八、獣族と人間
柳の葉が風に揺られて、さらさらと音を奏でている。
八丸は空を見上げた。
「俺、人間と話をしたのは初めてだ」
「私も、獣族の方とお話したのは初めてです。お会いしたのも」
「俺達は、人間を見つけたら逃げるように幼いころから言われてきているから。
よほどのことがない限り人前には姿を見せないんだ」
「なぜ、逃げるのです?」
「え?なぜって―……」
八丸は驚いた表情で鈴花を見た。
鈴花は八丸がなぜ驚いているのか分からないようで、ただ首をかしげている。
「―………敵、だからだ」
「敵?」
八丸は真面目な顔で頷いた。
「人間は、獣族にとって危険な存在だ。見境なく俺たちを野蛮な道具で殺そうとする」
語尾につい力がこもる。
「実際に、何匹もの仲間が殺されてきた。獣族は狩りをするが、むやみな殺生はしない。
ちゃんと自然の、命の連鎖に従って生きているんだ。人はそんな自然の秩序を乱そうとする」
「では……私も敵なのですね」
「えっ?」
鈴花は視線を下に向けている。口元は微笑んでいるが、悲しそうな声だった。
その様子を見た八丸は、たまらなく胸が苦しくなった。
「違う!……鈴花は、敵じゃない」
「なぜです?私も人間ですわ」
「けど……鈴花は山に来る野蛮な人間とは違う」
「なぜ言い切れるのですか」
「鈴花は―……特別だ」
「特別なんかではございません」
鈴花は顔をあげ、まっすぐな瞳で八丸を見つめた。
八丸は返す言葉がなく、ただ見つめ返す。
「それが人間なのです」
「え?」
「確かに、八丸さんが述べたように野蛮な者もいるかもしれません。
けれど殺生を好まない人間だっております。生き物を愛し、自然を愛する。
純粋な心をもった、良い人間だってたくさんいるのです。
だからどうか、人間を全て敵だと思わないでください」
鈴花はふわりと微笑んだ。
その笑顔に、八丸は頷いた。
「……俺は、狼だ。だからまだ、すぐに人間を信じることは無理だ。
けど、鈴花のことは……信じてみたい」
「八丸さん―……」
「だいぶ、日が昇ったな」
八丸は足元に目を向けた。木陰が小さくなっている。
鈴花は空を見上げ、慌てて立ち上がった。
「大変!もう戻らなくては」
八丸も立ち上がる。
「梺まで送るよ」
「ご心配なく。独りで来れたのだから、帰れますわ。
それに、私と……人間といるところがお仲間の方に見られては、大変なのでは?」
「……言うとおりだ」
八丸は肩を落とした。
「とても楽しかった。ありがとう」
八丸は鈴花に微笑んだ。
「私もでございます」
「なぁ、また会ってもらえないか?」
「私も、今同じことを考えておりました」
鈴花も微笑む。
「ただ、連日は厳しいので、三日後でもよろしいでしょうか?」
「もちろん!じゃあ、三日後に」
「再びあの柳の木の下で」
「朝、でいいんだな」
「はい、今日と同じ頃に」
「じゃあ、待ってるな」
「それでは」
鈴花は八丸に頭を下げると、急ぎ足で山を下りていった。
八丸は鈴花の後ろ姿を見届けた後、ゆっくり来た道を引き返した。
(次は三日後―……)
今までにない興奮が体中に溢れてくる。
軽やかな足取りで山に入っていくと、あっという間に霧の里に着いてしまった。