第8話
馬車に揺られながら、私は窓の外へ視線を向けた。
「……三棟目を建てて正解だったな」
今のところ、干し林檎である程度の量は揃えられそうだ。
あとは品質。
そこが安定するなら、四棟目も視野に入る。
そうなれば、人手も必要になるだろう。
「貴族向け、庶民向け、パン工房向け……それに、規格外の行き先も考えないと」
指を折りながら、頭の中で整理していく。
王都商会との取引が安定しそうなら、規格外も引き取ってもらえないか相談してみよう。
それでも余るなら――
「……ジャムも、ありかもしれないわね」
サラさんもすすめてくれた。
規格外の実の使い道として。
贈答用にもできるし、茶会向けに回すこともできるかもしれない。
隣に置いた包みに目を落とす。
グラーフ伯爵夫人への手土産だ。
「……私、本当にいろんな人に助けてもらってる」
カイルに。
パン工房の夫妻に。
そして――。
私はそっと息を吐いた。
一人では、ここまで来られなかった。
いつか。
いつか、返していけたらいいな。
そう思ったところで、馬車が緩やかに止まった。
屋敷に着いたのだ。
扉が開き、降り立つと、執事が一礼して出迎える。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま。お父様は?」
尋ねると、執事はわずかに視線を泳がせた。
「旦那様は、その……皆様と応接間に」
「皆様?」
「お嬢様、お荷物は私が――」
どこか歯切れが悪い。
私は小さく首を傾げながら、そのまま屋敷の中へ足を進めた。
廊下を歩いていくと、前方から人の声が聞こえてくる。
応接間の扉が閉まりきっておらず、隙間から声が漏れていた。
「――話は進んでるのよ」
姉の声だった。
いつもより鋭く、抑えているぶんだけ余計に張りつめて聞こえる。
「先方はきちんと打診してくれてるの。こちらがいつまでも曖昧なままでいたら、かえって失礼でしょう」
「姉さん、話が早すぎる」
兄の低い声が返る。
「向こうにその気があるのと、こっちが応じられるかは別だ」
「何が別なの?」
姉がぴしゃりと言い返した。
「良縁なのは確かでしょう。年齢を考えても、これ以上引き延ばす理由なんてないわ」
「そういう話じゃない」
兄の声が低く沈む。
「結婚には金がかかる。支度もあるし、持参金だって必要だ」
――結婚。
胸がどくんと鳴った。
「今は新しく大きな金を動かせる時期じゃない」
兄は抑えた声のまま続けた。
「領地のほうも、ようやく形になりかけてるところだ。今はそっちを崩せない」
息が詰まった。
「……そこは、お父様が考えることでしょう」
姉の声音は硬い。
「私は縁談の話をしてるの。条件のいい話が来てるのに、逃す理由がないって言ってるだけ」
「簡単に言うなよ」
兄が吐き捨てるように言った。
「今の家の状況で、そんな余裕があると思ってるのか?」
「もう少し穏やかに話せんのか」
そこで父の声が割って入った。
「急いで決めることでもない。少し時間を置いて――」
「またそれ?」
姉の声が鋭くなる。
「前からずっとそうじゃない。考える、様子を見る、もう少し待てって。それで何か進んだことがあった?」
父はすぐには答えなかった。
私は息を殺し、そっとその場を離れようとした。
けれど、靴先が廊下の花台の脚にかすかに触れた。
小さな音が、静まり返った廊下にやけに大きく響く。
「――誰?」
姉の声が飛ぶ。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
応接間の扉が開き、姉がこちらを見た。
「エリナ……いつからいたの?」
「……今、帰ったところです」
そう答えると、姉は一瞬だけ私の顔を見て、すぐに視線を逸らした。
「立ち聞きなんて、感心しないわね」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ――」
「なら、気にしなくていいわ」
姉は遮るように言った。
「家の話よ。あなたが気にすることじゃないの」
その言葉に、胸の奥が冷たくなる。
何も言えないまま立ち尽くす私の横で、兄がこちらを見た。
その目は静かだったけれど、余計なことはするなと言われたような気がした。
◆
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
応接室に通されたヴィオラは、静かに頭を下げた。
「先日の茶会では、大変お世話になりました」
「礼を言う相手が違うだろう。主催は伯爵夫人だ」
アーネストが淡々と返すと、ヴィオラはわずかに微笑んだ。
「ええ。ですから、グラーフ伯爵夫人には改めてご挨拶に伺うつもりです。場を整えてくださった方にも、きちんとお礼をと思いまして」
ヴィオラは一拍置いた。
「伯爵夫人も、とても楽しそうにしていらっしゃいましたわ」
視線が、まっすぐ向けられる。
「それに――」
「何だ」
「あなたのことを、あそこまで気にかけていらっしゃいましたね」
「……そうか」
「ええ」
ヴィオラは穏やかに続ける。
「良いご縁があればと、そうお考えのようにお見受けしました」
「関係ない」
アーネストは短く返した。
「そうかもしれません」
ヴィオラはあっさりと頷く。
「けれど、周囲がそう望んでいるのであれば……無視し続けるのも難しいのではありませんか?」
アーネストは答えなかった。
わずかな沈黙が落ちる。
「望まれて決めるものでもない」
「そうでしょうか」
ヴィオラは首を傾げた。
「少なくとも、きっかけにはなりますわ」
「……用件はそれだけか」
「ええ。本日はそれだけです」
ヴィオラは立ち上がった。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
深く一礼する。
その所作は、非の打ち所がなかった。
扉が閉まり、静けさだけが残った。
お読みくださりありがとうございます。
8章はこれで終わりになります。
次回は4月11日20時からになります。




