80.旅立ち
フィデスは険しい顔をして執務室の窓際に立っていた。
クラリスが出勤して来て執務室のドアを開けフィデスの顔を見た瞬間、部屋には入らずそのままドアを閉めた。
ただ事ではないフィデスの顔に、クラリスはどう対応しようかと悩んだ。
ちょうど書簡を届けに来たサイオンにクラリスは聞いた。
「フィデスがかなり険しい顔をして窓際に立っていたが、何かあったのか?」
サイオンは困り顔でため息をついた。
「おそらくルチア様のことでお悩みなのでしょう」
「ルチアと何かあったのか?」
クラリスは食い気味に聞いた。
「それは……わたしの口からは…申し訳ありません」
サイオンが意味深な言い方をするので、ルチアと喧嘩したか別れたかとクラリスは思った。
クラリスは書簡を持って入って行ったサイオンの後ろをついて入った。
「書簡こちらに置いておきます」
サイオンが書簡を机の上に置き執務室を出ようとしたとき、
「ルチアを呼んできてくれ」
と重々しい声でフィデスが言った。
修羅場になるのかとクラリスは思い、サイオンと一緒に執務室を出ようとしてフィデスに呼び止められた。
「クラリス、仕事に来たのではないのか?どこへ行く?」
フィデスの声は苛立ちが混じっていた。
「……ルチアが今から来るならお邪魔してはいけないかなと…」
「構わない。むしろいてくれた方が冷静でいられる」
フィデスの言葉にこれはやはり修羅場かもとクラリスは思った。
「…ルチアと何かあったのか?」
フィデスはチラリとクラリスを見て大きくため息をついた。
「ルチアがリベルと旅に出たいと言い出した……」
「なんだ、てっきり……」
クラリスは言いかけて自分の口を押さえた。
「てっきり、なんだ?」
フィデスがクラリスを凝視しながら言った。
「いや……喧嘩でもして別れるのかと……」
「そんなことは絶対にない!」
フィデスはクラリスを睨みつけた。
「まあまあ……旅ぐらい行かせてやれば?お前そんなに度量の狭い人間だったか?」
「……一年だ」
「え?なんだって?」
「一年も旅に出ると言って来た」
「え……一年か、それは長いな。お前がそんな顔する訳がわかったよ」
「わたしはルチアの希望を叶えてやりたい。しかし一年は長すぎる。もし何かあったらと心配だ。昨日聞かされたのだが、少し考えさせて欲しいと言ってある」
クラリスが何か言いかけたとき、執務室のドアがノックされた。
「入ってくれ」
ルチアが入って来て頭を下げた。
「公爵様、お呼びだと聞きました」
ルチアは昨日言ったことの返事だろうと思い少し緊張した。
「かけてくれ」
フィデスは言いながらソファに腰掛けた。
ルチアはフィデスの前のソファに座った。
「あー、その……昨日の話だが……」
そこまで言ってフィデスは黙った。
ルチアはじっとフィデスを見つめたが、フィデスは視線を落としたまま何も言わない。
クラリスは自分のディスクに座って二人の様子を眺めていたが、いつまで経ってもフィデスが黙ったままなので冗談っぽく声をかけた。
「フィデスは一年もルチアと離れていたくないってさ」
「クラリス!……まあ……間違ってはいないが……」
フィデスはクラリスに向かって睨みつけたあと、すぐに項垂れて言った。
フィデスがかなり落ち込んでいる様子を見て、ルチアは昨日は言葉足らずだったことに気づいた。
「あの、公爵様、一年の間ずっと旅に出ているわけではなくて、ときどきは帰ってくるつもりです。リベルがいるから時間が短縮されますし」
おそらく自分がいない間に刺客を雇った貴族が、フィデスにアプローチをかけて来るだろうとルチアは考えていた。
どの貴族が怪しいかだけでも知っておくと、後に警戒をすることができる。
そのためにもときどき様子を伺うために帰ろうと思っていた。
「なんだ……そうなのか……」
フィデスは大きく息を吐いて言った。
「それならルチアの好きにするがいい。一年後、結婚式が無事迎えられるように整えておく」
フィデスは安堵した顔で微笑んだ。
「ありがとうございます、公爵様」
ルチアもホッとした。
「旅に出る前に婚約式だけでもしておいたら?それぐらいは誰も反対しないだろう?」
クラリスがニヤニヤしながら言った。
「そうだな……わたしはルチア以外考えていないと周知させておいたほうがいいな。いいだろうか、ルチア」
「はい、公爵様にお任せします」
ルチアは頬を赤らめて恥ずかしそうにした。
「そうと決まれば早速準備だ。忙しくなるぞ」
クラリスが立ち上がって言った。
「なぜお前が張り切っている?」
フィデスは怪訝そうな顔をしてクラリスを見た。
クラリスは舌を出しておどけて見せた。
ルチアが旅に出る前日に公爵邸で婚約式を行った。
フィデスと懇意にしている貴族だけを招待した。
ルチアはフィデスの礼服と揃いのドレスを着た。
公爵家の侍女たちが総出で着飾ってくれた。
「今日は一段と綺麗ですよ、ルチア……いえ、ルチルアーヌ様」
ミランダがルチアを眺めて言った。
「ありがとうございます、侍女長様」
「ミランダとお呼びください。あなたは今日から正式にフィデス様の婚約者なのですから」
ルチアは戸惑ったが、微笑みながら頷いた。
「さあさ、フィデス様がお待ちです。行きましょう」
ルチアはミランダに手を引かれてフィデスの待つホールの入り口前に行った。
「フィデス様、お待たせしました」
ミランダの声にフィデスは振り向くと、ルチアに釘付けになった。
「フィデス様、何かおしゃってあげてください」
ミランダの声で我に返ったフィデスは、ルチアの手を取って甲に口付けた。
「綺麗だ、ルチア。世界中の誰よりも」
「ありがとうございます。公爵様も素敵です…」
ルチアは照れながら言った。
「フィデスだ。もうフィデスと呼んでくれ」
フィデスはもう一度ルチアの手の甲に口付けた。
「はい……フィデス様…」
ルチアは顔を赤く染めて俯いて言った。
婚約式は無事に終わった。
ルチアが部屋で着替えているとフィデスの部屋につながるドアがノックされた。
ルチアがドアを開けるとローブを纏ったフィデスが少し照れた様子で立っていた。
「ルチア、明日は旅に出るだろう。今日は一晩中一緒にいたいのだが…」
ルチアの心臓は高鳴り、困惑した面持ちでフィデスを見た。
「大丈夫だ。何もしない。ただ一緒にいたいだけだ」
ルチアも一緒いたいと思っていたので、ドキドキしながらゆっくりと頷いた。
フィデスはフーと軽く息を吐いて微笑んだ。
「リベル、悪いが今日はルチアはわたしの部屋で寝る。お前はここで寝てくれ」
《はいはい、わかってますよ。邪魔はしませんから》
そう言ってリベルは自分のベッドで丸まった。
フィデスはルチアの腰に手を回し、自分の部屋に招き入れた。
「何か飲むか?ワインとレモン水があるが」
フィデスは言いながらルチアをソファに座らせた。
「レモン水で」
ルチアはフィデスが入れてくれたレモン水を一口飲んだ。
フィデスはワイングラスを片手に持ってルチアに触れるぐらい近くに座った。
フィデスがすぐ横でじっとルチアを見つめている。
ルチアは胸がこれまでにないほど高鳴った。
フィデスはワイングラスをテーブルに置き、ルチアの左手を持ち上げ甲に口付けた。
そしてローブのポケットから小さな箱を取り出し、蓋を開けた。
以前フィデスからもらったネックレスとお揃いの宝石がついた指輪だった。
フィデスは箱から指輪を取り、ルチアの左くすり指にはめた。
「綺麗……ありがとうございます」
「これを見ていつもわたしのことを想っていて欲しい」
ルチアは照れくさそうに頷いた。
フィデスはそっとルチアの顎を持ち上げた。
「口付けぐらいは構わないだろうか…?」
フィデスが少し不安げに聞いた。
ルチアは一瞬驚いたが、黙って頷いて目を閉じた。
フィデスの唇がルチアの唇と重なった。
長い長い口付けだった。
フィデスは名残惜しそうに唇を離すとルチアを抱きかかえた。
「さあ、もう寝よう。明日のために」
フィデスはルチアをベッドにそっと置いて隣に横たわった。
ルチアはドキドキして眠れそうになかったが、ルチアの髪を優しく撫でるフィデスの手が気持ち良くていつのまにか眠っていた。
翌早朝、ルチアはフィデスと公爵家のみんなに見送らながら、リベルに乗って高く舞い上がった。
《フィデスがものすごく寂しそうにいつまでも見ていたよ》
「またすぐに会えるわ」
ルチアは自分に言い聞かせるように言った。
《まずはどこに行く?》
「まずはアルカナ聖国に行きたいの。あれから誰もいなくなった聖国が気になっていて。わたしの生まれたところだから」
そう、前世のわたしが過ごし、わたしの母が父と巡り会った場所だ。
《了解》
ルチアとリベルはアルカナ聖国目指して飛んで行った。
完結しました。つたない小説を最後までご覧いただき本当にありがとうございました。今度投稿する作品が完結したら続編を書こうと思っています。また読んでいただけると嬉しいです。




