ルークとティナ(3)
「いい部屋だね」
部屋に入るなり漏らされた呟きは至極あかるく、前向き且つ爽やか。
――うん。わかりやすい。
ティナは、くるくると動いてはあちこちを確認し、浴室に薔薇の花びらや湯の保温装置があること、明かりが最新式の遠隔魔防照明なこと、内装も落ち着いて品よく、何より小ざっぱりと清潔そうな寝台がふたつあることに安堵していた。
対して、ルークは後ろ手に鍵を閉め、部屋の出入口と窓をすばやく視認した。
離れなので宿の本館から地続きの一階建て。庭に面したテラスもあるが、まあ使わないとして。
浴室を含めた三つの窓と庭への通用口は施錠済み。防犯もきちんとしているようで何よりだと、ようやく力を抜いた。
すると、ティナが申し訳なさそうな顔で近づいて来た。
「お疲れ様。ごめん、わたしがいろんなところに行きたがったから」
「いいよ。仕方ないって。ずっと、ティナだけの時間なんてなかったんだろ? 察するに、ヴィヘナから飛び出したあとも」
「うん……まぁ、この体が“聖女の器”になるのは神託でわかってたから。彼の力に耐えられるよう、いっぱい鍛えなきゃいけなかったの。ギルドには単独のシーフ兼治癒師として登録したけど、クエスト以外の空き時間は巫女として大抵鍛錬してたわ。神様がちょくちょく遊びに来るの。指導監督に」
「大変だったな」
「いいよもう。済んだことだし」
「これから、やっと自由になれる?」
「そうよ!」
晴れやかな笑顔に、ついつられてしまうが。
胸に微かな痛みが宿る――その、貴重な“自由”に。
(俺は、どこまで関わっていい?)
* * *
未明の出奔。
王宮からの脱出を持ちかけてきたのは彼女だった。
両親からも国からも、これ以上の束縛は御免だと仄めかせていた。あかるい青の瞳を翳らせていた。
そんな顔はさせたくない。
どうしようもなく惚れているし、今度こそ手の届く場所に居てほしかった。
告白の返事の催促は我ながら急いていたし、彼女から得られたのは「わたしも」という、吹く風に紛れてしまいそうな一言。それを自分本位に解釈した。
けれど、一緒にいて欲しい気持ちの根っこが、もしも自分と異なるなら……?
今朝も、周囲からの新婚扱いは不本意そうだった。
かろうじて“いつかは”と思ってくれたとしても。
それは、“今”ではないのだ。だとすれば。
「ルーク、大丈夫? 今日はもう寝る?」
「――……ティナ」
失敗した、と思った。
両膝に手を当てて小首を傾げ、窺うようにこちらを覗き込む彼女をがっつり見てしまった。
抑えていた理性の紐が焼き切れた、と思った。
気がつくと彼女の腕を引っ張り、押し倒していた。真っ白なシーツに暁雲のような髪がふわりと広がる。
澄んだ青い瞳がぱちりと見ひらかれて。
(〜〜……!)
堰を切ってあふれた言葉が喉を駆け登る。迸る。もう、止めようがなかった。
「警戒、しろよ! ふたりっきりの部屋で、寝台に座ってる男に近寄ったら、普通こうなるだろ。頼むっから自覚してくれ、襲っちまう」
「……襲う……」
「いやだろ?」
「いや、なんて……」
「え」
いま、何て??
「いやなわけ、ない。そっ……そっちこそ! 中身がわたしだけになったら、何もしてこないし!」
みるみるうちにティナの顔が赤くなり、目尻に涙が浮かび始める。見間違いじゃない。本当の、本物だ。
「ティナ」
「言えないじゃない。セッ……セレスティナは、何だかんだ言ってお淑やかだったし、賢かったし、わたしよりずっと“聖女”だった。知ってるわ、王子様も彼女に惹かれてた」
「――ティナ」
「わかる? わたしだって彼女が好きよ。思考も体も共有した。あの子で良かったとも心底思ってる! だから!!」
「ティナ」
「うっ…………う、うっ……ばか。ばか、ルーク」
「うん」
「好きよ」
「……………………うん」
「好きだし! 覚悟だってちゃんとしてるのよ! わかったなら――ッ」
続きは。
言わせなかった。
その代わり、ずっと好きだと囁き続けた。
塞いだ唇をあまく食み、恋人同士のキスを交わした。
あとは無我夢中。こんなことなら騎士時代に先輩がたに誘われるままユガリアの娼館に行けば良かったのかな、と、ちらりと考えたが、光の速さでかき消えた。
肌もあらわに、泣きながら行為を受け入れてくれるティナが愛おしすぎた。
「俺はティナがいい。ティナだから、……好きなんだ。愛してる」
「ルーク…………わた、しも」
「うん」
指と指を絡め、互いに吐息を奪いあう。溺れあう。
そうして、しあわせな微睡みに身を委ねた。
素肌と素肌の温もり、くしゃくしゃのシーツの感触と朝日に包まれるまで。
――――――――
渋る新妻を説き伏せ、朝食の席で延泊を申し出た客に、宿の支配人はさもありなんと快く首肯した。
合計三日間。
外には一歩も出なかったし、どんどん可愛くなるティナに諸手を挙げて降参した。
ほとんどの時間を腕のなかに閉じこめ、ときに衝動のままに柔肌に痕を散らし、足りないよね、と、額を合わせて笑いあった。
* * *
「おっそーーーい!! どこをほっつき歩いてたのさ! 『お前らはここで待ってろ、王都に来たらややこしくなる』とかってさ! ずっといい子に待ってたのに」
「キュッイーーーー!!!!」
「あー、ごめんごめん悪かった」
「ごめんね、カーバンクル。キュアラも」
王都を発ち、その後はなるべく寄り道せずに南下した。ユガリアでは、ティナが世話になった巫女のスフィネに礼を兼ねた挨拶をし、図書館の司書アイラにはギゼフのことを報告した。
幸運の指輪を購入した店はなくなっていた。
できれば縁があったことだし、婚姻の指輪でも……と思っていたルークに、ティナはけろりと告げた。
「あのときの店主ね、あれ、リューザ神の現し身のひとつよ」
「まじか」
ヴィヘナは当然寄らず、嘘のように瘴気も魔物も消えた荒野を南下して半竜人の里へ。
結婚の報告をすると、里長やアルガ、里人たちからはやんやの祝福を受けた。キュアラの扱いが生き神のような土地柄、彼女がマスターと懐くティナは、この里では種族を超えた賓客だ。
たとえ聖女であろうとも、神剣を返納した勇者を夫としていても。
セレスティナの即位にはまだ日があると知らされ、ルークとティナは里に半月滞在した。
なんと、その間にティナは身籠った。
ティナの体を気遣い、よりすぐりの“地駆け”たちは休憩を多めにとり、乗り心地最優先でニ名と二匹を魔王城まで送り届けてくれた。
――――――――
湧き立つ魔物たち。魔族たち。クリスタルもかくやと見紛う光の城と化した魔王城は、うつくしい魔王を戴く喜びに満ちている。
大人しくしておけよ、と釘を刺したゾアルドリアに礼を述べ、カーバンクルの結界に包まれたルークたちは、真珠色の装いのセレスティナに目を奪われる。
「綺麗だね」
「うん。ウィレトは相変わらず、すかしてんなぁ」
「喧嘩売っちゃだめよ?」
「わかってるって。あ、おっさん来た」
「ギゼフさん! ……ん? 何か上機嫌ね。ふふっ、いいことあったのかな」
魔族領であることを忘れそうな晴天に、梢を鳴らして清らかな風が吹き渡る。
その何処かから『幸せに、あかがねの聖女』と笑みを含む声が響き、淡くほどけていった――。
番外編「ルークとティナ」fin.