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夢の中で落下するときの、あの感覚。
本当に落ちるわけでもないのに、身体が跳ねて、それに抵抗おうとする。
短い転寝の、思い出そうとする先から崩れていく浅い夢。
落ちる夢のあとの動悸だけではなく、とても苦しい…。我知らず胸もとを抑えていた。
こんな悪夢は、初めてでない、気がする。
夢を見ていた頃は、なにもかも鮮明に思い出せるというのに、いまの夢は----いや夢だからか、あやふやで、もどかしい。
「寝台を使われませ。」
かなという名前らしい侍女が勧めてきた。
背を伸ばして、従おうと立ち上がりかけたそのとき。
「やはり今夜はここで夜営だそうですよ。」
前触れなく、突然天幕に顔を覗かせたのは藤原景季だ。
「多賀城の偉い方かも知れませんが、無礼がすぎます!!」
お下がりください、と早桜の前に立ち、両腕を広げた彼女は本当に忠義者だ。
ズタボロだった見た目を調えてもらい、悪夢を見たが、少し眠ったことで頭はようやく動き出した。
「----ここは、どこですか?」
大和の、身分ある女は男に声を掛けたりはないそうだ。しかし、早桜にはそんな常識はないし、ひたかみにもない。
「阿久利川ですよ。早樹どのの館からは馬で一日というところですか。わたしはこのまま夜を徹して駆けた方がいいと、兄君方には申し上げたのですが、」
「なんて非道なことを。武士と姫様の体力を一緒にしないでいただけますか!?」
「だけどなあ。貞任が追いかけてきたらどうするんだろうなあ。」
景季は心配そう、というよりは面白そうだ。
「ここはとりあえず大和だが、奥六郡はごく近い、いわば地続きだ。」
「なあに、景季どのがまことにうまく段どってくださったおかげで、追撃の気配はここまで一切なく、止められることすらなかったではないか。」
下の兄の元貞が顔を出した。
「四騎のみでも、追手が来れば蹴散らすつもりであったのだ。ここには五〇騎もおるのだ。心配せず、休むとよい。」
豪快に笑い、陣立ての途中で寄っただけだった兄は、慌ただしく出ていった。
「----風織姫は突然にいなくなるものだそうですから、もしかするとずっと気づかれぬままになるかも知れませんね。」
どきり、というかズキリとするような言葉と、
「おやすみなさい、花嫁殿。」
という、爆弾発言を残して景季も去った。
「----あの人が、このひと…じゃない、私と結婚する、の?」
途方に暮れた顔をしたのだろう。かなが、
「決まった話ではございません。」
と、今度こそ寝台に導きながら言った。
「お申し込みがあった、というだけのことです。」
何があるか分かりませんからと、袴はそのまま、袿をかけて横になった。灯りも入り口と、足元の二つは点けたままだ。
「姫様が攫われたあとでしたので、殿さまはお返事されていないと思います。」
自ら発ったのだが、まさかそうとは思わない彼らの解釈では、ひたかみが悪者になる、わけだ。
「----私、」
「姫様に傷がつくことは避けたいと内密にお探していたのです。」
嫁入り前の身の価値を損なわぬように。
「ですので、どうして知ったのか分からないのですが、俄かに姫様を見つけたと景季さまから連絡が来まして。兄君さまがたが、共に確認救出に赴かれることになりました。」
「私が衣川に居ると誰かが伝えた…、」
このひとを知る者と会った、ということか。自分すら知らないこのひとだから、確かに無防備であったかも知れない。
「お休みください。」
と言われて、目を瞑った。
----暫く。寝返りも打って。
「…眠くないわ。」
先ほどの一瞬の転寝で、もう足りてしまったように、頭が動き出した気がする。
「横になっているうちに眠れますわ。」
いなすように、かなが言うが、早桜はパチリと目を開け、宿直をするつもりなのか、胡床に座って傍らにある彼女を見上げた
この娘はこのひとに仕えている立場だが、気が置けない関係でもあるようだ。また兄という人たちとのやり取りを見ても家中で重用されている。
----ごめんなさい。
と胸内で謝った。
「----私、あの景季という人は、どんな方?」
「藤原景通さまの長子で、お年は二十四。馬射の名手で国司様の覚えもめでたく、若君さまのお側役のひとりでもあるそうです。」
「私、あの方に以前会ったことがあったか、しら? 」
あったかな、と言いかけて、姫さまらしく飾った物言いに軌道修正した。
「あたしはお見かけしたことないですねぇ。」
なぜです?と首を傾げられて。
「----全く躊躇わずに、私を見てきたから。」
確信した目、だった。
そして、風織姫と、呼んだ。
触れられた時に駆け上がった忌避感の根は、自分の記憶かこの体の記憶か。かなの様子からすると、やはり夢の可能性が高い。
どこで、すれ違った…?
厭な記憶はそう多くない、から。
燈台の一つ、ゆらゆら揺れる炎を見つめて、記憶を手繰ろうとしたのだが、その炎が大きく揺らぎ、ふ、と立ち消えた。
そして、意識も、何かに吸われるように絶えた。




