2.
「‥‥それじゃ、行ってくる」
志穂はいとも簡単に背を向けた。それは確かに本人の言葉通り、死など恐れないように見えた。心配そうな視線を意に介さず、一歩を踏み出す。
そのとき、地面が揺れた。
「‥‥っ!」
歯を食いしばり、抜き身の剣を揺れる地面に突き刺して、すがりつく。血が音を立ててひいていく。まさか。
地面と同じ動きをしながら上げた視線には、確かにそのことを示すものが映っていた。しかしそれは、美しい白い光などではなく、空と同じ毒々しい赤。これから志穂が向かおうとしていた場所から空へ駆ける、赤い光。
「‥‥」
何かを呟きたかった。けれど口を開いたら下を噛みそうだった。もう一度、激しい揺れがきて、すがりついてもいられない。それでも剣は離さない。
投げ飛ばされかける。一緒に散った小石が、突き抜けそうなほど体に当たる。ずる、と滑った右手。すかさず左手にだけ、力をこめる。剣が、地面から抜けた。
転がる。いつの間に、今の間にできた、崖から転がり落ちかけて、もう一度渾身の力で剣を突きたてた。必死でかじりつく志穂の足の下で、崖は閉じた。
(こんな、)
何かを考える余裕なんてなかった。
志穂の意識は消えた。もう目覚めることはないだろうと思った。
志穂が最後まで握りしめて離さなかった剣。暗くて見えなかったが、それは、つぶさの持つそれと同じものだった。
そしてつぶさの体から血が流れ出した瞬間に開いた多くの崖、全く同じ時に閉じたそれらも、全て同じものだった。人の集まる場所を狙ったような傷口は、人々を飲み込んで閉じた。
つぶさはちゃんと死ななかった。空はいまだ赤く染まり夕焼けのようだった。
志穂は剣を離さなかった。大地の傷口は閉じ、志穂は死なずに眠っている。夕焼けのような空が全てを見下ろしている。