第2話
グラーフ伯爵夫人の屋敷は、アーネストの屋敷からそう離れていない場所にあった。
同じ並木道の先、少し奥まった区画に建つ石造りの邸宅は、なぜか目を引いた。
淡い乳白色の石壁に、大きな窓。庭には季節の花が整然と植えられ、どこを見ても手が行き届いているのが分かる。
馬車がゆるやかに止まる。
私は包みを抱え直し、小さく息を整えた。
玄関扉が開くと、侍女が一礼した。
「ようこそお越しくださいました、エリナ様」
案内されるまま屋敷の中へ進む。
磨き上げられた石床に、やわらかな光が落ちていた。
壁際には白磁の花器と小ぶりの風景画が等間隔に飾られ、ひとつひとつがきちんと選ばれているように見える。
通された客間も、明るく静かだった。
窓辺には薄いレースの幕が揺れ、丸卓の上には白地に銀の縁取りを施した茶器が整えられている。
「いらっしゃい、エリナ嬢」
振り向くと、グラーフ伯爵夫人が微笑んでいた。
私はすぐに裾をつまんで礼をする。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらなくていいのよ」
伯爵夫人はやわらかく目を細めた。
「あなたとゆっくりお話ししたかったの」
その言葉に、胸の奥が少しだけほどける。
「ありがとうございます」
私は抱えていた包みを差し出した。
「先日は茶会でも商会の件でもお世話になりましたので、ささやかですがお礼にお持ちしました」
「あら、気を遣わなくてもよかったのに」
伯爵夫人はそう言って、侍女に包みを受け取らせた。
「いいえ。その……ドレスまでご用意いただきましたので、きちんとお礼を申し上げたくて」
「そんなこと、気にしていたの?」
言葉に詰まる。
気にしないはずがない。
あれだけの仕立てを立て替えてもらったのだから。
「……はい」
「まあ。あなたがきちんと来てくれただけで、十分よ」
その柔らかな返しに、張っていた気持ちが少し緩む。
「中は何かしら」
「紅茶です……お菓子に合いそうなものを選びました」
「あら、素敵。そういう気遣いは嬉しいものよ。
それで――商会はどうだったの?」
「干し林檎を見ていただいて、仮契約という形にはなりました」
「まあ、早かったのね」
「継続するかはまだ様子見ですが……それでも、お話はいただけました」
「十分だわ。最初の一歩としては上出来よ」
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げたあと、私はもうひとつの包みを差し出した。
「それと……もう一つ、持ってきたものがあるんです」
「あら、何かしら」
「干し林檎の……試作したジャムです」
「まあ」
伯爵夫人の目が、はっきりと輝いた。
私は包みを開き、小瓶に詰めたジャムを差し出した。
伯爵夫人は瓶を手に取り、光にかざす。
「色も悪くないわね」
蓋を開け、香りを確かめる。
「……ふうん」
小さく息をつき、侍女に視線を送った。
「スプーンを」
用意された銀のスプーンで、ひと匙すくう。
ゆっくりと口に運び――わずかに目を細めた。
「いいわね。甘さも、重すぎない」
もう一口、確かめるように味わう。
「干し果実の風味も残っているわ。これ、贈答に向くわよ」
その一言に、息が止まる。
「茶会の手土産や、季節の贈り物にちょうどいいわ」
伯爵夫人はそう言って、もう一度ジャムへ目を落とした。
「売り方を間違えなければ、十分に通るわね」
私はぎゅっと手を握った。
「ありがとうございます……」
「次の茶会で使ってもいいかしら」
「は、はい」
――次の茶会。
あの場に出させてもらえる。
そう思っただけで、現実味が一段増した気がした。
「なら少し数を揃えましょう。形も、もう少し整えるといいわ」
「はい」
言葉を返しながら、ふと――別のことがよぎる。
姉の声。
応接間での、あのやり取り。
視線を膝の上の手に落とした。
……聞いても、いいのだろうか。
こんなことを、伯爵夫人に。
けれど――他に、相談できる相手がいない。
ゆっくりと顔を上げた。
「……あの」
伯爵夫人の視線が、すぐにこちらへ向く。
「何かしら」
「少し……お聞きしても、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「結婚の……支度金や、持参金について、なのですが」
伯爵夫人の表情が、わずかに変わった。
「お姉さんのご縁談かしら」
「はい……」
息を軽く吸う。
「結婚には……何が必要なのか、よく分からなくて」
一度、言葉が途切れる。
「支度金や、持参金も……どのくらい用意するものなのか。そういうことを、きちんと聞いたことがなくて……」
伯爵夫人はすぐには答えなかった。
ほんの一瞬だけ、視線がやわらぐ。
「……そうね。あなたは、そういうことを教わる機会がなかったものね。分からなくて当然よ」
その言葉に、膝の上に置いていた手の力がゆるむ。
伯爵夫人は指先でカップの縁をなぞりながら、続けた。
「結婚に必要なものは、大きく分けて二つ。家同士の釣り合いと、体裁ね」
視線がこちらに戻る。
「持参金は、その体裁を整えるためのものよ」
「……体裁」
「ええ。この家はこれだけ用意できます、と示すためのもの。相手に対する誠意でもあるし、家の格の見せ方でもあるわ」
「家の格……」
「額は決まっているわけではないけれど……相手の家と釣り合う程度、というのが基本ね」
姉は、いい家柄だと言っていた。
けれど――うちに、それと釣り合うだけの余裕があるのだろうか。
「ただし、無理をしてまで整えるものでもないわ。その後が続かなくなるもの」
その視線は、やわらかいまま外さない。
「……少し、やり繰りに無理が出ているのかもしれないわね」
私は何も言えず、目を伏せた。
「――失礼」
控えめなノックのあと、扉の向こうから低い声がした。
胸が、ひとつ跳ねる。
伯爵夫人が扉へ向く。
「入っていいわよ」
ゆっくり扉が開く。
入ってきたのは、アーネストだった。




