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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
八章

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第6話

商会の建物を出たあと、私は少しだけ足を止めた。


胸元の財布を、そっと押さえる。


――今日は少し余裕がある。


「……何がいいかしら」


小さく呟いて、私は通りの向こうへ視線を向けた。


ほどなくして見つけたのは、落ち着いた構えの茶葉店だった。


濃い木枠の窓に、金文字の看板。

扉には真鍮の把手がつき、深い色に磨かれた木肌がやわらかく光を返している。


扉を開けると、乾いた茶葉の香りがふわりと鼻をくすぐった。


棚には缶や小箱が整然と並び、香りや産地を書いた札が添えられていた。


私は少し迷ってから、店の者に声をかける。


「あの……贈り物にしたいのですが」


「かしこまりました。どのようなお相手でしょう」


「二つお願いしたくて……一つは、甘いものにも合うものを」


店の者はすぐに頷いた。


「でしたら、こちらはいかがでしょう。香りは強すぎず、しっかりした味わいで、菓子にも合わせやすい茶葉です」


差し出された缶を見つめる。


深い青の缶に、細い金の縁取りが入っていた。

派手ではないのに、きちんと上等に見える。


「もう一つは、パンに合う紅茶がいいのですが」


店の者は少し考えてから、別の缶を取り出した。


「でしたら、こちらを。香りはやわらかめですが、後味が軽く、粉ものにも合わせやすい茶葉です」


深い緑の缶に、銀の細工が入っていた。


「では、その二つを」


包んでもらった茶葉を受け取り、私は小さく息を吐いた。


その足で、パン工房夫人の屋敷へ向かった。


王都の通りを抜け、案内された先で門番に名を告げる。


ほどなくして侍女が現れ、静かに一礼した。


「どうぞ、こちらへ」


屋敷の中へ通される。


前に訪れた時よりも、不思議と肩の力が抜けていた。

あの夫人に会えると思うと、それだけで少し気持ちが落ち着く。


通された応接間でしばらく待つと、やがて軽やかな足音が近づいてきた。


「お久しぶりね」


「ご無沙汰しております」


私は立ち上がって礼をした。


それから、抱えていた包みを差し出す。


「あの……ほんの気持ちですが、お礼に」


夫人は目を細める。


「まあ、気を遣わなくてもよかったのに」


「いえ、いつもお世話になっておりますので」


夫人は包みを侍女に預けながら、やわらかく笑った。


「ありがとう。そういう律儀さは嫌いじゃないわ」


勧められるまま腰を下ろし、私は少し身を乗り出した。


「今日は、お礼も兼ねて伺ったのですが……その、王都での売れ行きが気になって」


「まあ、そうでしょうね」


夫人はくすりと笑った。


「まず干し無花果の方だけれど、あちらはやっぱり強いわ」


指先でカップの縁をなぞりながら続ける。


「季節ものとして出したのが良かったの。珍しさもあるし、少し贅沢なお菓子として見せやすいでしょう?」


「貴族の方々には、やはり評判が……?」


「ええ。奥方方には受けがいいわ。それに、懇意にしている裕福な商家の方たちにも」


夫人は楽しそうに目を細めた。


「甘みがしっかりしていて、見た目も華やか。お茶会のお供にも出しやすいのよ」


「そうなのですね……」


「ただし、あれは“特別な時のもの”ね」


「特別な時?」


「珍しいからこそ売れるけれど、毎日食べるものにはなりにくいわ。値段も張るし、数も限られるもの」


「そうですね……でも、領地の品として印象づけられたのでしたら嬉しいです」


「でも、干し林檎は違うわ」


「え?」


「こちらは広がり方が別ね」


夫人はカップを置いた。


「最初は珍しさで手に取る方も多かったけれど、一度食べた方がまた買いに来るの」


その言葉に、胸がどくんと跳ねる。


「……本当ですか」


「ええ。本当よ。くどくないし、毎日でも食べやすいのよね」


「……」


「それに、うちの職人がかなり気に入っているわ」


「職人さんが? どうしてですか?」


「選別も丁寧だし、切り方も揃っている。水分の抜け具合もかなり見ているでしょう?」


私は思わず目を瞬かせた。


「分かるのですか……?」


「分かるわよ。焼けばなおさらね。雑な品は、生地にのせた時にすぐ分かるそうよ」


その言葉に、ほっとする。


夫人は続けた。


「前に仕入れていたものより、出来がずっと安定しているそうよ。だから、パンにも焼き菓子にも使いやすいって」


「よかった……」


それは、ほとんど息のような声だった。


夫人はそんな私を見て、穏やかに微笑んだ。


「ええ。だから、こちらは育てがいがあると思うの」


「育てがい……」


その言葉は、商会で聞いた話とも重なった。


――継続できるかどうかは、その後です。


私は静かに息を吸った。


「……ただし、育つには条件があるけどね」


私は思わず姿勢を正した。


「品質を落とさないこと。売れ始めた時ほど、そこを崩すと駄目よ」


「はい」


「あなた、そこは分かっている顔をしてるわね」


夫人が少し笑う。


私はほんの少し迷ってから答えた。


「茶会で、気づきました」


「何に?」


「……真似されるかもしれない、と」


夫人の目が、わずかに細くなる。


私は続けた。


「だからこそ、うちの領地でしか作れない質を守らないといけないと……思ったのです」


しばらくの沈黙のあと、夫人はふっと笑った。


「ええ。それが正しいと思うわ」


その一言が、静かに胸に落ちる。


「ありがとうございます……」


夫人は楽しそうに紅茶を口にした。


「泊まっていくのでしょう?」


「え?」


「もう夕方でしょう。今から戻るのも大変だもの」


私は一瞬、言葉に詰まる。


「で、ですが……」


「遠慮しなくていいの」


夫人はあっさりと言った。


「あなたには、まだ話したいこともあるしね」


「ありがとうございます……お言葉に甘えて……」


そう言った途端、夫人がふと首を傾げた。


「……というか、侍女は?」


「え?」


「まさか、つけずに来たの?」


「……はい」


夫人は額に手を当てた。


「まあ……あなた、本当にそういうところ無頓着なのね」


「その……王都に来るだけですし……」


「来るだけ、じゃないのよ」


夫人はきっぱりと言った。


「未婚の令嬢が、侍女もつけずに外で泊まるなんて」


私は小さく肩を縮めた。


「すみません……」


すると夫人は、小さく息をついてから、ふっと笑った。


「いいえ。叱っているわけじゃないの。ただ、そういうことを気にする人は多いのよ」


「はい……」


夫人はカップを置く。


「今回はうちで預かるから構わないわ。でも次からは、誰かつけなさい」


「……はい」


夫人はそんな私を見て、くすりと笑った。


「本当に、放っておけないわね」

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― 新着の感想 ―
>「本当に、放っておけないわね」 他人サマにはそう見えるのに。 姉がドレスの支払いを自分でしているとは思えず。 妹のためのドレスが仕立てられたのは先日の伯爵夫人の口利きが初めての様子。 しかも遅れは…
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