第3話
馬車で屋敷へ戻った頃には、もう夕方になっていた。
出迎えたセバスに尋ねる。
「お父様は?」
「執務室に。レオン様とご一緒です」
「……そう」
書類を胸に抱え直し、そのまま執務室へ向かった。
扉をコンコンと叩く。
「入れ」
扉を開けると、机の向こうに父、その横には腕を組んだ兄がいた。
「外出していたな。王都に行っていたそうだが」
父が顔を上げる。
「王都まで何をしに行ったんだ?」
私は一歩、前へ出た。
「干し無花果の件で、お願いがあります」
兄の眉がわずかに動く。
「またその話か」
机の上に書類を置いた。
「王都のパン工房に、三か月分を試験的に購入していただけることになりました」
父の目が細くなる。
「お前が進めたのか」
「はい。正式契約は、私が名義を持てたら、という条件です」
兄の視線が鋭くなった。
「名義?」
「乾燥物の事業を、私の名で分けたいのです」
父は書類へ目を落とし、兄は腕を組んだまま動かない。
「言ったはずだ。失敗したらどうする」
兄の声が低くなる。
「名義を持つということは、全責任を負うということだ」
深く息を吐き、こちらを見る。
「赤が出たらどうする。支払う余力などないだろう」
喉が渇く。
それでも――。
「三か月分の購入は確定しています。本契約が決まれば、前金をいただけるとも仰ってくださいました」
「確定か。書面はあるのか」
私は契約書を差し出した。
兄は受け取り、目を走らせる。
しばらく、紙をめくる音だけが続いた。
「……甘い」
「え……」
「三か月分では事業とは言えん。ただの在庫処理だ」
書面を机へ置く。
「前金も“名義が取れたら”だ。今は何も確定していない」
目を伏せる。
いつもなら、ここで諦めていた。
――だけど。
私は顔を上げた。
「契約のお話には、グラーフ伯爵が同席してくださいました」
兄の指が、わずかに止まる。
「前受の提案をされたのも、あの方です」
父の視線が上がった。
「……グラーフ伯が、か。無視できる名ではないな」
兄が眉を寄せる。
「父上」
父は片手を上げて制した。
「エリナ……本気か」
「お父様」
父を見据える。
「私の持参金は、いくらございますか」
兄の眉が動いた。
父は答えない。
「損失が出た場合、その範囲で責任を負いたいと考えております」
「……持参金は、嫁入りのためのものだ。事業の火消しに使うものではない」
拳を握る。
どのみち、縁談のない私が家を出ることはない。
それに――。
「お願いします」
視線は逸らさなかった。
「乾燥無花果の商いを、私に一任していただけませんか」
父はしばらく黙っていた。
やがて口を開く。
「半年だ」
私は目を見開いた。
「半年で、事業としての形を示せ。赤が出た時点で打ち切る」
父は眼鏡を外し、机の上に置いた。
「持参金は使わせん。資金は前受と売上で回せ」
そして兄を見る。
「収支と資金の流れは、レオンが確認する」
「……そこまでしてやるのか」
兄は書面をもう一度手に取った。
「お前が思う以上に大変だからな。……覚悟しろよ」
「……はい」
◆
数日後。
午前の報告を終えた頃、執事が小さな包みを運んできた。
「リュークハルト家より届いております」
差出人の名を見て、アーネストの手がわずかに止まる。
封を切ると、中から琥珀色の干し無花果が現れた。
同封されていた書状を開く。
『当分お会いすることはないと思い、送らせていただきました。
これまで大変お世話になりました。
次にお会いする時は、良い報告ができればと思っております。』
「……当分会わない、か」
手紙を畳み、干し無花果を一つ口に含む。
甘みは素直で、乾かしすぎてもいない。
「……なるほど」
包みを閉じる。
「保管しておけ」
執事が一礼し、部屋を出ていく。
アーネストは机へ向き直った。
書類に目を落とす。
けれど、ほどなくして手が伸びた。
もう一つ、干し無花果を口に入れる。
しばらくの間、書類の頁はめくられなかった。




