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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十一章

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第8話

私は再び、食品店の商会――ブランデル商会を訪れた。


応接へ通されると、奥から商主のブランデルが現れ、頭を下げた。


「お待たせしました。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」


私は頭を下げ、顔を上げる。


「先日置いていただいた干し林檎のジャムのことですよね」


「はい。いかがでしたでしょうか?」


「思ったより、悪くありませんでした」


「悪くない、というと……」


ブランデルは卓につきながら、穏やかに言った。


「すぐに棚が空になるような動きではありませんが、珍しさで手に取った方のうち、何人かはもう一度買っています」


「そうですか……」


「ええ。干し林檎の甘みを好む方には合うようです。逆に、もっと甘いものを想像していた方には、少し違ったかもしれません」


私は苦笑した。


「砂糖は少なめですから……」


「そうですね。ですが、毎日食べるなら甘すぎない方が向いている、とおっしゃる方もいました」


「……よかった」


胸の奥から、思わず声が漏れた。


けれどすぐに、私は帳面へ視線を落とす。


「……砂糖を少し増やした方がよいでしょうか」


ブランデルは少し考えるように顎へ手を添えた。


「悪くはありません。ただ、今の品とは客層が少し変わるでしょうね」


「今の品とは分けて、別に作った方がよいでしょうか」


「ええ。今の品を崩すより、甘めのものを別に試す方がよろしいかと」


「分かりました。次は、少量だけ用意してみます」


「よろしくお願いします。ああ、それと」


ブランデルは帳面の脇に置いていた小さな包みを開いた。

中から、私が作った髪飾りをひとつ取り出す。


「当たりで飾りのついていた瓶は、よく覚えられていました」


私は少しだけ目を見開いた。


「そんなに印象的でしたか?」


「ええ。全部についていたわけではないからこそ、入っていた家にはよく覚えられたようです」


「なるほど……」


「毎回同じものがついていたら、ただのおまけで終わったかもしれませんね」


私は小さく頷いた。


ブランデルは私の顔を見て、少しだけ身を乗り出した。


「ですので、次回は前回よりほんの少し増やすくらいなら試せます」


「はい。よろしくお願いします」


ブランデルは満足そうに頷いた。


「ええ。無理に広げる品ではありませんが、育て方はあると思いますよ」


話がひと段落し、私は礼を述べて立ち上がった。


馬車に揺られながら、私は小さく息を吐く。


「……少しずつ、か」


定着するまで、まだ時間はかかるだろう。

それなら、規格外の干し林檎はしばらく王都商会にお願いした方がいい。


売れ方が見えたなら、次に考えるべきは人手だった。

春に向けて、今のうちに作業を覚える者を入れなければならない。


領地へ戻ると、第四の乾燥小屋はもう柱が立ち始めていた。


私は古参の領民へ顔を向けた。


「……どうかしら。人手、増やせそう?」


古参は建ち始めた四棟目へ目をやってから、腕を組んだ。


「簡単にはいきませんな」


「そうなの? ここは、働きやすいように整えてきたつもりなのだけれど」


「反応は悪くありませんがね」


「それでも増えないの?」


なるべく長く続けてもらえるよう、作業に入っている領民の意見は取り入れてきた。

休憩もこまめに入れているし、急な休みが出ても作業が止まらないよう、人手も少し厚めに置いていた、なのに。


「そこは皆、ありがたがっております。ですが、家を空けられるかどうかは、また別の話ですな」


「……どういうこと?」


「すぐには決められぬ家が多いからです」


「畑の都合?」


「それもあります」


彼は頷いた。


「女衆が外へ出るとなれば、家のことを誰が回すか決めねばなりません。子のいる家なら、なおさらです」


「子ども……」


思わず、その言葉を繰り返す。


「そういう家は多いの?」


「おりますな。働く気はあっても、子を見てくれる者がおらねば出て来られません」


「そう……」


領民のことを少しは分かったつもりでいた。

けれど、作業場に来られる人たちの事情しか、私はまだ見ていなかった。


私は帳面へ視線を落とし、端を指先でなぞった。


そういう家ほど、少しでも収入が増えれば助かるはずなのに。


ふと、母のいた頃のことを思い出す。


幼い頃、母はいつも忙しかった。

私はそばで本を開くか、侍女に絵本を読んでもらっていた。


私は顔を上げた。


「……なら、連れて来られるようにすればいいのでは?」


「と、申しますと?」


「作業場のそばに、囲いを作るの」


言いながら、頭の中で形を追う。


「危ない道具から離した場所に。そこで誰かが見ていれば、選別や包みくらいなら母親も手を動かせるでしょう?」


相手をしてもらえなくても、姿が見えれば互いに安心するのではないか。


古参はすぐには答えず、四棟目とその脇の空いた場所を見比べた。


「……乳飲み子以外なら、来られる家は確かに増えますな」


「本当?」


「ええ。見守りなら、座って子を見るだけでもできる年寄りがおります」


私は空き地へ目を向けたまま、小さく息を呑んだ。


「……それなら、見てくれる人にも役目を渡せるわね」


「半日でも出られる女衆は増えるはずですな」


私は四棟目の横の空き地を見た。


「どんな囲いなら連れて来やすいか、子どものいる女衆に聞いてちょうだい」


古参は頷いた。


「承知しました」



仮面舞踏会の当日、私はいつもより早く支度部屋へ入った。


寝台の上には、事前に選んでおいたドレスが広げられている。

姉から譲られたドレスから、余分な飾り紐を外したものだった。


袖口のふくらみも、侍女に頼んで少しだけ詰めてもらっている。

そうすると、もとの甘さが薄れ、形だけがすっきりと残った。


「こちらでよろしいですか」


侍女が背中の留めを整えながら尋ねる。


「ええ。ありがとう」


鏡の前に立つと、見慣れたはずのドレスが、少しだけ違って見えた。


「……前より、ずっと着られている感じがしないわね」


背中の留めを侍女が整えていると、不意に扉が軽く叩かれた。


「入るわよ」


返事を待つより先に、姉が顔を覗かせる。


「あら……。そのドレス、少し変えたのね」


「はい。飾りを外して、少しだけ詰めてもらいました」


姉は近づいて、胸元と袖口をひと目見る。


「その方がいいわ。あのままだと、あなたには甘すぎたもの」


思わず私は鏡越しに姉を見た。


姉はすぐに視線を仮面へ移す。


「仮面舞踏会は、最初の立ち方でだいたい決まるわ。入ってすぐ立ち止まらないこと」


「……はい」


「あと、きょろきょろしないこと。それだけで慣れていないのが分かるから」


そう言ってから、姉は少しだけ口元を和らげた。


「まあ、今夜のあなたなら……前よりは見られるんじゃない」


それだけ言うと、姉はくるりと踵を返す。


「ありがとうございます、お姉様」


返した声に、姉は振り向かないまま手だけを軽く振った。


「お嬢様、そろそろお時間です」


侍女の声に、私は小さく息を吸った。


「……お願い」


仮面をそっと顔へ当ててもらい、私は静かに部屋を出た。

11章はここまでになります。

お読みくださり、ありがとうございます。


連載中は執筆を優先するため、感想への個別のお返事が難しくなっており、申し訳ございません。

いただいた感想は、いつも大切に読ませていただいておりますm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
 エリナさんのリンゴ関連製品、砂糖の度合いで客層が絞られ気味ながら、ある程度の需要を維持しつつあるようですね。ビンに施した飾りも好評の様で、よかったです。   託児所に類似した空間の確保も、良き案か…
姉、良いアシストしてる やはり味方なのか?
「職場内保育所」いいですね。事業展開や商品開発の部分はとても興味深いです。同時に仮面舞踏会への楽しみや不安、これからの展開に期待しています。
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