかして……」
「うむ。まだ大物が潜んでいるのじゃろう」
アドルフ曰く、ガンドレは相当の手練れだそうで、ガンドレが敗れるような怪物は、A級以上の高位種以外にはあり得ないと言っていた。
魔物の強さは等級を経るごとに強さが増していく。そして、A-級とB+級、これが一種の境界線となっている。個人で撃破可能上限が、B+級だ。A-級ともなれば、国を挙げての殲滅戦となる。
ただこれは一般的にそう言われているのであって、中には個人でA-級を撃破する規格外もいる。無論、アドルフもそのうちの一人だ。
「まぁよい。出て来ぬなら、炙り出すまでじゃ。〈白刃〉」
杖の先端から吹き上がる白い炎は刃の形に。それはまるで薙刀かのようだ。
てっきり俺は、遠距離攻撃で仕留めていくものだと思っていたのだが……アドルフは接近戦を選んだ。
《ブラットリーアントの甲殻は非常に硬く、また魔法攻撃を減退させる効果を有しています。ご老人は、遠距離魔法攻撃で消耗するのを忌避したのではないでしょうか。炎を刃のように形取れば、消耗は最低限に抑えられます》
なるほど。魔法減退効果があったからそこ、先の攻撃で一掃とはいかなかったのか。なら俺も無駄撃ちは極力避けないとな。
「儂がアーミーを相手取る。ゴブのすけはノーマルのみ、相手にするのじゃ! 決してアーミーに近付くでないぞ!」
「オーケー! 雑魚は任せろッ! いくぞ、ソフィ!」
「は、はいっ!」
ここからは殲滅戦だ。残りは千弱。初っ端からフルスロットルで行く!
「〈炎衣纏尽〉ッ!」
「ファーストパージ!」
俺とソフィが同時に叫ぶ。俺は炎の衣を纏い、ソフィは秘めた力を解放する。そして同時に、ブラットリーアントの群れに突っ込んで行った。
赤と銀の弾丸となりて疾走。
接敵と同時に俺は拳を繰り出す。
「オ、ラァァアッ!」
拳に重い手応え。固い甲殻に覆われた頭部を圧し潰す。
――確かに硬い。だけど……これならいけるッ!
「ソフィ! そんなに素早くない! 顎に気を付ければ大丈夫だッ!」
「はいっ!」
大きく返事をしたソフィ。爆発的な加速を以って、縦横無尽に疾走。ブラットリーアントを翻弄していた。
指示通りにソフィは攻撃を加えず、攪乱に専念している。ソフィの頑張りを無駄にしない為にも、俺も殲滅スピードを上げ、次々と屠っていく。
激しい攻勢を掛けながらも、チラリと横目でアドルフの方を窺う。
アドルフは〈白刃〉を振り、怒涛の勢いでアーミーを斬り伏せていく。まるで荒れ狂う竜巻かのようだ。
「……負けられねぇ」
獅子奮迅の活躍を見せるアドルフに触発され、闘志が滾る。
拳打、掌底、手刀、裏拳。
多彩な殴打技を駆使し、一撃の元に殴殺していけば。
蹴撃、膝蹴り、回し蹴り。
と、四肢を使ってブラットリーアントの群れを殲滅していった。
◇
どれくらい暴れ回っただろうか。気が付けば、ブラットリーアントの大群は、死骸の山へと変わっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……大丈、夫、か……ソフィ」
「はぁ、はぁ……は、い……リュウヤさん、こそ……お疲れ、さ、ま……です……」
空気を貪るように大きく息をする俺とソフィ。辺りにはもはや動く者はいない。
百……いや、二百は倒したかな?
《正確には、二一三体です》
ほぇ~二百越えかよ。つか、ラファ、数えていたんだね。
アドルフは……流石に俺らみたいに息を乱しては無かったものの、疲労の濃い顔にはじっとりと汗が滲んでいた。
「アドルフ……そっちも終わったんだな」
そう声掛けながら、ソフィと共にアドルフの元へ向かう。
そこに広がるのはまさしく地獄絵図だ。美しかった大草原は、魔物の血で汚れ、至る所に肉塊が落ちていた。
一体、どれだけの数、斃したらこんなんになるんだよ……。
《ご老人の撃退数は六四八体です。希少種ブラットリーアント・クイーン二体を撃破しています》
げ~……俺らの三倍かよ。しかもクイーン二体も相手にしてたのか……恐れ入る。
ラファの報告を聞きながら近付くと妙な事に気付いた。
全てを殲滅したというのに、アドルフの表情は厳しく、全く気を緩めていなかったのだ。
「どうしたんだ? アドルフ」
「……おらんのじゃよ」
「いないって……そりゃあもう全部倒したんだから、そりゃあもう敵はいないよ」
「いや、そうではあらん。確かにクイーンはおり、打ち倒した。しかし……おらんのじゃ。ガンドレを下した怪物が……」
そうは言うものの、辺りに動く影は無い。アドルフはガンドレの事を高く評価しているみたいだけど……。
「でも、もう何もいな――」
俺が口を開くと同時に、アドルフが突然目を大きく見開き叫んだ。
「ゴブのすけッ! 今すぐ逃げ――」
――瞬間、辺りを包む邪悪なる冷気。心臓を鷲掴みされたかのような、圧倒的な恐怖が押し寄せた。
今まで感じた事のない恐怖に身体は震え上がり、顎ががくがくと打ち鳴らされる。
何だ、これは!? 一体、何が起っているんだ!?
凄絶な恐怖に混乱し、まともな思考が出来ない。と、不意にドサッと何かが倒れる音が聞こえた。
ソフィだ。尋常ならざる圧力に耐えかねて失神してしまったのか……。心配だが、声を掛けることも出来ない。完全に身体が未知の恐怖に囚われてしまっている。
「まさか……あ奴が……」
アドルフが呟いたのが聞こえた。震える身体を必死に動かして、アドルフの視線の先を追う。そこには――。
「な……んだ……あ……れ……」
沈み行く夕陽を背に、ゆらゆらと歩む異形の人影。
凄絶な恐怖を振り撒く、新たな脅威がそこまで迫っていた。