第6話
商会の建物を出たあと、私は少しだけ足を止めた。
胸元の財布を、そっと押さえる。
――今日は少し余裕がある。
「……何がいいかしら」
小さく呟いて、私は通りの向こうへ視線を向けた。
ほどなくして見つけたのは、落ち着いた構えの茶葉店だった。
濃い木枠の窓に、金文字の看板。
扉には真鍮の把手がつき、深い色に磨かれた木肌がやわらかく光を返している。
扉を開けると、乾いた茶葉の香りがふわりと鼻をくすぐった。
棚には缶や小箱が整然と並び、香りや産地を書いた札が添えられていた。
私は少し迷ってから、店の者に声をかける。
「あの……贈り物にしたいのですが」
「かしこまりました。どのようなお相手でしょう」
「二つお願いしたくて……一つは、甘いものにも合うものを」
店の者はすぐに頷いた。
「でしたら、こちらはいかがでしょう。香りは強すぎず、しっかりした味わいで、菓子にも合わせやすい茶葉です」
差し出された缶を見つめる。
深い青の缶に、細い金の縁取りが入っていた。
派手ではないのに、きちんと上等に見える。
「もう一つは、パンに合う紅茶がいいのですが」
店の者は少し考えてから、別の缶を取り出した。
「でしたら、こちらを。香りはやわらかめですが、後味が軽く、粉ものにも合わせやすい茶葉です」
深い緑の缶に、銀の細工が入っていた。
「では、その二つを」
包んでもらった茶葉を受け取り、私は小さく息を吐いた。
その足で、パン工房夫人の屋敷へ向かった。
王都の通りを抜け、案内された先で門番に名を告げる。
ほどなくして侍女が現れ、静かに一礼した。
「どうぞ、こちらへ」
屋敷の中へ通される。
前に訪れた時よりも、不思議と肩の力が抜けていた。
あの夫人に会えると思うと、それだけで少し気持ちが落ち着く。
通された応接間でしばらく待つと、やがて軽やかな足音が近づいてきた。
「お久しぶりね」
「ご無沙汰しております」
私は立ち上がって礼をした。
それから、抱えていた包みを差し出す。
「あの……ほんの気持ちですが、お礼に」
夫人は目を細める。
「まあ、気を遣わなくてもよかったのに」
「いえ、いつもお世話になっておりますので」
夫人は包みを侍女に預けながら、やわらかく笑った。
「ありがとう。そういう律儀さは嫌いじゃないわ」
勧められるまま腰を下ろし、私は少し身を乗り出した。
「今日は、お礼も兼ねて伺ったのですが……その、王都での売れ行きが気になって」
「まあ、そうでしょうね」
夫人はくすりと笑った。
「まず干し無花果の方だけれど、あちらはやっぱり強いわ」
指先でカップの縁をなぞりながら続ける。
「季節ものとして出したのが良かったの。珍しさもあるし、少し贅沢なお菓子として見せやすいでしょう?」
「貴族の方々には、やはり評判が……?」
「ええ。奥方方には受けがいいわ。それに、懇意にしている裕福な商家の方たちにも」
夫人は楽しそうに目を細めた。
「甘みがしっかりしていて、見た目も華やか。お茶会のお供にも出しやすいのよ」
「そうなのですね……」
「ただし、あれは“特別な時のもの”ね」
「特別な時?」
「珍しいからこそ売れるけれど、毎日食べるものにはなりにくいわ。値段も張るし、数も限られるもの」
「そうですね……でも、領地の品として印象づけられたのでしたら嬉しいです」
「でも、干し林檎は違うわ」
「え?」
「こちらは広がり方が別ね」
夫人はカップを置いた。
「最初は珍しさで手に取る方も多かったけれど、一度食べた方がまた買いに来るの」
その言葉に、胸がどくんと跳ねる。
「……本当ですか」
「ええ。本当よ。くどくないし、毎日でも食べやすいのよね」
「……」
「それに、うちの職人がかなり気に入っているわ」
「職人さんが? どうしてですか?」
「選別も丁寧だし、切り方も揃っている。水分の抜け具合もかなり見ているでしょう?」
私は思わず目を瞬かせた。
「分かるのですか……?」
「分かるわよ。焼けばなおさらね。雑な品は、生地にのせた時にすぐ分かるそうよ」
その言葉に、ほっとする。
夫人は続けた。
「前に仕入れていたものより、出来がずっと安定しているそうよ。だから、パンにも焼き菓子にも使いやすいって」
「よかった……」
それは、ほとんど息のような声だった。
夫人はそんな私を見て、穏やかに微笑んだ。
「ええ。だから、こちらは育てがいがあると思うの」
「育てがい……」
その言葉は、商会で聞いた話とも重なった。
――継続できるかどうかは、その後です。
私は静かに息を吸った。
「……ただし、育つには条件があるけどね」
私は思わず姿勢を正した。
「品質を落とさないこと。売れ始めた時ほど、そこを崩すと駄目よ」
「はい」
「あなた、そこは分かっている顔をしてるわね」
夫人が少し笑う。
私はほんの少し迷ってから答えた。
「茶会で、気づきました」
「何に?」
「……真似されるかもしれない、と」
夫人の目が、わずかに細くなる。
私は続けた。
「だからこそ、うちの領地でしか作れない質を守らないといけないと……思ったのです」
しばらくの沈黙のあと、夫人はふっと笑った。
「ええ。それが正しいと思うわ」
その一言が、静かに胸に落ちる。
「ありがとうございます……」
夫人は楽しそうに紅茶を口にした。
「泊まっていくのでしょう?」
「え?」
「もう夕方でしょう。今から戻るのも大変だもの」
私は一瞬、言葉に詰まる。
「で、ですが……」
「遠慮しなくていいの」
夫人はあっさりと言った。
「あなたには、まだ話したいこともあるしね」
「ありがとうございます……お言葉に甘えて……」
そう言った途端、夫人がふと首を傾げた。
「……というか、侍女は?」
「え?」
「まさか、つけずに来たの?」
「……はい」
夫人は額に手を当てた。
「まあ……あなた、本当にそういうところ無頓着なのね」
「その……王都に来るだけですし……」
「来るだけ、じゃないのよ」
夫人はきっぱりと言った。
「未婚の令嬢が、侍女もつけずに外で泊まるなんて」
私は小さく肩を縮めた。
「すみません……」
すると夫人は、小さく息をついてから、ふっと笑った。
「いいえ。叱っているわけじゃないの。ただ、そういうことを気にする人は多いのよ」
「はい……」
夫人はカップを置く。
「今回はうちで預かるから構わないわ。でも次からは、誰かつけなさい」
「……はい」
夫人はそんな私を見て、くすりと笑った。
「本当に、放っておけないわね」




