第一九話 凶報
「暗くなる前に戻って来れたな。ソフィ、大丈夫? 体力の方は」
「はいっ。まだまだ大丈夫です。わたしがこんなにも長い距離を走ることが出来るなんて、夢にも思ってもみませんでした。ホント奇跡みたいですね」
ここ数日のソフィは、本当の意味でよく笑うようになった。以前のような翳りは一切見受けられない。心身共に充実しているようで何よりだ。
其の足でミンナ家へと向かう。狩猟から戻って来た俺たち二人をミンナは暖かく迎えてくれた。
「ミンナさん、ただいま戻りましたっ。今日もいっぱい獲物を狩ってきましたよっ」
「あら、お帰りなさい。今日もたくさん捕まえたのね。いつもありがとう。助かっているわ、ソフィちゃん」
ミンナとソフィの関係は改善しており、今では親友のように親しげに話していることが多い。
微笑み合っている二人を見ていると、何だか心が暖まる思いだ。
「人種差に囚われず、こうやって微笑み合う光景が、もっと聖国内に広まるべきなのじゃが……中々、根付いた悪しき風潮は変えられんのう。難儀なものじゃ」
「あれ、居たの? アドルフ」
「何じゃ? 儂が居たらいけんのか」
奥からやって来たアドルフ。俺の頭をコツンと杖で叩く。
「痛ってぇ……。何で俺、叩かれたわけ?」
「叩かれて当然じゃ。己の胸に聞いてみぃ」
ご立腹なアドルフに言われて、考えてみるものの……ん~思い当たる節が無い。
「はぁ~……見当も付かんといった顔じゃな。お主、自身の鍛錬はどうした? 嬢ちゃんにかまけてばかりで、怠っているのではないか?」
「ん~……ちゃんとやってると思うけど」
早朝には基礎訓練。昼食後、森に入って実戦。それに魔法の修練も並行して進めている。ラファと精神リンクしてからは〈炎衣纏尽〉の習熟度も上がったし。
夜、寝る前には魔力循環を欠かさず行っている。無論、全てソフィと一緒に訓練はしているけれど。
「足りん。そんなものでは到底足りんぞ! お主は魔法を取得してから日の浅いひよっこじゃ。もっと魔術の真髄を、深い叡智の深淵を学ばなければいけんのじゃ! もっと儂に教わらなければならんことがあるじゃろう! 初めの頃は学習意欲も高く、いつもいつも儂に――」
熱を帯びた声で、こんこんと説教を始めるアドルフ。
いや、まぁ……言われればそうだけど……。てか、顔近いよ。鼻息荒いし。
《マスター、彼は嫉妬しているのではないでしょうか。狼っ娘にマスターを取られ、寂しい思いをしているのでは?》
……は? いやいや、嫉妬って。俺がソフィに付きっきりになって、アドルフに教わる機会が減っているのは確かかもしれないけど……。
チラッと横目をやると、ソフィとミンナはこちらを見て苦笑していた。どうやらラファの推測は的を射ているようだ。
この寂しがり屋の爺さんを宥めるには、魔法を教わればいいのかな?
《はい。それで解決するかと》
はぁ~……何だか、すこぶる気が乗らないんだけど。
こんこんと説教なのか、愚痴なのか判らないが、話し続けるアドルフを遮って言う。
「あ~、そういえば、アドルフに聞きたいことがあったんだよな~」
我ながら何というダイコン。棒読みにも程があるだろ。
それでも効果はあったようで、アドルフは満足げに頷く。
「うむ、そうかそうか。それ程までに儂に訊きたいことがあったのか。ならば教えて進ぜよう。ふむ、実演を交えた方が良いな。ならば、外に出るか?」
外に出るかって訊いたのに、もう玄関扉開けちゃてるじゃん。どんだけだよッ。
「あ~うん、そうだね。外の方がいいかもね」
「うむ、ならば行くぞい」
『ぞい』って何だよ、『ぞい』って。
「んじゃあ、ちょっと行ってくるよ、ソフィ。ミンナさんも獲物の下処理お願いします」
「「はぁい、行ってらっしゃ~い」」
二人に見送られて、俺はアドルフの後を追った。
外に出ると、アドルフは近くで待っていた。サッとフードを被り直し、隣に並ぶ。
「お待たせ、アドルフ。そんじゃあ、どこで――アドルフ?」
老人とは思えない鋭い眼光で、アドルフは辺りを窺っていた。そして、ぽつりと呟く。
「……妙じゃ」
「ん? 何が――って、アドルフ!?」
俺がそう訊くと、突然、ローブの裾を靡かせて走り出したアドルフ。仕方なく俺は後を追い掛ける。
走りながら周囲に視線をやるが、アドルフの言っていたような違和感は覚えない。
家路を急ぐ者、ひそひそと会話する者と、至って普段の村の光景だ。強いて言えば、村人がこの時間にしては少ないかといったところ。
「つか、速ぇ……全然、追い付けないし……」
とにかく速い。結構な年齢だとは思うんだけど、凄まじい健脚だな。
《「身体強化」を脚部に部分使用し、更に風魔法を併用しブーストしています》
なるほど。小技的な魔法の使い方は流石だな。勉強になる。
ただ、魔法を行使する程、アドルフが急ぐ理由は何だ? この先には、草原が広がっていたよな?
《はい。前方向は広大な草原地帯であり、カトレアとの隣接地域です》
カトレアと聞くと、何だか嫌な予感がする。主要都市に大規模な魔物の襲撃があり、聖国から騎士団が派遣されていた国だ。面倒事にならなければいいいのだけど……。
《そういうものは、得てして当たるものです》
ですよねぇ~……。
アドルフを追っていると、村の外周部に辿り着く。そこには数多くの村人が集まっていた。
ざわざわと騒めき、不穏な空気感に満ちている。
「やっと追いついた。速ぇよ、アドルフ。つか、何があったんだ? 今度こそ魔物の襲撃か?」
「これこれ、滅多な事は口にするでないぞ。この辺りの魔物は、お主と狼のお嬢ちゃんが狩り尽しておるじゃろうに。これで襲撃があったら、お主のその口にせいじゃな」
口は禍の元ってか。じゃあこの集まりは一体何があったんだろう。
「まだ事は起こっておらん。これから起こるのじゃよ」
前を見据え、スッと目を細めたアドルフ。視線に従って俺も目を向けると、遠くに何かが見える。
「あれは……騎兵?」
シルエットは騎兵そのもの。だが、本当に騎兵なら一騎駆けなのは変だ。いや、伝令としての早馬ならあり得るか。
凄まじい速度で近付き、徐々にその概要が明らかになっていく。
「あれって……」
「うむ。ゴブのすけの想像通りで合っておるじゃろう」
近付く騎兵には見覚えがあった。遠くでも判別できる白揃えの甲冑。数日前にこの村を出立した聖国の騎士と同一のそれ。まだ判らないけど、十中八九、先発隊の一兵だろう。
「リュウヤさん! アドルフさん!」
名を呼ばれ、振り返ると慌てて駆け寄って来るソフィとミンナが。
「二人も来たのか」
「はい。何かが、この村に迫っているって聞いて」
小さな村だ。噂などすぐに広まる。それにミンナは村長の娘だ。身体の悪い村長に代わって飛び出して来たのだろう。
「それで一体何が?」
「聖国の騎士だよ。はっきりとしたことはまだ何も判ってないけど」
「騎士様ですか……」
騎士と聞いて途端に蒼褪めるミンナ。騎士にいい思い出が無いのは、俺も一緒だ。
とにかく待つしかない。前を見詰め、到着を待つ。
尋常ならざる速度で駆ける騎兵。到着するのに、それほど時間は掛からなかった。
辿り着くと同時に、勢いそのままに、騎馬と共に激しく転倒。土埃が舞う。
慌てて駆け寄る村人たち。だが、誰も騎士に声を掛けようとはしない。身分階級差か……。
「ぜ、全員に、告ぐ……フォーミラー……フォーミラー様、を……こ、ここへ……」
騎士の悲壮な声が響く。
アドルフが人垣を割って入っていく。俺たちも後に続いた。
「儂が、アドルフ・フォーミラーじゃ。……なんと、痛々しい……」
名乗りを上げたアドルフは、途端に顔を顰めた。
所々拉げた甲冑は土汚れ血汚れと、元の壮麗さは微塵も無い無残な姿となり。腹這いで伏す騎士の顔色は非常に悪く、満身創痍といった具合だ。
「フォーミラー様、あ、貴方が、フォーミラー様であらせられますかッ!」
衰弱した騎士は立ち上がろうとするが、それをアドルフが押し留める。
「よい。其方、怪我を負っているのであろう。無理をするでない」
「し、至急……フォーミラー様に伝えよと……た、隊長殿から……」
「ガンドレがか?」
小さく頷く騎士。息も絶え絶えに必死に言葉を紡ぐ。
「『攻勢苛烈にて、当方敗北必至。魔物の軍勢、進路は西。至急、避難されたし』と……」
どよめきが起こる。それは悲鳴にも似たものであった。
あれ程意気揚々と出立した騎士団。確信があったはずだ。絶対に敗北はないと。
しかし、詳細は不明だが、騎士団は敗北。魔物の大群は進路を西へ――そう、この村へと迫っている。
「うむ、確かに承った。して、ガンドレは?」
「た、隊長殿は……殿軍にて、奮戦するものの……最期には……」
言い淀む騎士。最後まで言われなくとも判ってしまった。
「そうか……あ奴め……」
そう零したアドルフの横顔は悲しみを湛えているかのようであった。
「フォーミラー様……せ、先方には、恐ろしい程、強い……バケモノが、います……至急、ひな……ん……を……」
そこまで言い終えると、騎士は意識を失った。すかさず、アドルフが脈を取る。
「……うむ。死んではおらんようじゃな。じゃが酷く衰弱し、負傷しておる。迅速な治療が必要じゃな」
良かった。死んでは無かったのか。思わずホッとする。
アドルフは魔法鞄から瓶を取り出すと、騎士にドバドバと浴びせ掛けた。
「フォーミラー様!? 何をなさっているのですか!?」
驚くミンナの気持ちも分かる。傍から見たら重傷者に鞭を打っているようにしか見えないもんな。
「ミンナさん、安心して下さい。アドルフさんが掛けているのは薬水ですから」
ミンナの肩に手を添えて、ソフィがアドルフの行動の意味を伝えた。
そう、アドルフが浴びせかけているのは、青色の液体――体力回復の薬水だ。服用せずとも、患部に直接掛けることでも効果を発揮する。服用時と比べると、随分と効果が低下してしまうが、現状ではそれしか選択肢は無い。
「あくまでも応急処置。暫くは目を覚まさんじゃろうし、ゆっくりと休ませてやりたいのじゃが……」
「では、私の家に。空き部屋もありますので」
快くミンナは騎士の受け入れを決めた。
「すまんのう、恩に着る。して、誰かこの者を運ぶのに手を貸してはくれんか?」
「あ、わたし、手伝いますよ」
「勿論、俺も」
「助かるが……出来れば男手が欲しいところじゃが……」
アドルフはサッと首を巡らすが、名乗り出る者は居なかった。というより、こちらを気にしている者がそもそもいない。皆、先の情報に動揺し、混乱しているのだ。
祈りを捧げる者、怒号を飛び交わす者、善津坊に呆然としている者、嗚咽を漏らす者と混沌としていた。
――パンッ! と、アドルフは柏手を打った。微かに魔力を乗せた音が広がり、皆の心中を掌握する。
あれ程騒々しかったのに、今ではシーンと聞こえる程の静寂に包まれている。皆が同じく閉口し、アドルフへと注目していた。
「避難するにしても、既に夕暮れ。暗闇の中、移動するのは危険じゃ。それに、魔物がここに迫るとしても、最低二日は掛かるじゃろう。明朝、出立しても十二分に避難出来よう」
威厳に満ちたアドルフの声音が浸透していく。
落ち着きを取り戻した村人たち。何時ぞやの男衆が騎士の搬送を申し出てくれた。
俺とソフィも手伝おうとしたが、足手まといになりそうだったので、彼らに任せることに。
運ばれていく騎士を見送りながら、ソフィがぽつりと零す。
「……どうなってしまうのでしょうか……」
未来を案じるソフィの横顔は切なかった。
「どうなるんだろうな……」
不思議と不安や動揺は無かった。それは、魔物の大群が迫っていると聞かされても、まるで実感がないからだと思う。どこか他人事のような、対岸の火事だと感じているのが、率直なところ。
ほら、よくテレビで『外国で紛争が勃発しています』とかニュースであるけど、『酷い』とか、『戦争なんて無くなればいいのに』とか思うのに、心の片隅で、自分とは関係ない事と知らず知らずのうちに処理しているような、そんな情感である。
やはり、日本という平和国でぬくぬくと過ごしてきたから、危機に対して鈍感で、現実を楽観視しているだろうか。
「……いけないな。ここはあそことは違うんだから」
「? 何か言いましたか?」
「いや、何でもないよ」
ソフィに微笑み、俺は首を振った。
ふと、視界にアドルフの姿が映る。
沈み行く夕陽に照らされて。アドルフは草原の先を、ただただ見詰めていたのだった。




