第1話
厨房に入ると、焼けたパンと煮込みの匂いに、香草の青い香りが混じっていた。
私は竈の前に立つ料理人に声をかける。
「少しいいかしら」
鍋をかき混ぜていた料理人が振り向いた。
「エリナ様? どうなさいました」
「お願いがあるの」
私は持ってきた布袋を差し出した。
料理人はそれを受け取り、中を覗き込む。
「これは……干し林檎?」
「ええ。領地で作ったものを、最近売りに出し始めたの。見た目も悪くないでしょう? 切り方にも少しこだわっているのよ」
料理人は一枚つまみ、光に透かした。
「ふむ……」
「料理に使えないかと思って」
料理人の眉がわずかに動く。
「会食や茶会で出せるような料理にできるかしら」
料理人は林檎を口に入れ、ゆっくり噛んだ。
「……面白い」
包丁を手に取る。
「少し試してみましょう」
――トントントン
林檎が刻まれ、バターを落とした鍋へ入れられる。
じゅっと甘い香りが立った。
「砂糖は……控えめで良いでしょう」
料理人は味を確かめ、蜂蜜を一滴落とす。
「香りが強い。これは焼き菓子に向きますね」
「焼き菓子?」
「ええ」
料理人は生地を練り、刻んだ林檎を混ぜ込む。
「菓子に焼いてみます」
生地を型に流し、竈へ入れる。
しばらくして、厨房に甘い匂いが広がった。
焼き上がった菓子が切り分けられ、皿に置かれる。
「どうぞ」
私は一口食べた。
柔らかな林檎の甘みが口いっぱいに広がる。
「……美味しい」
料理人は腕を組んだ。
「完全乾燥だと固いですが、半生なら菓子に向きます」
私はもう一口食べる。
「本当に美味しい……紅茶にも合いそうね」
料理人は林檎をもう一枚つまんだ。
「肉料理にも使えます」
「肉?」
「甘みで臭みが消えます。会食に出してもおかしくないでしょう」
私は思わず顔を上げた。
「それ、作ってもらえる?」
料理人は頷く。
「もちろん」
竈に新しい鍋が乗せられる。
厨房に再び林檎の甘い香りが広がった。
◆
夕食の席に料理が並ぶ。
湯気の立つ肉料理。
焼き菓子。
そして、小皿には林檎を使った温かな一品。
父が皿を見て眉を上げた。
「……今日はまた、少し変わったものがあるな」
料理人が一礼する。
「干し林檎を使った料理でございます」
私はフォークを取りながら口を開いた。
「試作なの。領地で作っている干し林檎を、料理にも使えないかと思って」
兄がこちらを見る。
「商売の話か」
「はい」
姉は焼き菓子を手に取り、一口かじった。
「……あら」
少し目を丸くする。
「美味しいじゃない」
兄も肉料理を口に入れる。
しばらく黙って咀嚼し、それからわずかに眉を寄せた。
「……甘いな」
料理人が静かに答える。
「林檎の甘みで、肉の臭みを抑えております」
兄はもう一口食べた。
「まあ……悪くない」
父はゆっくり咀嚼しながら頷く。
「保存食かと思ったが、料理にも使えるのか」
「半生ですので、完全に乾かしたものより柔らかく、菓子にも料理にも向いております」
料理人の説明に、姉は焼き菓子を眺めながら言った。
「これ、夜会のお茶菓子に良さそうね」
思わず私は顔を上げる。
「やっぱりそう思う?」
兄がフォークを置く。
「で、それをどうするつもりだ」
私は少しだけ背筋を伸ばした。
「この辺りの貴族向けにも売れないかと思っています」
父が顔を上げる。
「貴族向け?」
「はい。庶民向けだけでなく、貴族にも売り出せればと」
姉は菓子をもう一口食べながら頷いた。
「確かに。こういう菓子はあまり見ないものね。話題にはなるわ」
私はほっとしながら続ける。
「小売店にはすでに置いていただいています。規格外の林檎も仕入れられそうなので、市場を広げたくて」
父は少し考えるように顎に手を当てた。
「ふむ……」
兄は肩をすくめる。
「好きにすればいい。家の金を使わないならな」
「はい」
私は即座に答えた。
姉は楽しそうに笑う。
「でもこれ、本当に美味しいわよ。茶会に出したら、どこの菓子か聞かれるかもしれないわ」
思わず私の口元も緩む。
「それなら嬉しいです……」
少し迷ってから、私は続けた。
「ですので、お姉様。お願いがあるのですが」
姉が首を傾げる。
「なに?」
「夜会や茶会に参加される時、この干し林檎を少し持って行っていただけませんか」
姉は手にしていた菓子を見て、小さく笑った。
「宣伝?」
「……はい。もし評判が良ければ、広がるかもしれません」
姉は楽しそうに肩をすくめる。
「いいわよ。こういう珍しい食べ物は、社交では意外と話題になるもの」
「ありがとうございます」
私はほっと息をついた。
◆
部屋に戻り、机に向かった。
ペンを取り、便箋にゆっくり書き始める。
『グラーフ伯爵様
先日は小売店をご紹介いただき、誠にありがとうございました。
おかげさまで、干し林檎は無事に店に並び、少しずつではありますが売れているようです。
ご助力いただきましたこと、心より御礼申し上げます。
実は、この干し林檎について一つご相談したいことがございます。
もしまたお目にかかる機会がございましたら、その折に少しお時間をいただけましたら幸いです。
エリナ』
書き終え、私はペンを置いた。
「うん……いいよね?」
仕事の話だもの。
少し胸が落ち着かないまま、便箋を丁寧に折って封筒へ入れる。
封をして、使用人に託した。
返事は、思っていたよりずっと早く届いた。
『エリナ嬢
手紙を受け取った。
相談があるとのこと、聞こう。
明日、屋敷へ来なさい。
アーネスト・グラーフ』
読み終えた瞬間、胸がどきりと跳ねた。
——明日。




