第26話「直接の勧誘」
レイモンド家の一件が判明してから数日後、その日は思いのほか早く訪れた。
放課後、一人で図書室に向かっていたニコラスの前に、忽然と姿を現したのは、ガレスだった。
「――一人で歩くのは、少し不用心じゃないか」
「ガレス先輩」
ニコラスは警戒を隠さず、相手と距離を取った。周囲に人気はなく、廊下の奥まで西日が長く伸びている。
「そう警戒するな。今日は、少し腹を割って話をしたいだけだ」
ガレスはそう言うと、懐から一枚の紋章入りの封筒を取り出した。
「これは?」
「僕の父――レイモンド伯からの、正式な招待状だ。今度の休日、我が家で開かれる茶会に、お前を招待したいとのことだ」
差し出された封筒を、ニコラスは受け取らずにじっと見つめた。
「なぜ、僕を?」
「単純な話だ。お前の実力は、既に王都でも知らぬ者はいない。父上は、将来性のある人材と、早いうちから縁を結んでおきたいと考えているだけのことだ」
ガレスの声には、悪意めいたものはなく、むしろ商談を持ちかけるような、事務的な響きがあった。
「もし僕が、その招待を断ったら?」
「別に、無理強いするつもりはない。ただ、この機会を逃すのは、お前にとっても損だと思うがな」
「損、というのは?」
「レイモンド家の後ろ盾があれば、お前の今後の学園生活も、冒険者としての将来も、格段に有利になる。逆に言えば……」
そこで一旦言葉を切ると、ガレスは薄く笑った。
「後ろ盾のない、ただの田舎出身の平民のままでは、この先、色々と苦労することもあるだろうな」
その言い回しには、はっきりとした脅しの色が滲んでいた。ニコラスは静かに、しかし芯の通った声で応じた。
「その申し出は、丁寧にお断りします」
「……ほう?」
「僕は、誰かの後ろ盾が欲しくて頑張ってきたわけじゃない。それに、こういう形で近づかれること自体、あまり気分のいいものじゃないので」
はっきりとそう告げると、ガレスの表情から、笑みが消えた。
「……随分と、はっきり言うんだな」
「すみません。でも、これが僕の答えです」
しばしの沈黙の後、ガレスは小さく息を吐き、封筒を懐に戻した。
「まあいい。今日のところは、これで引き下がろう。だが、覚えておくといい。世の中は、力だけで渡っていけるほど単純ではないということをな」
思わせぶりにそう言い残すと、ガレスは踵を返し、その場を後にした。
一人残されたニコラスは、しばらくその場に立ち尽くしていた。心臓が、思いのほか速く脈打っている。
(思ったよりも、はっきり来たな……)
前世で言うところの、強引な営業トークに近い感覚だった。だが、今回はそれ以上に、断ったことによる何らかの反応が返ってくる可能性が、拭いきれない不安として残っていた。
その日の夕食の席で、ニコラスは友人たちに、ガレスとのやり取りを詳しく話した。
「マジかよ、そんな直接的に来たのか」
ルーカスが驚いたように目を見開く。
「断って、大丈夫だったのか?」
フェリックスも心配そうに尋ねた。
「今のところは、何もなかったよ。でも、あの言い方だと、これで完全に諦めたとは思えない」
ニコラスがそう答えると、エドワードが険しい表情で腕を組んだ。
「……お前の判断は、間違っていない。だが、レイモンド家が、これで大人しく引き下がるとは、僕も思わない」
「じゃあ、これからどうすればいいんだ」
ルーカスが尋ねると、エドワードはしばらく考え込んだ後、静かに答えた。
「まずは、今日のことを、すぐにグレイソン先生に報告するべきだ。それと――」
エドワードは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「僕からも、父上に相談してみる。レイモンド家の動きについて、何か知っていることがあるかもしれない」
「エドワード……」
「別に、お前のためというわけじゃない。これは、僕の家にとっても、無関係な話ではないからな」
素っ気ない口調だったが、その言葉には、確かな決意が滲んでいた。
食卓を囲む仲間たちの顔を見渡しながら、ニコラスは改めて、自分が一人ではないことを実感していた。
窓の外には、既に夜の帳が下りていた。静かな学園の空気の裏側で、貴族社会の思惑は、確実に、次の一手へと動き始めていた。
「まあ、こんな時こそ、俺たちの出番だろ」
ルーカスが努めて明るくそう言うと、フェリックスも大きく頷いた。
「そうだな。何かあれば、俺たちみんなで対処すればいいさ」
「うん、ありがとう、みんな」
ニコラスがそう答えると、食卓には、いつも通りの温かい空気が戻ってきた。だが、その裏側で、静かに緊張の糸が張り詰め始めていることを、この時の誰もが、はっきりと感じ取っていた。
その夜遅く、寮の自室で一人になったニコラスは、ガレスの最後の言葉を、何度も頭の中で反芻していた。
(世の中は、力だけで渡っていけるほど単純ではない、か……)
その言葉は、単なる負け惜しみではなく、ある種の真実を含んでいるようにも感じられた。規格外の実力を持ちながらも、この世界の複雑な人間関係の中では、それだけでは乗り越えられない壁があるのかもしれない。
(まあ、今はできることを、一つずつやっていくしかないか)
そう自分に言い聞かせると、ニコラスは静かに目を閉じた。窓の外の月明かりが、静かに部屋を照らしていた。
(第27話へ続く)




