表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
七章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/82

第5話

グラーフ伯爵夫人に手紙を出して二日後の昼。


私は自室で帳面を広げていた。


「乾燥小屋、増やしてもいいかな……」


ふと顔を上げる。


「……外が騒がしいような」


廊下を走る足音が聞こえた。


何かあったのだろうか。


その時、扉が叩かれる。


「お嬢様」


侍女の声だった。


「どうぞ」


扉が開く。


侍女は少し慌てた様子で言った。


「グラーフ伯爵夫人様がお見えです」


「……え?」


思わず固まる。


「伯爵夫人?」


私は椅子から立ち上がった。


「い、今?」


「はい。旦那様が応接間へご案内しております」


私は慌てて帳面を閉じた。


……手紙を出したけれど、どうしてわざわざ家に?


急いで部屋を出る。


応接間の前まで来ると、扉はすでに開いていた。


中から父の声が聞こえる。


「ようこそお越しくださいました、グラーフ伯爵夫人」


「急に押しかける形になってしまって、ごめんなさいね」


伯爵夫人の声音はいつも通りやわらかい。


だが父の声には、わずかな緊張が混じっていた。


「いえ、とんでもございません。まさかこのように直々にお越しいただけるとは思わず……」


「手紙をいただいたのだもの。返事だけで済ませるのも味気ないでしょう?」


「……何か、急ぎのご用件で?」


「ええ。少し」


その返しに、父の空気がわずかに固くなる。


けれど伯爵夫人は、すぐにくすりと笑った。


「そんなに身構えないでくださいな。叱りに来たわけではないのよ」


私は一度だけ息を整え、扉をくぐった。


部屋の中央に、伯爵夫人が座っている。

落ち着いた色のドレスに、いつもの柔らかな笑み。


そして――


その後ろに、見知らぬ女性が立っていた。

細長い箱を抱えている。


私は一瞬だけ目を瞬かせる。


「エリナ」


父がこちらに気づいた。


「伯爵夫人がお前に用がおありだ」


「は、はい」


私は慌てて歩み寄り、頭を下げる。


「本日はお越しいただきありがとうございます、グラーフ伯爵夫人」


伯爵夫人はにこにこと私を見ていた。


「エリナ嬢、丁寧なお手紙をありがとう」


私は顔を上げる。


伯爵夫人は軽く首を傾げた。


「ドレスの相談でしょう?」


「は、はい」


伯爵夫人は後ろを振り返った。


「仕立て屋を連れてきたわ」


「え……?」


「そんなもの、手紙で決める話ではないでしょう?」


父が少し驚いた顔をする。


「ドレス、でございますか?」


伯爵夫人は楽しそうに頷いた。


「ええ。それに、こちらの領地で干し林檎を作っていらっしゃるのでしょう?」


父が一瞬目を瞬かせる。


「茶会で少し紹介しようと思っているの。そのための装いよ」


父はようやく事情を理解したらしく、小さく息を吐いた。


「……そうでしたか」


まだ戸惑いは残っているようだったが、伯爵夫人は構わず柔らかく微笑む。


「せっかく良いものを作っているのですもの。見せ方まで整えた方がいいでしょう?」


父は数拍遅れて頷いた。


「ご配慮、痛み入ります」


伯爵夫人は満足そうに微笑んだ。


「エリナ嬢、クローゼットを見せてくださる?」


私は思わず父を見る。


父はまだ少し戸惑った顔をしていたが、やがて小さく頷いた。


「案内しなさい」


「……はい」


私は慌てて頭を下げた。


「こちらです」


伯爵夫人は楽しそうに立ち上がる。


仕立て屋も静かについてきた。


廊下へ出た瞬間、伯爵夫人が小さく笑う。


「楽しみだわ」


私は少しだけ緊張しながら、自室の扉を開けた。


部屋に入り、伯爵夫人は足を止めた。

ゆっくりと室内を見回す。


決して広くはない部屋。


しかも壁際の棚には帳面が並び、

机の上には書類が山のように積まれている。


私は思わず顔を赤くした。


「す、すみません……散らかっていて」


「いいえ」


伯爵夫人は首を横に振る。


「私はこういう部屋、嫌いじゃないわ」


そしてクローゼットの方を見る。


「むしろ納得したわ。服に気が回らないはずね」


伯爵夫人はクローゼットを開いた。


中を一目見て、一着取り出す。


濃い色のドレス。

胸元には小さなレースと細い飾りリボンがいくつもあしらわれている。


伯爵夫人はそれを少し持ち上げて眺めた。


「……お姉様のドレスね」


「え……?」


「濃い色味で、装飾が多いでしょう? 華やかな顔立ちの娘が着る服だわ」


私は思わず息を止める。


伯爵夫人はドレスを少し持ち上げたまま続けた。


「こういう服はね。着る人が服に負けないことが前提なの」


それから私を見る。


「あなたは違う。あなたは線がきれいな娘よ」


ドレスをそっと戻す。


「だから装飾は減らした方がいいわ」


仕立て屋が静かに頷いた。


「確かに」


マルグリット・ヴァルクレイン伯爵夫人にも、同じことを言われたのを思い出す。


――あなたは線がきれいな娘よ。


胸の奥が少しだけくすぐったくなる。


伯爵夫人はすでに仕立て屋の方を振り返っていた。


「さあ、仕事よ」


仕立て屋が一歩前へ出る。


伯爵夫人は私を見る。


「エリナ嬢、少し立ってちょうだい」


私は慌てて姿勢を正した。


仕立て屋が静かに私の周りを一周する。


肩、腰、背中。

視線だけで測るように見ていく。


伯爵夫人は腕を組み、少し離れて私を眺めた。


そして小さく頷く。


「やっぱり装飾は控えめね。線を見せる形に」


仕立て屋が小さく頷く。


「スカートは重くしないで。軽く流れる形がいいわ」


「はい」


「色は淡い方がいいわね。布、見せてちょうだい」


仕立て屋が箱を机に置く。


蓋が開くと、中から何枚もの布が現れた。


絹、薄いサテン、柔らかなモスリン。


伯爵夫人の目が輝く。


「ふふ、これが楽しいのよね」


一枚取り出し、私の肩にそっと当てる。


少し離れて眺める。


「……違うわね」


すぐに次の布を取る。


「これも悪くないけれど、少し重いわ」


私はその場で立ったまま、ぽかんとしていた。


次々と布が肩に当てられる。


「色はいいけれど光が強い」


「これは冬の茶会には重たいわね」


伯爵夫人は楽しそうに布を広げていく。


仕立て屋は慣れた様子で次の布を差し出した。


私はただ、立っているしかない。


……こんなに見るものなの?


そのうち、ひときわなめらかな光を返す布が取り出された。


肩に触れた瞬間、私は思わず目を見開く。


……これ、たぶん高い。


見覚えのある光沢だった。

姉のドレスの中でも、とびきり値の張るものに近い。


胸の奥がひやりとした。


布が変わるたび、頭の中で値段がよぎる。


今月の利益、吹き飛ぶのでは……。


私は必死に顔に出さないようにした。


伯爵夫人はそんな私の内心など知らないように、別の一枚を取る。


それを肩に当て、少し離れる。


ふっと目を細めた。


「あ、これね」


伯爵夫人は布をもう一度私の肩に当てた。


淡い色が、視界の端でやわらかく揺れる。


少し離れて眺め、それから満足そうに頷く。


「ええ、これだわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 穏やかで仕事や書類の扱いに対する姿勢に肯定的だけど、見方によっては、お義母様による居室への抜き打ちチェック……ですかね。服に関しては書類で相談がありましたけども。  父親が調子狂ってる中、仕立屋さ…
多分本来ならこういうことは母親か姉がやってあげることだったんやろうなあ(男衆は論外すぎる
将来のお嫁ちゃん!みたいなテンションになってる気がします(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ