第4話
投稿遅れてすみません。
兄は誓約書へ目を通した。
乾燥物部門を、
家の本帳から切り離すための決裁書だ。
兄は静かに署名し、言った。
「金は情を見ないぞ」
淡々と言い、ペンを置く。
「赤が出れば、お前の責任だ。家の看板は守るが、尻拭いはしない」
「……はい」
そうして乾燥物部門は正式に分離された。
専用帳簿を開き、
初回三箱分の契約も書面化する。
代金の一部が入金されたとき、
ようやく――“自分の事業になった”のだと実感した。
だが、本当の始まりはそこからだった。
◆
まず必要になったのは、品質の仕分けだった。
夫人の工場の職人と話し合い、
事前に基準は決めていた。
大きさ、乾き具合、割ったときの中心の状態。
だが、実際に納品分のロットを並べてみると、
差は予想よりずっと大きかった。
「……試験では、問題なかったのに」
何より厄介だったのは、
同じ箱の中でさえ、乾きの度合いが揃っていないことだった。
「……こんなに違うの」
一つ摘まむ。
爪を立てずにそっと割ると、
中心がわずかに柔らかかった。
「これじゃあ、駄目だわ……」
本番の量を前にして初めて、
乾燥の揺れがはっきりと姿を見せた。
私は眉を寄せ、さらに籠の中を見た。
そしてもう一つ、
見過ごせない違和感に気づく。
「……大きさまで、揃っていない」
人足を呼び、選別をやり直させる。
だが、目利きにも差が出る。
「これは二級だ」
「いえ、まだ使えるわ」
「それは硬すぎる」
「……基準を、もう一段厳しくするわ」
最初だからこそ、
甘い基準で納めるわけにはいかない。
「まず大きさで分けて。それから乾き具合を見るわ」
人足たちは顔を見合わせたが、
私は構わず続けた。
「表だけ見て決めないで。迷うものは割って、中まで確認してちょうだい」
手間は増える。
だが、ここで曖昧にすれば次はない。
そのとき。
「お嬢様」
背後から、静かな声がした。
振り返ると、
セバスが立っていた。
「本日の夕食は、町の穀物仲買人がいらっしゃるとのこと。
お嬢様も同席を、と」
手元の無花果を見る。
まだ、半分も終わっていない。
「……今、なの?」
「はい。お着替えのお時間を考えますと」
小さく息を吐く。
「分かったわ……」
従業員に向き直る。
「一区切りつけます。残りは明朝、基準を改めてやり直します」
箱を閉じる。
◆
食事を終え、自室へ戻る。
机の上には、報告書。
農地の収量速報。
倉庫在庫の棚卸結果。
人足賃金の支払一覧。
数字を突き合わせる。
「……在庫数が合わない」
一枚めくる。
「前月繰越と……計算がずれている」
赤で修正を書き込む。
次の封書。
納屋屋根の補修見積。
馬車車軸の交換費。
「やだ……今月、修繕が三件も重なっているじゃない……」
さらに、封蝋付きの招待状、
子爵夫人主催の季節の茶会だ。
「欠席……できないよね……」
筆を取り、返書を書く。
形式通りの言葉を並べながら、
頭の奥では歩留まりを計算している。
水分率。
廃棄率。
三か月分の確保量。
事業は始まった。
だが、家の仕事も、
令嬢としての義務も止まらない。
◆
翌日。
廊下を歩く兄の背に声をかける。
「お兄様……」
「なんだ」
兄は振り返らず応えた。
「干し無花果の分別に手間取っていて……
報告書の処理を、半分ほど――」
兄の足が止まる。
「半分?」
ゆっくりと視線が向く。
「何のために分けた。雑務も含めて、お前の事業だ」
言葉が詰まる。
「人手が足りないなら雇え」
「え……でも……」
「金の計算も、人の使い方も
全部お前の仕事だ」
それだけ言って、兄は歩き出した。
廊下に、足音だけが残る。
――人を雇う。
まだ判定に個人差がある。
基準も完全ではない。
そんな状態で、
私が現場を離れる?
「……できない」
廊下に立ち尽くしたまま、
乾燥棚の匂いを思い出していた。
◆
アーネスト邸の応接室。
予定になかった来客、
父と母が並んで座っている。
嫌な予感しかしない。
父が口を開く。
「クラウゼン家の令嬢だ。
血筋も申し分ない」
――また家か。
目を伏せる。
「家のため、か。
俺のためではないな」
父は咳払いを一つ。
「……それにだな」
腕を組む。
「隣のオルデン家、
また孫を抱いて自慢してきた」
母が小さく笑う。
「三人目ですって」
父は眉を寄せる。
「うちはいつだ、と言われた」
視線が向く。
「いつだ」
母がにこりとする。
「ね? そろそろ落ち着いてもいい頃でしょう?
わたくしも孫の顔が見たいわ」
「……」
――家も、血も、孫も。
俺は道具か。
「家の張り合いで子を作る気はない」
母は肩をすくめる。
「張り合いじゃないわよ。
純粋な願望」
父がぼそりと。
「……まあ、孫は可愛いらしいぞ」
沈黙が落ちる。
「あら、そういえば」
母が紅茶を置く。
「来週、お茶会があるの」
父が眉をひそめる。
「お茶会?」
「クラウゼン家の令嬢もいらっしゃるのよ」
空気が止まる。
「……母上?」
「ごめんなさいね。日取り、決めてしまったの」
父が顔を上げる。
「いつの間にだ」
「昨日」
母が微笑む。
「とても可愛らしい方なのよ。
一度くらい会っても罰は当たらないでしょう?」
しばらく黙ったが、
短く息を吐く。
「承知した」
立ち上がる。
「日時と場所を」
それだけ言って、部屋を出た。




