第5話
今回も、会場はグラーフ伯爵の屋敷だった。
受付を済ませて中へ入る。手には、小さな籠。干し林檎をいくつか入れてきた。ここで配って、試してもらえればと思ったのだ。
……少しだけ、胸が落ち着かない。
それでも、この会場へ来るのはもう二度目だ。前回よりも足取りは軽かった。
室内を見回す。
「あれ……夫人は来ていない……?」
グラーフ伯爵の姿も、まだ見当たらない。
そのとき、少し離れたところから軽やかな声が聞こえてきた。
人が輪になっている。
――誰だろう。
何気なく視線を向け、私は足を止めた。
「えっ……」
そこにいたのは、ヴィオラ・クラウゼンだった。
どうして……ここに……?
輪の中心で、ヴィオラが穏やかに微笑んでいる。
「やはり最近は、輸送のお話が多いのですね」
若い貴族の一人が頷いた。
「ええ。地方との価格差が大きくて」
「なるほど……流通の整備は、どの分野でも課題ですものね」
別の男が口を開く。
「クラウゼン嬢は、領地で何か関わっていらっしゃるのですか?」
ヴィオラは少し首を傾げて笑った。
「いえ、私はまだ勉強中ですわ。ただ、長期的に見れば、生産と流通の関係はもっと密接になるのではないかと思いますの」
男たちが感心したように頷く。
「確かに」
「それはありますね」
私は少し離れたところから、その様子を見ていた。
「……すごい」
あんなに令嬢らしい令嬢なのに、こんな話にも自然に入っている。
しかも、みんな感心しているみたい。
私は思わず籠を抱え直した。
ふと、視線を感じる。
ヴィオラと目が合った。
胸が、どくんと鳴る。
ヴィオラは何事もなかったように会話を続けた。
「やはり、地方の産品はもっと流通の工夫が必要ですわね」
「ええ。輸送費がどうしても」
「そこが難しいところですわね」
ヴィオラは小さく頷き、それから再びこちらへ視線を向けた。
「あら、エリナ様」
その一言で、輪の中にいた人たちが一斉にこちらを見る。
思わず足が止まった。
ヴィオラは微笑んでいる。
「こちらにいらしていたのですね」
「お知り合いですか?」
一人が尋ねると、ヴィオラは軽く頷いた。
「ええ。少しだけ」
それから、やわらかな声で続ける。
「今日はどのようなご用件で?」
「……招待していただいたので……」
私が答えると、ヴィオラは穏やかに頷いた。
「そうでしたの」
それだけ言うと、すぐに輪の方へ視線を戻す。
「皆様、ちょうど輸送のお話をしていたところですの」
「輸送ですか……」
「エリナ様は、どう思われます?」
私は口を開きかけた。
その瞬間だった。
「あ、そうですわ」
ヴィオラが先に声を上げる。
「地方から王都への輸送は、どのくらい日数がかかるのです?」
男の一人が答えた。
「だいたい十日前後ですね」
「やはりそうなのですね」
私は、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「北側の街道は最近混みますからね」
「ええ、護衛も増えています」
「積み替えがあると日数も延びる」
話はそのまま続いていく。
……入れない。
私は籠をぎゅっと抱え直した。
せっかく持ってきたのに。
少し場所を移ろうとした、そのとき。
「エリナ様」
不意に呼び止められ、足が止まる。
「こちらにいらしてくださいな」
ヴィオラが手を差し出した。
断る理由もなく、私は輪の端に入った。
「――それで、輸送の件ですけれど」
すぐに話題が戻る。
「特に雨季は厄介でしてね――」
「橋も古いところが多いですから――」
口を挟む隙を探すものの、誰もこちらを見ない。
動くに動けない。
どうしよう……。
そう思ったときだった。
輪の中の一人が、ふと私の手元へ目を向けた。
「……ん?」
視線が籠へ落ちる。
「それ、何ですか?」
突然話を振られ、私は一瞬言葉に詰まった。
「え……?」
「甘くていい匂いがしますね。お菓子ですか?」
男は少し笑う。
「僕、甘い物に目がなくて」
輪の中の視線が、少しだけこちらへ集まった。
私は小さく息を吸う。
「干し林檎です」
籠を少し持ち上げた。
「試験で作ったものなんです」
「干し林檎?」
別の男が眉を上げる。
「よかったら、どうぞ」
「ありがとうございます」
男が一枚取り、指先で軽く曲げてから口へ入れた。
しばらく噛んで、少し目を細める。
「……甘いな」
「本当だ」
「うまい」
別の男も一枚取った。
「これ、悪くないですね」
「日持ちは?」
「条件が良ければ、二週間ほどです」
「どこに卸してるんです?」
「王都のパン工房です。ただ、都まで送ると一箱銀貨一枚かかるんです」
男たちが顔を見合わせた。
「……それは重いな」
「はい……だから、近くで卸せる場所も探していて」
「これまでは?」
「領民向けに少量だけ作っていました。でも今年から、事業としてやってみようと思っていて」
男は少し考えるように顎へ手を当てた。
「干し果物なら、酒場でもいけそうだな」
「確かに。つまみにちょうどいい」
私は少し驚いて聞き返す。
「酒場……ですか?」
「甘いものって、意外と置いてるところあるんですよ」
「塩気のあるものを食べたあとに摘まむと、ちょうどいいんだ」
「なるほど……」
私は小さく頷いた。
考えたことがなかった。
その横で、ヴィオラが干し林檎を一枚手に取った。
指先で軽く持ち上げて眺め、それから口へ運んでゆっくり噛む。
「まあ、本当に甘いですわね」
視線が私へ向く。
「自然の甘みですの?」
「はい。乾燥させただけです」
ヴィオラは感心したように頷いた。
「それなら、気軽なお茶の席には合いそうですわね」
男たちが少し笑う。
「確かに」
「甘いものが好きな人は喜びそうだ」
ヴィオラはもう一度、手元の林檎を見る。
「保存が利くなら、旅の途中で手軽に摘まめるのも良さそうですわ」
「それはありそうですね」
男が頷く。
「素朴で、親しみやすいお味ですわね」
「あ、ありがとうございます……」
そう答えたとき、ふと視線を感じて顔を上げた。
少し離れた場所。
いくつもの人の輪の向こうで、グラーフ伯爵と目が合った。
◆短編宣伝
押し付けられた変人王子は最推しでした。支えた結果、彼を見捨てた令嬢が後悔しています
https://ncode.syosetu.com/n7595lx/




