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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
九章

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第7話

高い天井から吊るされた燭台の灯りが、磨かれた床にやわらかく落ちている。

壁際では夫人たちが扇を手に談笑し、中央では音楽に合わせて男女がゆるやかに踊っていた。


広間へ足を踏み入れた瞬間、いくつかの視線がこちらへ向いたが、私は背筋を伸ばしたまま、足を止めずに進む。


私は小さく息を吸い、会場を見渡す。


――まずは、落ち着かないと。


そう言い聞かせながら、私は人の流れを邪魔しない壁際へそっと身を寄せた。


「失礼」


振り向くと、落ち着いた雰囲気の夫人が立っていた。


「あなた、先ほど伯爵にご挨拶していた方ね。初めてお見かけすると思って」


私は裾をつまみ、軽く一礼する。


「リュークハルト家のエリナと申します」


「あら、リディア嬢の……」


「はい、妹です」


夫人は小さく頷いた。


「わたくしは、ブリュノー伯爵夫人と申しますの。あなた、夜会は初めて?」


「いえ、今回で三度目です」


「三度目?」


夫人は少しだけ目を丸くした。


「そうは見えなかったわ」


私は小さく首を傾げる。


「……そうでしょうか」


「ええ。落ち着いていらしたもの」


夫人は扇を閉じ、私をもう一度見た。


「ヴァルクレイン伯爵家とは、お知り合いなの?」


「初めての夜会がヴァルクレイン伯爵家でして、そのときに大変お世話になりました」


夫人は一瞬だけ目を細めた。


「そう……なるほど。それで、今夜こうしてお招きがあるのも頷けるわ」


「まだ不慣れですが……」


「そうは見えないわね。伯爵夫人は、人を見る目が厳しい方よ」


夫人の口元がわずかに緩む。


「その方が気にかけるなら、あなたには何かあるのでしょうね」


私は少しだけ言葉を探し、それから静かに答えた。


「過分なお言葉です」


夫人は扇を軽く揺らした。


「ところで、今夜贈り物をお持ちだったでしょう。干し林檎だと聞こえた気がしたのだけど」


「……はい。領地で作っているものです」


「最近、どこかの茶会で話題になっていた気がするのよ」


私は思わず瞬きをした。


「そうなのですか?」


「ええ。あとで評判を聞くのが楽しみだわ」


そう言って夫人はやわらかく微笑み、別の客に呼ばれてその場を離れていった。


――やはり、見ている人は見ているのね。


そう思った、その直後だった。


「あの、少しよろしいかしら」


顔を上げると、年の近い令嬢が立っていた。


思わず胸が小さく跳ねる。


――初めて、同世代の令嬢に声をかけられた。


「突然ごめんなさい」


「いえ」


「そのドレス、とても素敵だと思って」


私は一瞬言葉に詰まり、それから微笑んだ。


「ありがとうございます」


「どちらの仕立て屋なの?」


「贈り物なんです」


「まあ、そうなのですね」


令嬢が目を輝かせる。


その会話を聞いていたのか、隣にいた別の令嬢が近づいてきた。


「色もとても綺麗ですわ」


「本当。夜会の灯りに映える色ね」


気づけば、小さな輪ができるほどに令嬢たちが集まっていた。


私は驚きながらも、丁寧に礼をする。


「ありがとうございます。皆様のお召し物も、とても素敵ですね。季節に合うお色が多くて、見ているだけで華やぎます」


令嬢たちの笑い声が小さく弾けた。


そのあとも自然に会話が続き、私はほっと息をついた。


「……皆様は、夜会の贈り物にはどのようなものをお持ちになるのですか?」


「そうですわね……持ってくるなら、焼き菓子や砂糖菓子が多いかしら。けれど、毎回というわけではありませんわ」


「ええ。親しいお家でしたり、お礼を兼ねる時でしたり……そういう時はございますけれど」


「手土産なら、お茶会のほうが多いわね。茶葉や香油をお持ちすることもありますわ」


なるほど、と胸の内でそっと反芻する。


砂糖菓子や香油――どちらも、華やかな彼女たちによく似合うと思った。


そのときだった。


「楽しそうですね」


落ち着いた声がかかる。


振り向くと、若い貴族の青年が立っていた。


令嬢たちが一斉にそちらを見る。


「失礼。お話の途中でしたか」


「いいえ」


一人の令嬢がくすりと笑う。


「装いや今夜の贈り物のお話をしていましたの」


「なるほど。確かに、目を引く装いだ」


私は軽く礼をした。


「ありがとうございます」


青年は軽く一礼した。


「申し遅れました。ハーゼルベルク子爵家のルーカスと申します」


私は裾をつまみ、礼を返す。


「リュークハルト家のエリナと申します」


「リュークハルト家。初めてお見かけしますね」


「こうした場に出るようになったのが、まだ最近でして」


「そうでしたか。ですが、そうは見えませんでしたね」


青年は、そこで初めて少しだけ表情を変えた。


「エリナ嬢の今夜の贈り物、領地のものだそうですね」


令嬢の一人が笑う。


「干し林檎ですって」


「ほう、領地の特産ですか?」


「いえ、まだ作り始めたばかりです」


「なるほど。領地のことにも関わっておられる?」


「……ほんの少し関わっているだけです」


青年は少しだけ笑った。


「“ほんの少し”で、夜会の話題になる贈り物は作れませんよ」


――う。


鋭い。


さらりと答えただけだったのに、急に見透かされたような気がした。


「いえ、その……」


言葉を探していると、別の青年がこちらへ歩み寄ってきた。


「何の話です?」


「領地のお話ですわ」


「干し林檎の贈り物だそうです」


「ほう、領地の。興味深いですね」


私は小さく息を整えた。


――これは、話を広げる機会かもしれない。


そう思った、そのときだった。


「あら」


柔らかな声が落ちる。


令嬢たちが一斉に振り向いた。


そこにはヴィオラが立っていた。


「楽しそうなお話をしているのね」


扇を手に、穏やかな笑みを浮かべていた。

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 ブリュノーさんから振る舞いの落ち着きを評価されただけでなく同世代の人からも注目されるエリナさん。  しかし、スイーツなどの話で盛り上がる女性陣の話に割って入れるルーカスさんや、恋のライバルか、そうで…
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