47
火柱が上がった。
爆風が天幕を吹き飛ばし、轟轟たる音を立てて燃え盛る。
ほど近くにいた景季も、吹き寄せた熱い風に飛び退ったものだ。渦を巻くように天に向かって伸びる炎を呆気に取られて見上げた。
静かな夜はにわかに失われ、恐慌に陥った馬がけたたましく鳴き、地を踏み鳴らす音と、それを何とか収めようとする兵卒の怒号が飛び交った。
「・・まっ、姫様っ、」
飛ばされた天幕の中から、侍女である娘がもがきながら這い出てきた。
火柱に向かって、手を伸ばす。辺りは騒然として、説貞の息子二人も、天幕を飛び出してこちらへと駆け寄ってくる。
「なんでこんな、」
天に----月に架かる梯子のように伸びる長大な火柱が夜の闇に恐ろしく映える。
「み、水を、」
「早く川から水を運んで来い!」
兄弟は、妹の天幕に突如現れた柱に目を瞠り、次いで妹の姿を周囲に求めた。
漸く這い出した侍女が、よろよろと歩いてきた。ぺったりと地面に座って、柱を見上げた。
「----姫、さま・・、」
「まさか、」
兄たちは飛ばされた布の下を確認しに走っていったが、果たしてだれの姿も隠されてはいなかった。
布を握りしめ、何か違和感を覚えてか、顔を見合わせた。は、と手元の布を広げた。
爆風を受けたはずなのに、燃え焦げた形跡が一切ない。慌ただしく端から端まで手繰ったが、どこも同じだ。
「----どういう、ことだ?」
熱は確かに感じる。
だが、炎の臭いがしないことに気づいた。
「狐火か!?」
「って、どんな大きさの狐だよ!?」
真剣である。自分達の知識内で何とか理解しようとしただけだ。
鬼切部の山のどこかに、熱水を吹き上げる場所があるが、まさしくそのように、赫赫と、火が吹き上がる。間欠泉の熱水は頂点で崩れて落ちてくるが、この炎はどこまでも高く高く昇っていくだけだ。
運ばれてきた川の水を打ちかけてみたが、通常なら上がる音も水煙も立たず、水はただ火の柱の中に消えるだけ----いや、不愉快だとばかりに赫を増して激しく渦を巻き、ゴオッと、叩きつけるような熱風が、取り囲んでいた一同をなぎ倒さんばかりに吹き返した。
たたらを踏むもの、尻もちをつく者。火種もないのに燃え盛る炎に、呆然を過ぎ恐怖が場を侵食していく。
祟られる。呪われる。罰される。取って喰われる。
思い浮かべた文言は違うが、ここには居られないという思いは一つだ。蜘蛛の子を散らすように駆けだした。
「姫さまっ、」
と、忠義者の侍女は叫んでいたが、兄弟に「今は!」と引っ張って行かれた。
残ったのは景季だけで。
そうして、振り返った先に。
-----風斗が、来た。
川を挟み、夜営地を見下ろす丘の上だった。
「どうするんだ?」
と、問うたのは経清だ。
鷹里は衣川を離れられない。水来がいれば良かったのだが、彼は自分の柵に入っていた。
ぼんやり、と、苛立ち、を行ったり来たりしている風斗を、まさか一人で行かせられず、国府役人として目付け役を務めると、かなり苦しい理由で同行してきた。
「このまま近づくと、夜襲と取られるぞ。」
風斗と経清こそ平服だが、郎党はしっかり武装を固めている。
「使者を立てろ。何なら、わたしが行ってもいい。早桜姫がいるのか確かめるべきだろう。」
大和に向かった景季を含む一団に、女性が含まれていたことは判明しているが、それが早桜であるかは分かっていない。
「藤原説貞の娘、か。」
風斗が呟いた。
手引きの女官は、その娘の兄弟たちが垣間見して、間違いないと断じたと証言した。
その娘が行方不明になった時期に大和の装束を纏って、ひたかみに現れたのは確かだが。
「彼女が大和の娘だとはとても思えぬ。」
とは、大和人である経清の正直な感想だ。
「同感だな、彼女はどこのクニのものでもない。いまのあの姿は、化現にほかならない。」
神仏がごとき言い方と思ったが、彼女はこのクニの神の遣い、だった----かなり垣根が低いが。
「化けている・・取り憑いているという感じか?」
すごく嫌な顔をされたが、他に表現しようがないのだ。そして、言い替えてこないのだから、風斗もまた言葉がないのだろう。
「面倒をおして、彼女は何故生身で顕現したのか、」
改めて呟き、そのばかばかしさに気づいた。
「風斗が心配過ぎたんだな。」
いま、でこそ戦が起きる心配もしているが、そういえぱ、つい先日まで廃人そのものだった。
顕現する姿に大和の娘は避けてほしかった選択だが、彼女が再臨して風斗の時は再び動き出した。
頼義公には奥六郡を諦める選択はなく、ひたかみは風斗なしでも相対するよりなかった。だから風斗の復活はまさに時を得ている、あるいは瀬戸際であった。
----すべて運命の輪の上か。
戦も、
----恋も。
吹く風を留める術がないように。
風斗が丘を下るべく馬の手綱を繰ろうとしたその時、夜営地の真ん中に突如、赫赫と燃え盛る炎の柱が出現したのだ。
「火事か!?」
と、一団は騒めいたが、あんな妙な形態で火災が生じるはずもない。何らかの合図と取るべきだろう。誰もが、風斗の様子を窺っていた。風斗は暫くの間その柱を眺めて動かなかった。
果たして。
前触れなく、その姿は闇に溶けて消え失せたのだ。
頬に吹き過ぎた風の感触だけを残して。




