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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
八章

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第3話

アーネストが部屋に入った瞬間、

室内の空気がわずかに変わる。


伯爵夫人が小さく目を細める。


「ちょうどいいところに来たわね」


アーネストは軽く一礼した。


「お話の最中、失礼いたします」


そう言いながら室内へ進む。

その視線が、ほんの一瞬だけこちらに触れた。


胸の奥が、わずかに揺れる。


アーネストはすぐに何事もなかったかのように、伯爵夫人へ向き直る。


そのときヴィオラがゆるやかに立ち上がった。


「ごきげんよう、アーネスト様」


クラウゼン夫人も微笑む。


「ご無沙汰しておりますわ」


アーネストは改めて一礼した。


「ごきげんよう」


その視線は一度、場をゆるやかに巡った。


――ヴィオラへも、クラウゼン夫人へも、

等しく向けられたものだった。


伯爵夫人がくすりと笑う。


「せっかくだもの、少しだけいらっしゃいな」


アーネストはわずかに苦笑した。


「本来は顔を出すだけのつもりだったのですが」


そう言いながら、差し出された皿から一つ手に取る。


ヴィオラがやわらかく口を開く。


「奥様のお気に入りですのよ」


アーネストは小さく頷き、一口だけ口にした。


静かに味わい、わずかに目を細める。


「……甘さが綺麗ですね」


「そうでしょう」


伯爵夫人が満足そうに微笑む。


アーネストは菓子を食べ終えると、手元の皿を侍女へ返した。


「失礼いたします。少し立て込んでおりまして」


軽く一礼する。


その視線が、去り際にほんの一瞬だけこちらをかすめた。


思わず、指先に力が入る。


扉が閉まり、

一人の夫人がくすりと笑った。


「相変わらず、きちんとしていらっしゃること」


ヴィオラはカップを傾けながら、静かに微笑んだ。


「本当に、変わらずでいらっしゃいますわね」


別の夫人も頷く。


「ええ。落ち着いていらして」


「伯爵夫人も安心ですわね」


伯爵夫人が、ふっと笑った。


「家の中も、もう少し華やかになってほしいものですわ」


ヴィオラはわずかに目を伏せ、

ゆるやかに微笑んだ。


「そうなりましたら、きっと賑やかになるのでしょうね」


クラウゼン夫人が穏やかに続ける。


「奥方を迎えられたら、屋敷の空気もまた変わりましょうね」


――伯爵夫人も、

グラーフ伯爵のご結婚を望まれているのだ。


私はそのまま、

ぼんやりとカップを見つめた。


「ええ、本当に」


伯爵夫人はゆるやかに視線を巡らせる。


「良いご縁というものは、思いがけないところから繋がるものですものね」


――その視線が、ふとこちらに止まった。


私は思わず息を呑む。


すぐに伯爵夫人は何事もなかったかのように、

カップへと手を伸ばした。



茶会が終わり、客が少しずつ帰り始めたころ。


侍女たちが外套や手袋を整え、

見送りの支度が静かに進んでいく。


その中で、一人ひとりの夫人へ、

小さな包みが手渡されていた。


「まあ、これは?」


クラウゼン夫人が目を丸くする。


伯爵夫人が、ゆるやかに微笑んだ。


「本日はお越しいただきましたもの。

ささやかですが、帰りにお持ちいただこうと思って」


夫人たちが包みへ視線を向ける。


「先ほどの干し林檎ですの?」


ヴィオラがそう言うと、

伯爵夫人は小さく頷いた。


「ええ。せっかくだから、皆さまにもお持ち帰りいただこうかと」


「まあ、嬉しいこと」


「こういうの、ありそうでなかなかありませんわね」


「家でもいただけるなんて楽しみだわ」


やわらかな声が重なり、

私は思わず姉の後ろで指先を握った。


伯爵夫人は包みを受け取る夫人たちを見渡してから、

ふとこちらへ視線を向けた。


「皆さまにも喜んでいただけたようで、よかったわ」


「……はい。あの様なお声が聞けて、うれしいです」


「品がよかったからよ。自信になったかしら?」


私は一瞬、言葉を失った。


「本日はお招きいただき、ありがとうございました」


姉が一歩進み、優雅に礼をする。


「妹の品をこのように扱っていただき、心より御礼申し上げます」


私はその後ろで、慌てて頭を下げた。


「ありがとうございました……」


伯爵夫人はくすりと笑った。


「いいえ、こちらこそ」


それから、私へ視線を向ける。


「……思っていた以上に、面白いものを見せていただいたわ」


伯爵夫人は軽く頷くと、ふと後ろにいた夫人へ視線を送った。


その意図を受け取ったのか、

一人の夫人がやわらかく姉へ声をかける。


「リディア様、先ほどのお話の続き、少しよろしいかしら」


姉がそちらへ意識を向けた、その一瞬。


伯爵夫人は私へ半歩だけ近づいた。


「エリナ様、少しだけ、お話をよろしいかしら」


「は、はい……」


私は夫人に促され、廊下に面した窓辺へと少し移った。


人目はあるが、先ほどまでよりは声が届きにくい場所だった。


伯爵夫人は扇を指先で軽く閉じる。


「どうだったかしら」


「……とても緊張しました」


小さく笑う。


「ですが、奥様が気にかけてくださったので……落ち着いていられました」


少し目を伏せる。


「それだけで、十分にありがたくて」


伯爵夫人は、わずかに目を細めた。


「そう。

……あなたは、よくやっていたわ」


私は思わず顔を上げる。


「……ありがとうございます」


わずかに頬が熱くなるのを感じて、

視線を落とした。


伯爵夫人は、ふと扇を閉じた。


「あなた。今後も、続けるおつもり?」


一瞬、言葉に詰まる。


「……はい。できる限りは」


「でしたら――また声をかけなさい」


私は思わず目を見開いた。


「困ることがあれば、ね」


「……ありがとうございます」


私は深く頭を下げた。



廊下に出たとき。


向こうから歩いてくる人影に、思わず足が止まる。


――アーネストだった。


一瞬だけ視線が合う。


そのまますれ違うのかと思ったとき。


「エリナ嬢」


低い声に、思わず振り向く。


姉も足を止める。


アーネストは二人へ軽く一礼してから、私へ視線を向けた。


「手土産は受け取った」


「あ……」


「王都へ来る日が決まったら知らせろ」


思わず目を瞬く。


「迎えを出す」


「ですが――」


「以前も言ったはずだ」


私は小さく息を呑み、それから頷く。


「……はい。ありがとうございます」


アーネストの視線が一度だけ私の姿を辿った。


「……そのドレス」


「え……」


彼はわずかに間を置いてから言った。


「よく似合っているな」


思わず息が止まる。


アーネストはそれ以上は言わず、姉へも軽く会釈する。


「本日はお越しいただき、ありがとうございました」


姉が微笑み、礼を返す。


そのまま彼は歩き去っていった。

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― 新着の感想 ―
キュンキュンする!!!!><もどかしい、甘酸っぱい くぅ~。素敵な話。
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