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「姫様!」
悲鳴に近い声に迎えられた。
夜営の場所は決めていたのだろう。やがて、すっかり陽は落ち、闇の中を移動してきたが、ここは明明と篝火がたかれていた。
馬から抱え下ろされた瞬間、崩れ落ちそうになったのを、すかさず支えられた。
「動けますか!? ああ、なんて無茶を・・!!」
手巾で埃塗れの顔を拭い、恐ろしい様になっているだろう髪を手櫛でなでつけながら、険しい顔を周囲に向けた。
「なんて酷いことをなさるんです!? 若様がた!!」
流石に猿轡は外されていたが、長時間の乗馬で全身を激しく揺さぶられて、もう口をきく気力もない。
このひとを案じて抱きしめてくる体の温かさに、緊張しきっていた心が緩んで、涙が溢れてきた。
「我らとて妹をひどく扱いたいわけはない。」
兄らしい男の一人が反駁した。
「ただ、ゆっくりしていれば蝦夷どもが追いかけてくる。飛ばさざるを得ないよ。」
しかし、侍女はそんな理由は聞きとばした。
「姫様、おかわいそうに。若様がたときたら、女性の扱いもまるでなっていないのですから!!」
「----まあ、無事に連れ戻せたのだから勘弁してくれ。天幕の支度はできているのだろう? 休ませてやるといい。任せたぞ、かな。」
侍女の剣幕に苦笑いしながら、そう応えるのを頭の上で聞いた。
侍女がもうひとり進み出て、両側から支えられて移動する。四方囲み、簡易的な天井も付けた天幕に入る。
「本当はお湯に入っていただきたいところですけれど、」
動けない体から、大和のとは勝手が違うひたかみの衣装に首を傾げつつも、手早く上衣を脱がし、清拭していく。そして用意していた着替えを纏わせる。
「白湯でございます。」
震えて椀をもてない手を介助して、口元に運ぶ。うまく飲めずに零れてしまうのを拭いながら、根気よく付き合ってくれた。
「もう少し落ち着きましたら、粥を差し上げますわ。」
横になるのも苦しくて、脇息にくったりもたれた主人の、手足をさすったり、首をほぐしたり、甲斐甲斐しく世話をやく。
----どのくらい、呆然としていたのか。
脇息に伏せるようにして、うつらうつらと、舟に乗っていた。
舟は、現実の岸を離れて、夢世に渡る。
歌が、遠くから聞こえていた。
陽気な、まるで祭りでも行われているような歌。
その歌の向こう、あるいは入り混じる剣戟と、悲鳴。
「火が放たれるようです。」
柵の西と北には沢があり、東と南は川に面した要害ではあるが、援軍のあては既になければ、あとはいかにこの戦を終わらせるか、しかない。
数を押して、敵軍は昼夜を分けずに矢石を打ち続け、そして近隣から刈りだした萱を川に積み始めた。風向きが変わるのを待って火攻めが始まるだろう。
「逃れる者は、北西へ回るように。」
男は太刀を腰に、手に矛を持ち立ち上がる。
「火矢が飛べば、敵もまた浮足立つ。吹く風を抑えることはもはやできぬが、柵内くらいは扱ってみせよう。」
煤けた顔で、どこか朗らかにすら言うのだ。
「俺と来る者は、南東の門へ。ある程度燃えたら、撃って出て、囲みを破り、頼義の肝を今一度縮ませてやろうではないか!!」
逆側に出て、囮になるということでもある。
「お前たちには、俺ときてもらわねばならん。すまんな。」
すまなそうに言われたのは同年の男と、同種の異能に生まれついた弟だ。彼らは、なにを今更とばかりに目を細めた。
「国司どのは、わたしだけは草の根分けても探し出すでしょうから。」
「同じく。冠のものを見逃すわけないですからね。」
必ず死ぬためだというのに、彼らの動きは軽く、微笑みすらあった。その二人に続くように、他の同座していたものは、東へ西へと別れていく。男は、それぞれの判断に何も言わなかった。東に、その十三歳の長男が歩いて行っても---ただ一人を除いて。
「お前は北西から出ろ。」
「何故です!?」
男のすぐ下の弟。政務においては片腕、いや手腕は男以上。
「お前には後を託す。生きて、名と命を繋げ。」
業近、とその側近を呼ぶ。
「必ず生かせ。」
「は。」
「ひどい物言いになるが、お前を許したのはこのためであったかも知れんな。お前ならば、引きずっても連れていける。」
「・・・ご信頼いただきありがとうございます。」
ふ、と一瞬だけ目を見かわし、側近は平伏した。そのまま主ににじり寄り、肩を抱くようにして連れ出そうとしたが、渾身の力で振り払われた。
「兄者がわたしを置いていかれるのは----わたしが預名方ではないから、ですか!?」
弟は膝をつき、兄を見上げた。
「こんなことを言う時じゃないのは分かっています! ですが、もう時がございません! 兄者はどうしてわたしを預名方に・・、」
「俺を兄者、と呼ぶのはお前だけだろう?」
ぽん、と幼き日のように頭に軽く触れて、
「名で呼ぶのは三人いたが?」
一人は手放し、一人は道連れ、一人は永遠に腕の中に。
呆然とする弟の傍らを擦り抜けて、男は廊下に出た。こちらに必死に視線を投げながら、側近に引っ張られていく弟を横目に見て、そして最後に残った女に微笑む。
「あとのことは武貞に任せよ。」
東の風の先駆けが、ふたりの頬に触れた。
「私に手伝えることは、」
「ない。」
優しく男は言う。彼女の力を失わせたのは男で、男の力も時の理に法り夏を過ぎた。
夏の内に勝ち目があると思ったが、目論見通りに運ばなかった。不徳の致すところだ。
ひたかみが失くなるわけではない。
希みは、確かに残す。その為の、区切りが要るのだと、説明られてきたけれど。
納得など、できるわけはない。のに、容赦なく現実が追い付き、追い越していくのだ。
わあああ、と重なる幾つもの悲鳴。
萱に放たれた火が、風に舞い上がった。その炎の上を、敵軍が放った矢が飛ぶと、矢羽根に炎がついて、無数の火矢となって柵に降り注いだ。
まず高楼に煙が上がった。炎の熱に血の匂いが混じり、絶望の、断末魔の叫びが空を貫く。幾つも幾つも。終わりなく。
----終焉まで!
「----行く、」
逝く、と。
だから、行けと。
小さくなる背に何かを叫んだ。
こんな終わりのために、出会ったのではないはずなのに・・・!




