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「タケはそこに居る時田から、いじめを受けています」
草薙の声が、薄い膜の向こうから響いてくる。
聞きたくもなかったが、耳をふさぐのも億劫だった。
校長はフンと鼻を鳴らし、僕の顔を観察するようにじっと見た。
「いじめ、ね。それで?」
草薙はこの男の反応に面食らったようだ。
「……え?」
彼は冷めた目で草薙を見やった。
「今の時代、いじめなんてそんな珍しいものじゃないんだ。それで?」
「なんですかその言い方!」
草薙は本気で怒っている。
僕はぼんやりとその横顔を見つめていた。
「タケは一昨日、屋上から飛び降りようとまでしたんですよ!?」
「それがどうした」
校長が言った。
「まだ飛び降りちゃいないじゃないか」
「そんな屁理屈……!」
「屁理屈ではない」
校長は実に憎たらしい口調で言った。
「よくもまぁ、いけしゃあしゃあとそんなことが言えるな」と、僕はある意味感心していた。
「大切なのは事実だ。たとえば……」
彼は僕を指差した。
「コイツがあの少年を殴打し、昏倒させた、ということだ」
草薙が吼えた。
「だから! それに正当な理由があったって言ってるんです!」
しかし、校長は鼻で笑う。
「理由があれば何をしても良いと? 話にならんな。そもそも……」
彼はまた僕を見た。
「いじめられる側にも何か理由があるもんだ。それなのに……」
草薙が叫ぶ。
「待ってください!!」
その時、今まで黙っていた松田先生が彼女を手で制すると、にこやかに、穏やかに言った。
「校長先生、「正当防衛」って知ってます?」
校長はムッとした顔をした。
「当たり前でしょう」
松田先生はにこやかな調子のまま続けた。
「なら、今回の件はそれに当たるとお思いになりませんか? 見てください。こっちの時田君は「たまたま」打ち所が悪くて気絶していますが、斉藤君はひどく痛めつけられていますよ」
「ハ! 何を言ってるんですか!」
校長は言った。
「この馬鹿者は、いじめられていたんだかなんだか知らないが、相手が意識を失うまで殴ったんですよ? 過剰防衛にも程があるでしょう!」
「……違う」
僕は初めて口を開いた。
「何?」
「俺はそんなつもりじゃなかった」
僕以外の三人が顔を見合わせた。
僕は黙っていられなかった自分に嫌気がさしていた。