第二〇話 逢魔ヶ刻
――夜。
篝火が照らす空き地には、全村民が集い、激論が交わされていた。
「明朝、陽が昇る頃に出発するべきだッ」
「ずぐに発でるよう、準備ばしとかんといけんべ」
「わしゃいかんぞ。こんな年寄り、足手まといになるだけださ」
「何言っているんだよッ。全員で逃げるんだ」
「俺も……ここに……残る……」
「大馬鹿者ッ! 命を粗末にするでないッ!」
論点は『避難するか』、『避難しないか』である。
大多数が『避難する』を支持しているが、この村と運命を共にするという意見が一定数あるのだ。足腰の弱い老人や、身体の悪い村長も留まる表明していた。
「お父さん、諦めちゃダメだよ」
「いや、いいんだ。こんな身体では皆の迷惑にしかならん」
「私がおぶっていくから! 家族にならいくら迷惑を掛けてもいいでしょ」
「ミンナ……ありがとう。その気持ちだけで充分だ。それに……私はこの村の長だ。村の最期を見届ける義務がある」
「お父さん……」
ミンナが泣きそうに瞳を潤ませて、必死に説得しているが、ミンナの父は頑なに首を縦には振ろうとはしない。
俺たちは、少し離れた所からその様子を窺っていた。かれこれ一時間が経とうかというところ。
ソフィはミンナの事を心配そうに見詰めている。そしてアドルフは、ずっと瞼を閉じ、静かに座したまま、微動だにしていない。
ガンドレの死。俺には胸中を推し量ることは出来そうもないが、これ程までに張り詰めた空気を纏うアドルフは、見たことが無い。
と、いつの間にか、ミンナが俺らの元にやって来ていた。その表情は随分と暗い。
「すみません。フォーミラー様、少しよろしいでしょうか?」
「……何用かな?」
アドルフは片目だけを開け、ミンナを見る。
「父――村長がフォーミラー様にお話があると。何分失礼かと存じますが、村長は身体が悪く、こちらに伺うことが……」
「よい。気にするでない」
さっと押し留めたアドルフは立ち上がると、村長の元へと向かった。俺とソフィも後に続く。
と、いつの間にか村人たちは話し合いをやめ、静かに俺らを注目していた。
不安と期待。慈悲を、助けを乞う様な、そんな表情を誰もがしている。
俺はこの顔が嫌いだ。他人へ依存し、無遠慮な期待を押し付ける。そんな無責任さが。
村長は真剣みの帯びた面持ちで俺らを待っていた。
「フォーミラー様、わざわざご足労頂き申し訳ない」
「儂に話があると。何用かな? 村長殿」
前置きをすっ飛ばして、アドルフは単刀直入に訊いた。
村長は満足に動かない身体を懸命に動かし、地に膝を付く。
所謂土下座だ。異世界にも土下座の文化があるんだなぁ~。
《流石、マスター。空気を読まない、場違いさですね》
……悪い。
「折り入ってお願い申し上げます。どうか、避難する者を近隣の街までお守りして頂きたい!」
意志の籠った声音で村長は言うと、額を地面に擦り付けんばかりに頭を下げた。
チラッと横目で窺うと、一瞬、困惑気味に眉を顰めたアドルフ。だが、すぐにアドルフは表情を元に戻す。
「話は聞いていたが……村に留まる者もいるのであろう?」
「はい……私は村に留まる所存です。見ての通り、私は不自由な身体です。満足に歩くことさえ出来ず、近隣の街まで、到底身体が持ちそうにありません」
ミンナの父が体調を崩しているのは聞いていたが、そこまでだとは思ってもみなかった。
「それに……私は生まれからこの村で育ち、過ごしてきたのです。貧しい村ですが、人一倍愛着が私にはある。死するときもこの村の中でと……永遠にこの村と共にありたいのです」
「お父さん……」
ミンナが顔を伏せたのが、視界の隅に映った。
「しかし、この思いは私の……私だけの物ですッ。皆には関係ないッ。私はどうなってもいいッ。見捨ててくれて構わないッ。ですがッ! ……ですが、他の者は助けてやって頂きたい……どうか……どうかお願いします……」
心中を吐露した村長は、再びアドルフに頭を下げた。
対して、アドルフは。
「確かに村長殿の想いは理解した」
「では!?」
勢いよく面を上げ、期待に瞳を輝かせる村長。しかし――。
「すまんが、その申し出は受けられん」
村長に真っ直ぐな視線を向けながら、アドルフは拒絶を示した。
まさか断られるとは想像もしていなかったのか、村長は口を半開きに呆けていた。いや、村長だけでは無く、その場にいた全ての者が同様の思いだったのだろう。……俺以外は。
俺は、アドルフがこの申し出を断るだろうと思っていた。
確かにアドルフは強い。しかも、英雄視されるほどの傑物だ。勇者と共に魔王を討ち果たした逸話があるのがその証拠。
だけど、英雄であったとしても聖人君子ではない。全ての者に手を差し伸べる必要も義務も無いのだ。
人の心は複雑だ。善と悪。表と裏。時と場合によって形を変え、決して一つの形に留まらない。
静まり返った空き地。焚火がはぜる音だけが妙に大きく聞こえる。
と、 再起動した村長が叫ぶかのように問い質す。
「な、何故です!?」
目を瞠る村長の顔には、『理解出来ない、英雄が何故助けてくれないんだ!?』と書かれているかのようだった。
無表情の仮面を付けたアドルフは、静かに答えた。
「儂にはやらねばならんことがある」
「な、何を……?」
再び問う村長。だが、アドルフは沈黙を以って返した。
話は終わりとばかりに踵を返すアドルフ。村長は留めるように、慌ててアドルフの足に縋り付く。
「お、お待ち下さい! な、何故助けて下さらない!? かの〝炎帝〟が、無辜の民を見捨てるというのですか!?」
必死に翻意を促そうと言い募る村長だが……正直に言って胸糞悪い。ミンナには悪いけど、この村長、俺は嫌いだ。
縋り付く村長に冷たい視線を送るアドルフ。と、不意に村長が後ろに倒れるかのように、そっとアドルフから離れた。
「え……?」
一体何が起ったのか判らないといった表情だ。まぁ「魔力探知」が無ければ判らないだろうな。
アドルフは風魔法を使ったんだ。村長を引き剥がし、尚且つ痛痒を与えない絶妙な匙加減で。こういった細かく緻密な魔力操作は流石だ。俺には出来そうにないな。
《マスター、私が補助すれば出来ます》
……ラファって、何気に優秀なんだな。
呆けたままの村長に、アドルフは横目をやると一言。
「申し出は受けられんが、村は守ってやる」
そう言い残すと、アドルフは去っていった。
残された村人たちは、皆放心状態だ。頼みの綱が切れるとは思ってもみなかったといったところか。
「リ、リュウヤさんっ。ど、どうしましょう!? 皆さん、どうなるんですっ!? ねぇ、ねぇ、リュウヤさんっ!?」
慌て過ぎのソフィが俺の肩をガッと掴むと、ガクガクと激しく揺さぶる。脳が揺れるぅ~……。
「お、落ち着けって! 大丈夫だから」
「だ、大丈夫なんです?」
「ああ。大丈夫だy。とにかく、アドルフを追い掛けよう」
「ふぇ? い、いいんですか? その……皆さんを放っておいても……」
心配そうに村人たちを見やるソフィ。心残りありありだろうけど、俺は急かすように言う。
「いいからさ。ほら、行くよ」
「は、はいっ……あ。ちょっと待って下さいっ」
おい。早く行かないと、アドルフを見失っちゃうじゃん。
ソフィはササッとミンナに近寄ると、小声で話し掛ける。
「ミンナさん、あの……その……」
が、何を言えばいいのか判らず、しどろもどろな言葉となってしまう。すると、見かねたミンナが、苦笑しながら言う。
「いいのよ、ソフィちゃん。私たちは、私たち自身で頑張らないといけないって、判っているから。もう少し話し合いは続くと思うけど、先に帰って大丈夫よ」
あ~ミンナって、ホント出来た人だよな。胸中複雑だろうに。
別れの挨拶を済ませたソフィを伴って、俺は空き地を後にした。
アドルフは……居た。少し先を歩くアドルフの背中を発見。方角からして、ソフィの家に戻るのかな?
俺はアドルフに追いつき、隣に並んで歩くと、前を向いたまま言う。
「今度は置いていくなよ」
「む? 何を言っておる。ただ、嬢ちゃんの家に帰るだけじゃろうて」
アドルフはぶっきらぼうに言い放った。
俺が言いたいのはそういう事じゃない。
「行くんだろ?」
敢えて言葉を省略した問い掛け。思わずアドルフの足が止まる。
少し先んじた俺は、身体ごと振り返った。アドルフはじっと俺を見詰め、ソフィは……話の展開についていけず、小首を傾げている。
「……気付いておったのか」
「まぁね。何となくそんな気がしてたんだ」
サラッとそう答えると、アドルフは、あからさまにため息をつく。
「前みたいに、急に居なくなられると困るから、先に釘を差しておこうと思ってさ」
「はて? そのような事があったかのう?」
とぼけるアドルフにジト目を送ると、さっと視線を逸らした。
「で、いつ行くんだ? さっき、なんか言ってたけど」
「……付いて来る気か?」
「もちろんっ」
ニコッと満面の笑みで答えると、再びアドルフはため息を吐き出す。
「はぁ~……言っても聞かんじゃろうな……」
よく判ってらっしゃる。俺は案外頑固者なんだ。
「ああ言ってしまった手前、それ程離れる訳にはいかん。こちらから出向くことはせんよ」
「ということは、待ち伏せか……。あと二日だっけ?」
「早ければな」
この二日間は貴重だ。出来得る限りの準備はしとかないとな。
色々と考えを巡らせていると、ソフィが躊躇いがちに小さく手を挙げた。
「あの~……お二人は、一体何の話をしているんです?」
ありゃ。そういえばちゃんと説明していなかったな。
「返り討ちにするんだよ」
「返り討ち……って、何を?」
頭上に疑問符を浮かばせるソフィ。
あ~そうか。ソフィはずっと村人から冷遇されてきた。ちゃんと人と会話をしたことが無いんだ。だから、会話の流れを読む力が疎いのかもしれないな。
「二日後、魔物の大群がこの村に迫って来るだろ? それを返り討ちにする。村を守る為に」
それと、意固地になって言い返してきそうだから口には出さないけど、アドルフにとってはガンドレの仇討ちだ。
答えを聞いたソフィは――
「………………」
――フリーズした。許容値を振り切ったようである。
そして、数秒後。
「えええぇぇぇぇぇ~!?」
大絶叫が闇夜に響くのであった。
◇
凶報を受けた二日後。俺は草原地帯に居た。村からは一km程離れた地点である。
時刻は正午を回り、数時間が経とうかというところ。
未だ魔物の影は視認出来ておらず、至って平穏無事だ。時々吹くそよ風が気持ちよく、こんな事態でなければ、気持ちよく昼寝が出来たのになぁと思う。
アドルフはというと、精神集中をしているのか、ここに到着してからは瞑目し、ずっと黙ったまま。身じろぎ一つしていなかった。
そしてもう一人。俺は巻き込みたくなかったのだが、頑として付いて来たソフィ。まだ何も起こっていないのに、既に緊張感を滲ませ、表情が強張ってしまっている。
侵攻してくる魔物の大群を殲滅すると、ソフィに告げた時、彼女は大層驚いた。
それはそうだ。敵は数千規模の大群勢。対するこちらは、アドルフと俺の二人。尋常ならざる数的差だ。戦わず、逃げるのが最善手だろう。
だが、俺らは迎撃を選択した。どうしても逃げられない理由があるのだ。
ただ、それはソフィにとっては無関係な事といっていい。わざわざ危険に身を晒す必要は無いのだから、村で待っておくようにと説得したのだが……。
『嫌ですっ。リュウヤさんも行くんですよね? なら、わたしも一緒に行きますからっ』
俺が行くならわたしもと、頑として譲ろうとはしなかったのである。変なところで頑固者なんだよなぁ、ソフィって。
とにかく、付いてきてしまったものは仕方がない。なるべくフォローしないとな。
「なぁ、ソフィ」
「は、はいっ。何ですか? もしかして来ましたか!?」
グイッと身体を近づけ、聞き返してくるソフィ。張り詰め過ぎて良くないな、こりゃ。
「いや、まだ来てないよ。だからそんなに緊張せずに、リラックスしなよ。そんなんだと、本番前に気疲れしちゃうぜ?」
「は、はい……。すみません……こんなこと、わたし初めてで……」
「まぁそれは俺も同じ。千単位の魔物の大群なんて、俺も初めての経験さ」
「そうなんですか? それにしては随分と平静を保っていますよね?」
「だって、今から構えちゃっても、何にもならないからさ。魔物が見えてからでも、充分準備は間に合うし、それまではゆっくりしとくんだよ」
「そ、そうなんですか……判りました。頑張ってみますっ」
頑張るものでもないんだけどな……。頭の中が魔物の事で一杯一杯になっているから、少しソフィと会話して、意識を逸らせてやらないと。
「そういや、ミンナさんも村に留まることにしたんだよな?」
ソフィの親友ミンナは、避難せずに村に留まることを決めた。集会のあった翌朝にわざわざソフィの家までそう伝えに来たのだ。
俺らが話し合いから抜けた後、村人同士で遅くまで話し合ったという。村を人一倍想う村長の思いに心を打たれた村人がほとんどだったそうで、村を捨てて避難をするのではなく、自分たちも戦うと決意したらしい。
とは言え、碌に鍛錬もしていない農民だ。正直、一緒に前線で戦うと言われた時は、即座に断ったよ。足手まといにしかならないからな。
彼らには村の守備に就いてもらった。無論、そこまで魔物を通すつもりは微塵も無いけど。
戦えない女子どもや、老人は避難させる方針のようで、既に近隣の街へ出立したと聞いた。ただ、ミンナだけは今も村にいる。
「はい……。わたしとしては、ミンナさんも避難して欲しかったんですけど」
大切な人をより安全な場所へと願う気持ちはよく判る。
「やっぱり、父親を残しては行けなかったんだろうな」
「血の繋がった肉親ですからね」
そう言ったソフィは少し悲しそうだった。多分、母親の事を思い出しているのだろう。
ソフィは天涯孤独の身だ。唯一の肉親であった母親は幼い頃に亡くしてしまっている。
あ~そうか。ソフィが俺に付いて来たがるのは、もう心を許せる相手がいないからでもあるのか。
しばらく、ソフィと他愛無い会話をして、緊張を解していると、ふとアドルフが口を開いた。
「……来る」
小さく呟かれた声。俺は即座に視線を先へと向けた。
「……はは。こりゃ、やべぇな」
乾いた笑いが漏れ出てしまう。
視線の先、地平線に広がった何千と蠢く影。
時刻は黄昏。世界の輪郭がぼやける逢魔ヶ刻、それはやって来た。




