3.
夕方父親が帰ってきたのと入れ替わりに、テヘトも家に帰っていった。独り身なんだから遠慮せず夕食も食べていけばいいのにと思うのだが、彼は毎日律儀にも帰っていく。
慣れた手つきで包丁を扱いながら、マナファナはため息をついた。
結局彼は雇われ看守なのだ。父親つまり看守が帰ってきたのなら、お役ごめんということなのだろう。
虜囚のような扱いだ。大切にされているのは確かだが、それは飼われているのと同意語の、養われているという立場だった。珍しい小鳥のようなものだ。本当に嫌気がさす。
(‥‥死んでやろーか)
嫌がらせのようなつもりでふと思った瞬間だった。
「――っ痛っ」
突然右脇の辺りを、刺したような痛みが走った。思わず持っていた包丁を置いて、マナファナは信じられない気持ちで左手を見た。
野菜を押さえていた左手は、そのまま握られている。その、中に、何かを握っているような感覚がある。何か、長い、棒のようなもの。
そのまま、恐る恐る、痛みが走ったあたりを見る。確かに血が流れていた。自分の左手が握っているもの。見えないが、延長したあたりに、血が浮いていた。
(剣)
いきなりその単語が頭に浮かんだ。
呆然としたまま、頷いた。軽く突いただけなのに、今も血が流れてきていた。
(母さんが言っていたのは、コレなんだ)
それは、確信だった。
「‥‥嘘よ‥‥」
かすれた声で、うわごとのように呟く。今は、まだ駄目だ。父親が台所に現れないよう祈りながら、自分にだけ聞こえるようにささやく。
「まだ死ぬつもりなんてない。死ねないの、ここでは。分かって、お願い‥‥」
痛い。熱さが、傷から溢れてくる。同時に、剣を持つ感触が、消える。血が流れる。
痛みは増したが、マナファナは、ほ、と息を吐いた。
熱い。今まではたいしたことはなかったのに。唇を噛む。鍋が噴いた。顔を引きつらせながら火を止める。血が、ポタポタとたれる。
(やっぱり‥‥アレは、死を送る剣)
痛みのない純粋な死を、送る。母が言っていた通りだった。だから剣がなくなればこんなにも痛い。
「‥‥父、さ‥‥」
そんなに深くはないはずだった。この血の出方からしても、大事な血管は傷つけてはいない。それなのに、痛い。刺してしまった瞬間からは予想し得ないほど。
「‥‥父さん」
少し大きく呼んで、は、と顔を強ばらせた。どう説明したらよいのだろう。今はない凶器を、どう言おう。
足音が聞こえる。
マナファナは慌てて、野菜を切っていた包丁を手に取った。逆手で右手に持つ。
どう言おう。
「どうした?――!!」
ふつりと、すべてが消えた。マナファナは気絶した。よかった、と思った。そして。




