38.準備をしましょう
「――では、行ってくる……」
若干げっそりした表情でアウレリオ様が広間で告げる。
王城で正式な叙爵と、公務が待っているのだ。
以前はこういう場で表情を崩さなかった彼は、屋敷の中では感情を持つようになった。
「アウレリオ様、お気をつけて。いってらっしゃいませ!」
私は微笑んで手を振ると、彼が私を力なく抱き寄せる。
「……アリーチェがいないのは、寂しい」
「お戻りになる時は、収穫祭ですよ。私たち、準備して待ってますから」
なだめるように彼に話すと、彼はちょっとだけ膨れる。屋敷の中だけで見せる彼の姿が、最近可愛らしく思えてきた。
以前のようなどこか冷たくて、寂しそうな目をすることもなくなってきた。
それが、私にとっては何より嬉しく、あたたかい。
ゆっくりと彼が離れる時に、軽く口付けを落とす。
私は、全身が熱く、鼓動が早鐘を打つように鳴り、その場から動けない。
「……まったく、朝からお熱いんですから」
後ろからエルミラがニヤついた声でからかう。
私は言葉を失い、ますます身体が熱くなる。
「――! からかわないで! 収穫祭の準備をそろそろ始めなきゃ、ね」
「今年は屋敷の庭も、町も飾り付けて、盛大にやりますからね! 忙しくなります!」
私たちは笑い合いながら、飾りになりそうなものを探しに行く。
「――あの白い花は、婚礼に使われます。直前に収穫したほうがよさそうですね。あとは……あの木の実も使いましょう!」
「こうやって集めるの、初めて」
「この実は、優しく摘まないと、潰れてしまいます。ほら」
「……エルミラ、すごい」
私の言葉に、エルミラがふふっと微笑む。
こうやって、飾りになる実や花を集めていくことも、私にとってはしたことのない世界で、それもまた新鮮だった。
枝を集めて編み、輪飾りにしていき、草花を編んで冠や、子供用の仮面にする。
農場からは熟した果実が運び込まれ、甘い香りがたちこめる。
子供用の飲料や、大人が飲む酒になり、菓子や料理にもふんだんに実りが使われるのだ。
海からも、農場からもたくさんのものが運び込まれ、町じゅうから集まった料理人は、菓子や料理を作り始める。
厨房からはトントン、カラカラと料理の音が響く。
「姉様ー!」
ファビオと彼の友人が、山のように木の実や花を集めて持ってきた。
「ファビオ、どうしたの、これ」
「今年は盛大にやるから屋敷に持っていけって、先生から」
町を挙げた祭りの準備に、どこか皆そわそわしていて、楽しそうだ。
屋敷に戻った私たちは、アマラさんに教わり、装飾用の紐を編む。ひとつひとつ、教わりながら初めはゆっくりと編み上げる。
はじめはチグハグな紐も、ひとつひとつ編みながら形になっていく。そしてそっと、アマラさんが手を差し出す。
「ほら、こうすれば――綺麗でしょ?」
アマラさんが編み上がった紐を見せる。ひとつひとつ丁寧に編まれた紐は、目が全く乱れていない。
編み上がった紐を組み合わせ、花をあしらった装飾にしていく。それを、庭園や町に、飾るのだ。
町全体が収穫祭の準備をしている。飾り布や飾り紐で国境の町は彩られていく。
人の声が重なり、ざわめきが次第に大きくなっていく。
海も、大地も、空気さえも一緒に彩られていっているように感じる。
そして、庭園には花飾りが丁寧にあしらわれていく。
「……うわっ!」
「アリーチェ様、気をつけて……わ、落ちる!」
慌ててエルミラと一緒に尻餅をついてしまい、ふたりでケラケラと笑う。
色とりどりな庭園にひとつ、またひとつと色が足されて鮮やかになり、思わず目を見開いた。
「今年は特に、ご主人様とアリーチェ様の結婚のお披露目も兼ねてるんですから!」
歌いながら飾り付けをしているエルミラは、心底楽しそうに話す。
「――今年は、本当に楽しいお祭りにしましょう! 新しい始まりなんですから!」
「……本当に、楽しみ……!」
私は、コクリと頷き、庭園から海の方を見る。
青空が、次第に橙色に染まっていくのを静かに見つめて、心の中で呟く。
(本当に、ここに来て、よかった。色々あったけれど――)
こんなに心が躍る経験は生まれて初めてかもしれない。この町に来て、季節の移ろいを感じる日々。
王都にいたら見られなかった景色――あの日、彼と出会わなければ知ることもなかった。
「アリーチェ様! いたいた! ちょっと食べていただきたいものがあって。エルミラも! 食堂で一休みしましょう!」
屋敷の方から、アルヴィンと町の喫茶の店主の呼ぶ声がする。
「そろそろ戻りましょうか、アリーチェ様」
「そうね。今日は沢山動いて、なんだかお腹が空いたかも……」
クスクス笑いながら、私たちは食堂へ向かう。
屋敷に戻ると、料理の香りが鼻をくすぐる。
「今日の夕食は収穫祭に向けた試作品ってことで! アリーチェ様、食べてみてください」
魚に使われている香草の香りが、少しピリッと立ちこめ、収穫されたばかりの野菜のパイが香ばしい。
そして、いつもならアウレリオ様にひと睨みされるアルヴィンが、今日は妙に饒舌だ。
「アリーチェ様には特別にもうひとつ。林檎のパイがお好きと聞いていたので――ご主人様には、内緒ですよ?」
「あ、ありがとう……」
「アルヴィン、若様がいらっしゃったら、ひと睨みだけではすまないかもしれませんね?」
コホンとひと息つき、微笑みながらビセンテさんが釘をさす。最近はビセンテさんも少しずつ家令の仕事に復帰でき、屋敷に光が戻ってきたと感じる。
食堂に、皆の笑い声が響き、祭りの準備に明け暮れた夜は、皆の笑い声とともに更けていった。




