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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
五章

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第5話

仕分けに、十四日。


ようやく終わった。


箱を積み直し、数を確認する。


「……これだけなの?」


二か月弱。


想定より、一月分足りない。


机に戻り、損益表を開く。


人件費。

再選別の手間。

追加した燃料。

延長した作業時間。


並んだ数字を指で追う。


利益欄は――辛うじて黒。


「本当に……僅か」


こんなにも差が出るなんて。


視線が、乾燥小屋へ向く。


今から再乾燥させる?


――駄目。

口触りが悪くなる。


「グレードを少し落として混ぜる……?」


それは、信頼に触れる。


最初の納品だ。


そして、もう一つ問題がある。


「あれ、どうしよう……」


視線を落とす。


規格外として弾いた箱。


新しく基準を作って仕分けた結果、

思った以上に数が出てしまった。


理由は、見た目。


色や形。


いつもなら、この程度の差は気にしない。


味も、食感も問題ない。


それでも――


夜会で見た菓子皿が、頭に浮かぶ。


宝石のように並んだ果物菓子。


ひとつとして、形の乱れはなかった。


「……これは、出せない……でも」


これを外せば、完全に赤字になる。


「はぁ……」


小さく息が漏れる。


自分の手を見る。


干し無花果に触れ続けたせいで、

指先が少し固くなっていた。


「ひどい手……」


掠れた声が、静かな部屋に落ちた。



私は、ふらつく足取りのまま屋敷へ戻った。


廊下で姉とすれ違う。


姉は足を止め、

視線を頬、袖口、指先へと滑らせた。

ほんの一瞬だけ、目が細くなる。


「……エリナ」


「あ……お姉様……」


「そのまま歩かないで」


「え?」


「袖が擦れてる。髪も。匂いもついてる」


はっとして自分を見下ろす。


袖口には、うっすら白い粉。

指先には、こびりついた飴色。

髪にも、乾いた甘い匂いが残っていた。


「……あ」


姉は小さく息をつく。


「倉庫の匂いを連れて歩かないで」


侍女へ、視線だけを向ける。


「整えてから出てきなさい」


「はい……」


姉はそれだけ言って立ち去った。


一歩、動こうとして、足がもつれる。

侍女が慌てて肘を支えた。


「大丈夫でございますか」


「……大丈夫。少し、疲れただけ」


声が乾いていた。

喉の奥に、粉が残っている気がする。


私はそのまま湯殿へ向かった。

屋敷の奥にある、家族用の小さな湯室。


扉を開けると、温い湿気が頬に触れた。

石張りの床に、湯気がやわらかく立ちのぼっている。


侍女が先に動き、

炉に火を足し、銅釜の湯を差して温度を整える。


いつもなら手順を指示するのは私なのに、

今日はただ見ているだけだった。


「こちらへ」


袖を外される。

ぱらりと粉が落ち、石床に白い筋を作る。


侍女は黙ってそれを拭い、

桶に湯を張って私の手を取った。


指先を浸すと、

固まった飴色がゆっくり緩んでいく。

爪の間が熱を吸って、じんと痛んだ。


小さな刷毛が差し込まれ、

隙間の汚れが静かに落とされていく。


「……ごめん。汚して」


「お役目でございます」


髪が解かれ、

湯に肩まで沈む。


皮膚に張りついていた倉庫の空気が、

少しずつほどけて離れていった。


「整いましたら、お声を」


「……ありがとう」


侍女が一歩下がる。


「……はぁ……」


目を閉じた途端、

木箱の山が浮かんだ。


もっと控えめな量を提示するべきだった。

夫人に、がっかりされるかもしれない。


それに――


「あの人は……」


せっかく助言してくれたのに。


湯をすくって顔にあてる。


「……仕方がない……よね」


夫人には、正直に話すしかない。


「次までに……原因を特定して、対策を――」


指を折って数える。


けれど、ふと手が止まった。


「……次が、あるのかな……」


湯の中で、私はゆっくり息を吐いた。



着替えを終え、兄の部屋を訪ねる。


息を吸い、ノックする。


扉の向こうから、短い声。


「入れ」


机の上には報告書が広がっている。

兄は顔を上げない。


「仕分け終わったのか」


「はい……ですが、二か月分、少し超える程度しか」


紙をめくる音が止まる。


「……想定との差?」


「はい……一月弱、少なくて……」


「なんでだ、原因は」


「そもそもの製造過程の基準が曖昧なのと……

選別を厳しくしたからです」


「基準が曖昧だったのか?」


「乾燥度合いの規定がなく、見た目と経験に頼っていました」


「……それで」


兄がようやく顔を上げる。


「損は出てるのか」


「いえ……黒字ではあります」


「どれくらいだ」


「かなり僅かです。

それよりも……規格外が多く出て……」


兄は眉を寄せる。


「規格外?」


「見た目で弾いたものです」


「食えるのか」


「味と食感は問題ありません……」


兄は少し考え、報告書に視線を戻す。


「味が問題ないなら、売ればいいだろ」


「……え?」


「見た目で落とす必要あるのか」


「ですが……高級嗜好品として売り出していますし……

見た目は、揃えた方が……」


兄は首を傾げた。


「味が同じなら、客は気にしない」


「……」


「数が出る方がいい」


そしてもう一度だけ言った。


「捨てるなよ」


兄は再び報告書に視線を落とした。


「……失礼します」


私は静かに部屋を出た。


自室に戻る。


机の上には、

今日の報告書。


「はぁ……」


ページをめくる。


「規格外……どうしよう……」



クラウゼン家の庭園は、整いすぎていた。


芝は均一。

花は左右対称。

噴水の水音まで計算されたように静かだ。


アーネストは、指定された席に腰を下ろす。


向かいには、ヴィオラ。


淡い藤色のドレス。

非の打ちどころのない微笑。


「本日はお時間をありがとうございます」


声音は柔らかい。


「お会いできて光栄です」


「そうか」


紅茶が置かれる。


「領地経営でお忙しいと伺いました」


「忙しいかどうかは分からん」


紅茶に口をつける。


「やるべきことがあるだけだ」


ヴィオラは小さく目を伏せる。


「そうおっしゃる方ほど、

多くを背負っていらっしゃるのですね」


視線を上げる。


「立派な領地と伺っておりますわ」


にこり、と微笑む。


「いつか、ぜひ拝見できましたら」


「機会があれば案内しよう」


ヴィオラは視線を柔らかく落とす。


「どのような場所でも、

伯爵とご一緒できるなら楽しみですわ」


押しつけがましさはない。

距離は、きちんと詰めている。


妻としては合格。


アーネストは紅茶を口にした。

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― 新着の感想 ―
兄は自分で見栄が大事とか言ってたのに見た目は二の次とかいうのか(呆れ)それを本気で格上の取引相手にしたら侮辱だろうに。見た目が分からないように加工品にするとかの考えがあるような言い方でもないしなあ。
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